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第六話 交わらない選択
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第六話 交わらない選択
辺境公爵フェリクス・フォン・グランツからの書簡を受け取ってから、三日が経っていた。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、その間、あえて返事を書かなかった。
急ぐ理由はないし、慎重であることは、彼女の性分でもある。
机の上には、二種類の書簡が並んでいた。
一つは、辺境公爵から届いた、簡潔で明確な依頼文。
もう一つは、王宮から届いた、言葉を選びすぎた要請の数々。
それらを見比べるまでもなく、違いは明白だった。
「……同じ“必要とされる”でも、ずいぶん形が違いますわね」
マルグリットは小さく息を吐いた。
王宮からの書簡は、いずれも丁寧ではあるが、肝心な部分が欠けている。
どの立場で、どこまで責任を持たせるのか。
そして何より――なぜ、彼女でなければならないのか。
答えは、どこにも書かれていなかった。
その日の午後、ルーヴェン家に、再び王宮からの使者が訪れた。
「王太子殿下より、どうしても直接お話ししたいとのことで……」
使者の言葉に、マルグリットは視線を伏せたまま答える。
「殿下にお伝えください。私は、すでに王宮の人間ではありません」
「ですが――」
「正式な役職も、責任も示されておりません。その状態でお会いすることはできませんわ」
きっぱりとした拒絶だった。
感情は挟まれていない。ただ、線を引いただけだ。
使者は何も言い返せず、深く頭を下げて去っていった。
一方その頃、王宮では、状況がさらに悪化していた。
「外交使節団が、不満を公式文書で提出してきました」
「軍務部からは、補給遅延についての抗議が」
「財務部は、今月の決算すらまとめられていません」
報告が重なるたび、ロイド・ヴァルシュタインの表情は険しくなっていく。
「……なぜ、誰も全体を見られない」
苛立ち混じりの声が、執務室に響いた。
かつては、全体を“見ている人間”がいた。
自分が指示を出さずとも、気づけば整っていた。
それが、当たり前だと思っていた。
「殿下」
側近が、意を決したように口を開く。
「このままでは、取り返しがつきません。マルグリット様を――」
「分かっている!」
ロイドは声を荒げ、机を叩いた。
「だが、彼女は戻らない。あの態度を見ただろう」
苛立ちの奥に、焦りが滲んでいる。
それでも、彼はまだ理解していなかった。
彼女は“戻らない”のではない。
“戻る理由がない”のだ。
同じ頃、辺境公爵領では、フェリクス・フォン・グランツが執務机に向かっていた。
「返事は、まだ来ないか」
「はい。ただ、拒否の連絡もありません」
その報告に、フェリクスは小さく頷いた。
「それでいい。選択は、彼女自身のものだ」
彼は、マルグリットを急かすつもりはなかった。
彼女が王宮でどのような立場に置かれていたかも、
どれほどの責任を一人で背負っていたかも、記録から理解している。
必要なのは、“能力”ではない。
その能力を、尊重できる環境だ。
「もし断られたとしても、それはそれで構わない」
フェリクスはそう言い切る。
「彼女が選んだ道なら、尊重すべきだ」
その言葉に、部下は静かに頷いた。
ルーヴェン家の夜は、静かだった。
マルグリットは書斎で、再び辺境公爵からの書簡を開いていた。
何度読み返しても、そこには曖昧さがない。
必要な役割。
求められる範囲。
そして、拒否の自由。
「……初めてですわね」
誰かに“選択権”を与えられたのは。
王太子妃候補として育てられた日々は、常に「期待」に囲まれていた。
期待に応えることが当然で、断るという選択肢は存在しなかった。
だが今は違う。
彼女はペンを取った。
短く、しかし明確な返書を書く。
――正式な条件をご提示いただき、感謝いたします。
――政策顧問としての役割について、詳細を伺いたく存じます。
――その上で、改めて判断させてください。
それは、即答ではない。
だが、拒絶でもない。
“対等な立場で話す”という、明確な意思表示だった。
書簡を封じた瞬間、マルグリットは静かに理解する。
王宮と交わらない道は、すでに選び始めている。
これから選ぶのは――
誰かの都合ではなく、自分の意思による未来だ。
その頃、王宮ではロイドが一人、暗い執務室に残されていた。
机の上には、処理されない書類の山。
そして、届かぬ返事。
「……なぜ、こんなにも遠く感じる」
その呟きに答える者は、もういない。
