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第十四話 選ばれなかった者
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第十四話 選ばれなかった者
王宮の空気は、はっきりと変質していた。
誰もが気づいている。
だが、誰も口には出さない。
聖女エマの再検証が続く中、教会と王宮の距離は微妙に開き始め、重臣たちは互いの顔色を窺いながら動くようになっていた。
かつてのような一体感はなく、それぞれが「次に何が起きるか」を計算している。
その中心にいるはずのエマは、むしろ外縁へと押しやられつつあった。
控室の窓辺で、彼女は外を見つめている。
庭園では、以前なら必ず誰かが声をかけ、視線を向けた。
だが今は、誰も近づかない。
「……私、何かしましたか?」
問いかけは、宙に溶けるだけだった。
神官から渡された再検証の質問書は、すでに三度目になる。
内容は少しずつ厳しさを増し、もはや“確認”ではなく“精査”だった。
――祈祷の際、補助者は誰がいたか。
――環境条件は同一だったか。
――奇跡とされた事象に、第三者の検証はあったか。
「……分からない、分からない……」
エマは書類を閉じ、胸元を押さえた。
選ばれた存在なら、こんな問いに怯える必要はないはずだ。
なのに、答えられない自分がいる。
同じ頃、王太子ロイド・ヴァルシュタインは、重臣たちとの非公式な会合に臨んでいた。
「……教会は、結論を急いでいるようだ」
「当然でしょう。曖昧な聖女を抱え続けるのは、教義上も問題です」
「問題なのは、それだけではありません」
別の重臣が言葉を継ぐ。
「聖女を担ぎ上げた責任が、どこにあるか――そこも、見られています」
ロイドの指が、机の縁を強く握る。
「……私に、責があると言いたいのか」
「殿下が最も強く推されたのは、事実です」
否定は、なかった。
ロイドは、視線を伏せる。
聖女を信じたこと。
そして、マルグリット・フォン・ルーヴェンを軽んじたこと。
その二つが、今になって一つの線で結ばれようとしている。
「……彼女がいれば」
思わず漏れた言葉に、場の空気が張り詰めた。
「マルグリット様がいれば、ここまで混乱しなかったでしょうな」
誰かが、あえて口にした。
「殿下の判断を補い、教会と王宮の間を調整できた」
「……もう、いない」
ロイドは低く言う。
「彼女は、辺境公爵領にいる」
その事実は、痛いほど重かった。
一方、辺境公爵領では。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、領内の視察から戻り、簡単な報告をまとめていた。
街道補修の第二段階が始まり、物流拠点の再配置も順調だ。
「……問題は、特にありません」
淡々とした報告に、フェリクス・フォン・グランツは頷く。
「こちらでは、あなたの役割は明確だ」
「はい」
マルグリットは、顔を上げる。
「判断し、提案し、責任を分け合う。それだけです」
「王宮とは、違うか」
「……ええ」
短い肯定には、すべてが込められていた。
その夜、王宮では、ついに決定的な動きがあった。
教会から、正式な通達が届いたのだ。
――聖女エマの称号について、暫定停止を検討する。
「……暫定、停止?」
通達を受け取ったエマは、声を震わせた。
「それって……どういう……」
神官は、視線を逸らす。
「再検証が終わるまで、聖女としての公的な役割を控えていただきます」
「そんな……私は……」
言葉が、続かない。
選ばれたはずの存在が、
選ばれなかったかもしれない――。
その現実を、エマは初めて突きつけられていた。
同時に、王宮内では別の噂が広がり始める。
「……本当に必要だったのは、誰だったのか」
「奇跡か、調整か」
「派手な存在より、黙って支える者だったのでは」
名前は、はっきりとは出ない。
だが、皆が同じ人物を思い浮かべている。
マルグリット・フォン・ルーヴェン。
選ばれなかった者。
いや――選ばなかった者。
辺境公爵領の夜は、静かだった。
マルグリットは窓辺に立ち、遠くの灯りを眺める。
王宮で起きていることは、もう他人事だ。
同情はあるが、後悔はない。
「……選ばれることが、幸せとは限りません」
小さく呟いた言葉は、風に溶けた。
選ばれなかった者が、
自分で場所を選び、役割を選び、前に進む。
その現実こそが、
