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第七話 静かな決断
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第七話 静かな決断
辺境公爵領からの返書が、ルーヴェン家に届いたのは、穏やかな朝だった。
封蝋を見た瞬間、マルグリット・フォン・ルーヴェンは、それが誰からのものかを理解する。
簡素で無駄のない紋章――フェリクス・フォン・グランツ。
彼女は応接間の窓辺に腰を下ろし、静かに封を切った。
――政策顧問としての役割は、領政全体の監督補佐。
――決裁権は公爵に帰属し、責任の所在は明確にする。
――意見は忌憚なく述べてほしいが、最終判断は私が下す。
――拘束は最小限。必要以上に時間を奪うことはしない。
――条件が合わなければ、断っていただいて構わない。
読み進めるほどに、マルグリットの表情は変わらなかった。
だが、胸の奥に、確かな感覚が芽生えている。
――尊重されている。
能力を欲されることは、これまでもあった。
だが、意思を尊重される経験は、ほとんどなかった。
「……よく考えられていますわね」
王宮の要請は、いつも曖昧だった。
責任だけを押しつけ、権限は与えない。
失敗すれば彼女のせい、成功しても名は残らない。
だが、この書簡は違う。
役割と責任が分かれている。
上下関係はあっても、対話の余地がある。
そして何より、「必要以上に縛らない」と明言している。
それは、彼女にとって、初めて提示された“健全な条件”だった。
その日の午後、マルグリットは父と向かい合っていた。
「……辺境公爵領、か」
ルーヴェン侯は、書簡に目を通し、ゆっくりと頷く。
「悪くない話だ。いや、正直に言えば、王宮よりもずっと健全だな」
「お父様も、そう思われますか」
「当然だ。王宮は、お前を“便利な存在”として扱っていた」
父は、珍しく辛辣だった。
「お前がいなくなって初めて、その価値に気づいたようだが……遅すぎる」
マルグリットは、静かに頷く。
「私は、戻るつもりはありません」
「分かっている」
父は微笑む。
「ならば、自分で選べ。今度こそな」
その言葉が、背中を押した。
夕暮れ時、マルグリットは書斎に戻り、ペンを取った。
何度も書き直す必要はなかった。
彼女の中では、すでに答えが固まっている。
――条件、拝読いたしました。
――政策顧問の役割について、了承いたします。
――ただし、提示された条件を正式文書として取り交わした上で、着任したく存じます。
――私の判断が、公爵領の利益に資するよう、最善を尽くします。
それは、感情を交えない、簡潔な承諾だった。
だが、その裏には、確かな決意がある。
書簡を封じた瞬間、マルグリットはふと、王宮での日々を思い出した。
終わりの見えない会議。
眠れぬ夜。
評価されない努力。
「……もう、戻りません」
それは誰に向けた言葉でもない。
自分自身への、確認だった。
一方、王宮では――。
「辺境公爵領に、行く……?」
その報告を受けたロイド・ヴァルシュタインは、言葉を失っていた。
「正式に、だそうです。条件付きで」
側近の声が、遠く聞こえる。
――条件付き。
その言葉が、胸に突き刺さる。
かつて、自分は彼女に条件を示したことがあっただろうか。
ただ、「そばにいろ」「支えろ」「分かってくれるだろう」と、
一方的に期待していただけではなかったか。
「……なぜ、俺のところには来ない」
小さな呟きは、誰にも届かない。
マルグリットは、すでに別の場所で、自分の意思を選んだ。
それは、彼の手の届かないところで進む、静かな決断だった。
辺境公爵フェリクス・フォン・グランツは、返書を受け取り、短く息を吐いた。
「そうか」
それだけで、十分だった。
「歓迎の準備を。だが、過剰なことはするな」
彼女は、飾りではない。
必要なのは、静かに働ける場所だけだ。
その夜、マルグリットは窓を開け、外の空気を吸い込んだ。
王宮の高い壁は、もう見えない。
あるのは、広がる夜空と、新しい道。
