6 / 30
第6話 庭も森も川も、生活圏ですわ
しおりを挟む
第6話 庭も森も川も、生活圏ですわ
目を覚ましたとき、アルフェッタはまず「音」に気づいた。
鳥の声。
葉が擦れ合う、かすかな風の音。
遠くから、一定のリズムで聞こえてくる水の流れ。
「……静かですわね」
そう呟いてから、ふと笑う。
いいえ、正確には「静か」ではない。音は確かにある。ただ、それらがすべて心地よく、邪魔にならないだけだ。
カーテンを少しだけ開けると、昼の光が部屋に流れ込んできた。
時計に目をやると、針はすでに正午を回っている。
「完璧ですわ」
朝寝坊専用の病弱ごっこは、今日も問題なく成功したらしい。
侍女が様子を見に来た形跡はあるが、扉は静かに閉じられ、無理に起こされることもなかった。
(午前中は、存在しないものとして扱われていますわね)
それでいい。
むしろ、それがいい。
ゆっくりと身支度を整え、軽めの昼食を済ませる。
量は控えめだが、不足感はない。後で外に出るつもりだからだ。
扉を開け、外へ。
その瞬間、空気が変わる。
屋内とはまるで違う、温度と匂いと湿度。
(……やっぱり、外は別世界ですわ)
庭に足を踏み入れる。
よく手入れされた芝生は、踏むとわずかに沈み、反発する。歩くだけで、身体の力が自然と抜けていく。
以前の彼女なら、この庭を「鑑賞用」としか見ていなかっただろう。
広くて、立派で、見せるためのもの。
けれど今は違う。
(座れる)
(歩ける)
(寝転べる)
それだけで、十分に「使える」。
アルフェッタは靴を脱ぎ、芝生の上に直接腰を下ろした。
服が汚れる? あとで洗えばいい。
「……椅子、要りませんわね」
そう言って、芝生に手をつく。
土の冷たさと、草の柔らかさが混ざった感触。
(こういう感覚)
(前は、無意識に避けていましたわね)
貴族らしくない。
行儀が悪い。
汚れる。
そうやって、使えるものを使わずにいた。
(もったいない話ですわ)
立ち上がり、今度は森へ向かう。
庭から続く小径は、よく見ればちゃんと整備されているが、ほとんど使われていない気配があった。
数歩進むだけで、空気が変わる。
木々の影が増え、温度が少し下がる。
「……涼しいですわね」
昼でも、ここなら長居できそうだ。
木陰は自然の屋根で、風が通り抜ける。
(ここは、散歩用)
(あるいは、考え事用)
用途が自然と頭に浮かぶ。
さらに奥へ進むと、水音がはっきりしてきた。
敷地内を流れる川だ。
川辺に立ち、流れを見下ろす。
透明な水の中を、小さな魚が群れをなして泳いでいる。
「……釣れそうですわね」
言ってから、くすりと笑う。
(釣るかどうかは、また別として)
大事なのは、「できる」と分かることだ。
庭、森、川。
これらは全部、移動に馬車も許可もいらない。
(……全部、生活圏ですわ)
イベントにする必要も、準備する必要もない。
思い立ったら、出ればいい。
アルフェッタは川辺の石に腰を下ろし、流れを眺めた。
(アウトドアって)
(本来、こういうものでは?)