王宮と辺境公爵領を隔てる、決定的な違いだった。
そしてその違いは、
もう誰の目にも、隠せないほど明確になっていた。
王宮の空気は、はっきりと変質していた。
誰もが気づいている。
だが、誰も口には出さない。
聖女エマの再検証が続く中、教会と王宮の距離は微妙に開き始め、重臣たちは互いの顔色を窺いながら動くようになっていた。
かつてのような一体感はなく、それぞれが「次に何が起きるか」を計算している。
その中心にいるはずのエマは、むしろ外縁へと押しやられつつあった。
控室の窓辺で、彼女は外を見つめている。
庭園では、以前なら必ず誰かが声をかけ、視線を向けた。
だが今は、誰も近づかない。
「……私、何かしましたか?」
問いかけは、宙に溶けるだけだった。
神官から渡された再検証の質問書は、すでに三度目になる。
内容は少しずつ厳しさを増し、もはや“確認”ではなく“精査”だった。
――祈祷の際、補助者は誰がいたか。
――環境条件は同一だったか。
――奇跡とされた事象に、第三者の検証はあったか。
「……分からない、分からない……」
エマは書類を閉じ、胸元を押さえた。
選ばれた存在なら、こんな問いに怯える必要はないはずだ。
なのに、答えられない自分がいる。
同じ頃、王太子ロイド・ヴァルシュタインは、重臣たちとの非公式な会合に臨んでいた。
「……教会は、結論を急いでいるようだ」
「当然でしょう。曖昧な聖女を抱え続けるのは、教義上も問題です」
「問題なのは、それだけではありません」
別の重臣が言葉を継ぐ。
「聖女を担ぎ上げた責任が、どこにあるか――そこも、見られています」
ロイドの指が、机の縁を強く握る。
「……私に、責があると言いたいのか」
「殿下が最も強く推されたのは、事実です」
否定は、なかった。
ロイドは、視線を伏せる。
聖女を信じたこと。
そして、マルグリット・フォン・ルーヴェンを軽んじたこと。
その二つが、今になって一つの線で結ばれようとしている。
「……彼女がいれば」
思わず漏れた言葉に、場の空気が張り詰めた。
「マルグリット様がいれば、ここまで混乱しなかったでしょうな」
誰かが、あえて口にした。
「殿下の判断を補い、教会と王宮の間を調整できた」
「……もう、いない」
ロイドは低く言う。
「彼女は、辺境公爵領にいる」
その事実は、痛いほど重かった。
一方、辺境公爵領では。
マルグリット・フォン・ルーヴェンは、領内の視察から戻り、簡単な報告をまとめていた。
街道補修の第二段階が始まり、物流拠点の再配置も順調だ。
「……問題は、特にありません」
淡々とした報告に、フェリクス・フォン・グランツは頷く。
「こちらでは、あなたの役割は明確だ」
「はい」
マルグリットは、顔を上げる。
「判断し、提案し、責任を分け合う。それだけです」
「王宮とは、違うか」
「……ええ」
短い肯定には、すべてが込められていた。
その夜、王宮では、ついに決定的な動きがあった。
教会から、正式な通達が届いたのだ。
――聖女エマの称号について、暫定停止を検討する。
「……暫定、停止?」
通達を受け取ったエマは、声を震わせた。
「それって……どういう……」
神官は、視線を逸らす。
「再検証が終わるまで、聖女としての公的な役割を控えていただきます」
「そんな……私は……」
言葉が、続かない。
選ばれたはずの存在が、
選ばれなかったかもしれない――。
その現実を、エマは初めて突きつけられていた。
同時に、王宮内では別の噂が広がり始める。
「……本当に必要だったのは、誰だったのか」
「奇跡か、調整か」
「派手な存在より、黙って支える者だったのでは」
名前は、はっきりとは出ない。
だが、皆が同じ人物を思い浮かべている。
マルグリット・フォン・ルーヴェン。
選ばれなかった者。
いや――選ばなかった者。
辺境公爵領の夜は、静かだった。
マルグリットは窓辺に立ち、遠くの灯りを眺める。
王宮で起きていることは、もう他人事だ。
同情はあるが、後悔はない。
「……選ばれることが、幸せとは限りません」
小さく呟いた言葉は、風に溶けた。
選ばれなかった者が、
自分で場所を選び、役割を選び、前に進む。
その現実こそが、
王宮と辺境公爵領を隔てる、決定的な違いだった。
そしてその違いは、
もう誰の目にも、隠せないほど明確になっていた。
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