静かな決断は、
彼女の人生を、確かに別の方向へと導き始めていた。
辺境公爵領からの返書が、ルーヴェン家に届いたのは、穏やかな朝だった。
封蝋を見た瞬間、マルグリット・フォン・ルーヴェンは、それが誰からのものかを理解する。
簡素で無駄のない紋章――フェリクス・フォン・グランツ。
彼女は応接間の窓辺に腰を下ろし、静かに封を切った。
――政策顧問としての役割は、領政全体の監督補佐。
――決裁権は公爵に帰属し、責任の所在は明確にする。
――意見は忌憚なく述べてほしいが、最終判断は私が下す。
――拘束は最小限。必要以上に時間を奪うことはしない。
――条件が合わなければ、断っていただいて構わない。
読み進めるほどに、マルグリットの表情は変わらなかった。
だが、胸の奥に、確かな感覚が芽生えている。
――尊重されている。
能力を欲されることは、これまでもあった。
だが、意思を尊重される経験は、ほとんどなかった。
「……よく考えられていますわね」
王宮の要請は、いつも曖昧だった。
責任だけを押しつけ、権限は与えない。
失敗すれば彼女のせい、成功しても名は残らない。
だが、この書簡は違う。
役割と責任が分かれている。
上下関係はあっても、対話の余地がある。
そして何より、「必要以上に縛らない」と明言している。
それは、彼女にとって、初めて提示された“健全な条件”だった。
その日の午後、マルグリットは父と向かい合っていた。
「……辺境公爵領、か」
ルーヴェン侯は、書簡に目を通し、ゆっくりと頷く。
「悪くない話だ。いや、正直に言えば、王宮よりもずっと健全だな」
「お父様も、そう思われますか」
「当然だ。王宮は、お前を“便利な存在”として扱っていた」
父は、珍しく辛辣だった。
「お前がいなくなって初めて、その価値に気づいたようだが……遅すぎる」
マルグリットは、静かに頷く。
「私は、戻るつもりはありません」
「分かっている」
父は微笑む。
「ならば、自分で選べ。今度こそな」
その言葉が、背中を押した。
夕暮れ時、マルグリットは書斎に戻り、ペンを取った。
何度も書き直す必要はなかった。
彼女の中では、すでに答えが固まっている。
――条件、拝読いたしました。
――政策顧問の役割について、了承いたします。
――ただし、提示された条件を正式文書として取り交わした上で、着任したく存じます。
――私の判断が、公爵領の利益に資するよう、最善を尽くします。
それは、感情を交えない、簡潔な承諾だった。
だが、その裏には、確かな決意がある。
書簡を封じた瞬間、マルグリットはふと、王宮での日々を思い出した。
終わりの見えない会議。
眠れぬ夜。
評価されない努力。
「……もう、戻りません」
それは誰に向けた言葉でもない。
自分自身への、確認だった。
一方、王宮では――。
「辺境公爵領に、行く……?」
その報告を受けたロイド・ヴァルシュタインは、言葉を失っていた。
「正式に、だそうです。条件付きで」
側近の声が、遠く聞こえる。
――条件付き。
その言葉が、胸に突き刺さる。
かつて、自分は彼女に条件を示したことがあっただろうか。
ただ、「そばにいろ」「支えろ」「分かってくれるだろう」と、
一方的に期待していただけではなかったか。
「……なぜ、俺のところには来ない」
小さな呟きは、誰にも届かない。
マルグリットは、すでに別の場所で、自分の意思を選んだ。
それは、彼の手の届かないところで進む、静かな決断だった。
辺境公爵フェリクス・フォン・グランツは、返書を受け取り、短く息を吐いた。
「そうか」
それだけで、十分だった。
「歓迎の準備を。だが、過剰なことはするな」
彼女は、飾りではない。
必要なのは、静かに働ける場所だけだ。
その夜、マルグリットは窓を開け、外の空気を吸い込んだ。
王宮の高い壁は、もう見えない。
あるのは、広がる夜空と、新しい道。
静かな決断は、
彼女の人生を、確かに別の方向へと導き始めていた。
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