気合を入れるものではなく、
頑張るものでもなく、
ただ、外にいるだけ。
しばらくして、彼女は立ち上がった。
満足したから、ではない。
(また来ればいい)
そう思えることが、心地よかった。
屋敷へ戻る道すがら、庭全体を見渡す。
「……贅沢、ではありませんわね」
ぽつりと呟く。
「環境ですわ」
使わなければ、ただの背景。
使えば、生活の一部。
異世界転生生活六日目。
アルフェッタは今日も、何かを成し遂げてはいない。
けれど確かに――
世界の使い方を、一つ覚えた。
目を覚ましたとき、アルフェッタはまず「音」に気づいた。
鳥の声。
葉が擦れ合う、かすかな風の音。
遠くから、一定のリズムで聞こえてくる水の流れ。
「……静かですわね」
そう呟いてから、ふと笑う。
いいえ、正確には「静か」ではない。音は確かにある。ただ、それらがすべて心地よく、邪魔にならないだけだ。
カーテンを少しだけ開けると、昼の光が部屋に流れ込んできた。
時計に目をやると、針はすでに正午を回っている。
「完璧ですわ」
朝寝坊専用の病弱ごっこは、今日も問題なく成功したらしい。
侍女が様子を見に来た形跡はあるが、扉は静かに閉じられ、無理に起こされることもなかった。
(午前中は、存在しないものとして扱われていますわね)
それでいい。
むしろ、それがいい。
ゆっくりと身支度を整え、軽めの昼食を済ませる。
量は控えめだが、不足感はない。後で外に出るつもりだからだ。
扉を開け、外へ。
その瞬間、空気が変わる。
屋内とはまるで違う、温度と匂いと湿度。
(……やっぱり、外は別世界ですわ)
庭に足を踏み入れる。
よく手入れされた芝生は、踏むとわずかに沈み、反発する。歩くだけで、身体の力が自然と抜けていく。
以前の彼女なら、この庭を「鑑賞用」としか見ていなかっただろう。
広くて、立派で、見せるためのもの。
けれど今は違う。
(座れる)
(歩ける)
(寝転べる)
それだけで、十分に「使える」。
アルフェッタは靴を脱ぎ、芝生の上に直接腰を下ろした。
服が汚れる? あとで洗えばいい。
「……椅子、要りませんわね」
そう言って、芝生に手をつく。
土の冷たさと、草の柔らかさが混ざった感触。
(こういう感覚)
(前は、無意識に避けていましたわね)
貴族らしくない。
行儀が悪い。
汚れる。
そうやって、使えるものを使わずにいた。
(もったいない話ですわ)
立ち上がり、今度は森へ向かう。
庭から続く小径は、よく見ればちゃんと整備されているが、ほとんど使われていない気配があった。
数歩進むだけで、空気が変わる。
木々の影が増え、温度が少し下がる。
「……涼しいですわね」
昼でも、ここなら長居できそうだ。
木陰は自然の屋根で、風が通り抜ける。
(ここは、散歩用)
(あるいは、考え事用)
用途が自然と頭に浮かぶ。
さらに奥へ進むと、水音がはっきりしてきた。
敷地内を流れる川だ。
川辺に立ち、流れを見下ろす。
透明な水の中を、小さな魚が群れをなして泳いでいる。
「……釣れそうですわね」
言ってから、くすりと笑う。
(釣るかどうかは、また別として)
大事なのは、「できる」と分かることだ。
庭、森、川。
これらは全部、移動に馬車も許可もいらない。
(……全部、生活圏ですわ)
イベントにする必要も、準備する必要もない。
思い立ったら、出ればいい。
アルフェッタは川辺の石に腰を下ろし、流れを眺めた。
(アウトドアって)
(本来、こういうものでは?)
気合を入れるものではなく、
頑張るものでもなく、
ただ、外にいるだけ。
しばらくして、彼女は立ち上がった。
満足したから、ではない。
(また来ればいい)
そう思えることが、心地よかった。
屋敷へ戻る道すがら、庭全体を見渡す。
「……贅沢、ではありませんわね」
ぽつりと呟く。
「環境ですわ」
使わなければ、ただの背景。
使えば、生活の一部。
異世界転生生活六日目。
アルフェッタは今日も、何かを成し遂げてはいない。
けれど確かに――
世界の使い方を、一つ覚えた。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。
なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。
本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!
忘れられた幼な妻は泣くことを止めました
帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。
そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。
もちろん返済する目処もない。
「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」
フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。
嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。
「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」
そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。
厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。
それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。
「お幸せですか?」
アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。
世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。
古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。
ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。
※小説家になろう様にも投稿させていただいております。
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう
おてんば松尾
恋愛
王命により政略結婚したアイリス。
本来ならば皆に祝福され幸せの絶頂を味わっているはずなのにそうはならなかった。
初夜の場で夫の公爵であるスノウに「今日は疲れただろう。もう少し互いの事を知って、納得した上で夫婦として閨を共にするべきだ」と言われ寝室に一人残されてしまった。
翌日から夫は仕事で屋敷には帰ってこなくなり使用人たちには冷たく扱われてしまうアイリス……
(※この物語はフィクションです。実在の人物や事件とは関係ありません。)
悪役令嬢は処刑されないように家出しました。
克全
恋愛
「アルファポリス」と「小説家になろう」にも投稿しています。
サンディランズ公爵家令嬢ルシアは毎夜悪夢にうなされた。婚約者のダニエル王太子に裏切られて処刑される夢。実の兄ディビッドが聖女マルティナを愛するあまり、歓心を買うために自分を処刑する夢。兄の友人である次期左将軍マルティンや次期右将軍ディエゴまでが、聖女マルティナを巡って私を陥れて処刑する。どれほど努力し、どれほど正直に生き、どれほど関係を断とうとしても処刑されるのだ。
王宮侍女は穴に落ちる
斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された
アニエスは王宮で運良く職を得る。
呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き
の侍女として。
忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。
ところが、ある日ちょっとした諍いから
突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。
ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな
俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され
るお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる