婚約破棄? めんどくさいのでちょうどよかった ――聖女もやめて、温泉でごくらくしてます

ふわふわ

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第3話 働いている聖女

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第3話 働いている聖女

 王都の中央にある大神殿は、朝から人の出入りが絶えなかった。

 石造りの回廊には香が焚かれ、厳かな祈りの声が反響している。その中心で、一人の少女が膝をつき、額に汗をにじませながら詠唱を続けていた。

「――癒やしの光よ、ここに集い……」

 マーレン・エルバ。
 新たに聖女として認められつつある少女だ。

 祈りの言葉が終わると、淡い光が広がり、寝台に横たわっていた男の傷がゆっくりと塞がっていく。深く抉れていたはずの裂傷は、やがて痕も残さず消えた。

「……助かった」 「聖女様、ありがとうございます!」

 男の声に、周囲の人々が安堵の息をつく。
 そしてすぐに、感嘆と称賛の視線がマーレンへと向けられた。

「すごい……」 「本当に、奇跡だ」

 マーレンは小さく息を整え、微笑みを浮かべた。だが、その表情の奥には疲労が滲んでいる。治癒の祈りは、短いものではなかった。詠唱を終えるだけで、体力と集中力を大きく消耗する。

「次の方を……」

 そう言って立ち上がろうとした彼女を、神官が慌てて制した。

「もう十分です、マーレン様。少しお休みを」 「いえ……まだ動けます」

 そう答える声は、わずかに震えていた。

 それでも、彼女は祈りを止めなかった。
 怪我人が呼ばれれば駆けつけ、詠唱を求められれば応じる。

 その姿は、誰の目にも分かりやすい。

「よく働いている聖女だ」 「前より、ずっと頼りになる」

 そんな評価が、王都のあちこちで囁かれ始めていた。

 一方その頃、王城の奥では別の会話が交わされていた。

「最近、聖女リヴォルタ様のお姿を見かけませんな」 「呼ばれる必要がないのだろう」

 王太子ザガート・ビジョン・グランツは、淡々とそう言った。

 机の上には、治癒記録の報告書が積まれている。そこに記されているのは、マーレンの名と、彼女が行った奇跡の数々だった。

「怪我人が出た際、即座に対応している。評価すべき働きだ」 「確かに……」

 側近は頷いたが、どこか歯切れが悪い。

「しかし、以前はここまで治癒の要請も多くなかったような……」 「それは偶然だ」

 ザガートは即座に切り捨てた。

「事故は起きるものだ。たまたま重なっただけだろう」 「は、はぁ……」

 彼の視線は、報告書の数字に向いている。
 そこに並ぶのは、目に見える成果だけだ。

 祈りを捧げ、詠唱を行い、傷を癒やす。
 それは「働いている」証拠として、極めて分かりやすい。

 対して、リヴォルタ・レーレはどうか。

 祈らない。
 詠唱しない。
 奇跡も起こさない。

「聖女としての役目を、果たしているとは言い難いな」

 ザガートの言葉に、誰も反論しなかった。

 その頃、当の本人であるリヴォルタは、王城の自室で静かに過ごしていた。

 窓辺に腰掛け、差し込む光を受けながら、ゆっくりと頁をめくる。外では、遠く大神殿の鐘が鳴っている。

「……また、治癒でしょうか」

 彼女は本を閉じ、少しだけ耳を澄ませた。

 祈りの声が、微かに届いてくる。
 あの少女は、今日も忙しそうだ。

「必要とされている方が、動いているんですね」

 それは、羨望でも嫉妬でもない。
 ただの事実としての認識だった。

 怪我人がいるのなら、治す人が必要だ。
 自分は呼ばれていない。なら、出る幕はない。

 ――それで、何か問題があるだろうか。

 彼女は、そう自問して、答えを出さなかった。

 その日も王都では、事故がいくつか起きた。
 怪我人が出て、マーレンが治癒を行い、人々が感謝した。

 そして誰も、気づかない。

 そもそも、
 これほど頻繁に「治す必要」が生じる世界になっていること自体が、
 異常だということに。

 リヴォルタが、まだ王都に「いる」という事実だけで、
 それでも最悪の事態が避けられていることを――
 誰一人、理解していなかった。
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