婚約破棄? めんどくさいのでちょうどよかった ――聖女もやめて、温泉でごくらくしてます

ふわふわ

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第26話 何も選ばない、という選択

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第26話 何も選ばない、という選択

 朝の温泉郷は、霧が低く垂れていた。

 山の輪郭がぼやけ、川の流れも白く包まれる。
 視界は悪いはずなのに、不思議と不安はない。

「……今日は、霧が深いですね」

 リヴォルタ・レーレは、宿の縁側でそう呟いた。

「ええ。でも、昼には晴れますよ」 「そうなんですか?」 「この辺は、だいたいそうです」

 宿の主人の言葉は、経験則だ。
 予報でも、魔法でもない。

 だが――当たる。

 その頃、遠く離れた国々では、
 「彼女に提示すべき“次の一手”」が話し合われていた。

「移住の提案は、出し切った」 「静養地の整備も、やり過ぎない範囲で終えた」 「では、次は?」

 答えは、すぐに出なかった。

 なぜなら、
 次に何かをすれば、均衡が壊れると、
 全員が分かっていたからだ。

「……何もしない、を続けるしかない」 「だが、それは“選択”ではないのでは?」 「いいや」

 老学者が、首を振る。

「何もしないと“決め続ける”ことは、
 最も高度な選択だ」

 沈黙が落ちる。
 誰も反論しなかった。

 一方、温泉郷。

 霧の中を、リヴォルタは散歩していた。
 足元は見えにくいが、歩きにくさはない。

 橋の手前で、立ち止まる。

「……今日は、向こうに行くの、やめましょうか」

 理由はない。
 ただ、そう思った。

 その瞬間。

 霧の向こうで、橋の欄干がわずかに軋んだ。
 後で分かることだが、一本の木材に小さな亀裂が入っていた。

 もし渡っていれば、
 怪我はしなくても、騒ぎになっていたかもしれない。

 だが、彼女は渡らなかった。

 昼。

 霧は、宿の主人の言葉通り、きれいに晴れた。

「……本当でしたね」 「でしょう?」

 他愛のない会話。
 だが、その裏で、
 “選ばなかった未来”が、静かに消えていく。

 午後、トレイル・ブレイザーは、側近から報告を受けていた。

「各国、追加の提案を凍結しました」 「当然だ」

 王は、書類を閉じる。

「彼女が選ばない限り、
 我々も選ばない」 「……世界が、彼女に合わせている」 「いや」

 トレイルは、首を横に振った。

「世界が、初めて正しい距離を覚えただけだ」

 夕方。

 温泉に浸かりながら、リヴォルタはぼんやり考える。

「……最近、決めることが減りました」

 食事の時間。
 散歩の道。
 湯に入る回数。

 どれも、深く考えなくていい。

「楽ですね」

 それが、彼女の本音だった。

 夜。

 星が瞬く中、
 彼女は湯に肩まで浸かり、目を閉じる。

「……今日は、何も選びませんでした」

 満足そうな声。

 だが、その“何も選ばなかった一日”の積み重ねが、
 世界にとっては、
 無数の破滅を避け続けた結果だった。

 誰にも評価されず、
 誰にも命じられず、
 誰にも知られない。

 それでも、
 何も選ばない、という選択は、
 今日も確かに、
 世界を守っていた。

 そして彼女は、
 その事実を知らないまま、
 静かな眠りに落ちていく。

 ――それでいい、と。
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