交わらない選択は、
すでに、静かに、しかし確実に形を成し始めていた。
辺境公爵フェリクス・フォン・グランツからの書簡を受け取ってから、三日が経っていた。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、その間、あえて返事を書かなかった。
急ぐ理由はないし、慎重であることは、彼女の性分でもある。
机の上には、二種類の書簡が並んでいた。
一つは、辺境公爵から届いた、簡潔で明確な依頼文。
もう一つは、王宮から届いた、言葉を選びすぎた要請の数々。
それらを見比べるまでもなく、違いは明白だった。
「……同じ“必要とされる”でも、ずいぶん形が違いますわね」
マルグリットは小さく息を吐いた。
王宮からの書簡は、いずれも丁寧ではあるが、肝心な部分が欠けている。
どの立場で、どこまで責任を持たせるのか。
そして何より――なぜ、彼女でなければならないのか。
答えは、どこにも書かれていなかった。
その日の午後、ルーヴェン家に、再び王宮からの使者が訪れた。
「王太子殿下より、どうしても直接お話ししたいとのことで……」
使者の言葉に、マルグリットは視線を伏せたまま答える。
「殿下にお伝えください。私は、すでに王宮の人間ではありません」
「ですが――」
「正式な役職も、責任も示されておりません。その状態でお会いすることはできませんわ」
きっぱりとした拒絶だった。
感情は挟まれていない。ただ、線を引いただけだ。
使者は何も言い返せず、深く頭を下げて去っていった。
一方その頃、王宮では、状況がさらに悪化していた。
「外交使節団が、不満を公式文書で提出してきました」
「軍務部からは、補給遅延についての抗議が」
「財務部は、今月の決算すらまとめられていません」
報告が重なるたび、ロイド・ヴァルシュタインの表情は険しくなっていく。
「……なぜ、誰も全体を見られない」
苛立ち混じりの声が、執務室に響いた。
かつては、全体を“見ている人間”がいた。
自分が指示を出さずとも、気づけば整っていた。
それが、当たり前だと思っていた。
「殿下」
側近が、意を決したように口を開く。
「このままでは、取り返しがつきません。マルグリット様を――」
「分かっている!」
ロイドは声を荒げ、机を叩いた。
「だが、彼女は戻らない。あの態度を見ただろう」
苛立ちの奥に、焦りが滲んでいる。
それでも、彼はまだ理解していなかった。
彼女は“戻らない”のではない。
“戻る理由がない”のだ。
同じ頃、辺境公爵領では、フェリクス・フォン・グランツが執務机に向かっていた。
「返事は、まだ来ないか」
「はい。ただ、拒否の連絡もありません」
その報告に、フェリクスは小さく頷いた。
「それでいい。選択は、彼女自身のものだ」
彼は、マルグリットを急かすつもりはなかった。
彼女が王宮でどのような立場に置かれていたかも、
どれほどの責任を一人で背負っていたかも、記録から理解している。
必要なのは、“能力”ではない。
その能力を、尊重できる環境だ。
「もし断られたとしても、それはそれで構わない」
フェリクスはそう言い切る。
「彼女が選んだ道なら、尊重すべきだ」
その言葉に、部下は静かに頷いた。
ルーヴェン家の夜は、静かだった。
マルグリットは書斎で、再び辺境公爵からの書簡を開いていた。
何度読み返しても、そこには曖昧さがない。
必要な役割。
求められる範囲。
そして、拒否の自由。
「……初めてですわね」
誰かに“選択権”を与えられたのは。
王太子妃候補として育てられた日々は、常に「期待」に囲まれていた。
期待に応えることが当然で、断るという選択肢は存在しなかった。
だが今は違う。
彼女はペンを取った。
短く、しかし明確な返書を書く。
――正式な条件をご提示いただき、感謝いたします。
――政策顧問としての役割について、詳細を伺いたく存じます。
――その上で、改めて判断させてください。
それは、即答ではない。
だが、拒絶でもない。
“対等な立場で話す”という、明確な意思表示だった。
書簡を封じた瞬間、マルグリットは静かに理解する。
王宮と交わらない道は、すでに選び始めている。
これから選ぶのは――
誰かの都合ではなく、自分の意思による未来だ。
その頃、王宮ではロイドが一人、暗い執務室に残されていた。
机の上には、処理されない書類の山。
そして、届かぬ返事。
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その呟きに答える者は、もういない。
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