婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ

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第十三話 疑念という名の波紋

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第十三話 疑念という名の波紋

 王宮の廊下を歩く者たちの足取りは、どこか重かった。

 聖女エマの再検証が進んでいるという事実は、すでに隠しきれるものではなくなっている。
 正式な発表こそまだだが、教会関係者の動き、祈祷の縮小、王太子ロイド・ヴァルシュタインの態度の変化――それらが重なり、誰もが「以前とは違う」と感じ始めていた。

「……最近、聖女様の話題は避けられていますな」

 執務官の一人が、同僚に小声で囁く。

「ええ。下手に口にすれば、どちらにつくのかを問われかねません」

 それは、単なる噂話ではなかった。
 立場を見極めなければならない段階に、王宮は入っていた。

 一方、その中心にいるはずのエマは、自分の足元が揺らいでいることを、ようやくはっきりと自覚し始めていた。

 礼拝堂での祈祷を終えた後、彼女は一人で控室に戻る。
 かつてなら、神官や侍女が声をかけ、次の予定を伝えてくれた。
 だが今は、誰もいない。

「……どうして、誰も来ないの」

 小さく呟いた声は、石造りの壁に吸い込まれて消える。

 机の上には、教会から渡された書類が置かれていた。
 “再確認のための質問事項”。
 それは、遠回しではあるが、明確な意図を含んでいる。

 ――奇跡は、どのような条件で起きたのか。
 ――再現は可能か。
 ――過去の事例と一致する点はあるか。

「……そんなの、分からない」

 エマは、書類を握りしめた。

 奇跡は、起きた。
 少なくとも、彼女自身はそう信じている。

 だが、どうして起きたのか、なぜ続かないのか。
 それを説明できなければ、“選ばれた存在”ではいられない。

 同じ頃、ロイドは重臣たちとの会議に臨んでいた。

「教会からの報告では、再検証には時間がかかるとのことです」

「時間、か……」

 ロイドは、深く椅子にもたれた。

「その間、聖女としての扱いはどうなる」

「形式上は維持されますが、実務的な影響力は制限されるでしょう」

 その言葉に、ロイドの眉がわずかに動く。

「……つまり、頼れないということか」

 誰も否定しなかった。

 かつて、彼はエマの言葉を信じ、彼女の存在を根拠に判断を下してきた。
 だが今、その判断そのものが疑問視され始めている。

「殿下」

 重臣の一人が、慎重に切り出す。

「この状況では、政務の立て直しが急務です。
 辺境公爵領の動きは、すでに成果を上げているとの報告もあります」

 ロイドは、思わず顔を上げた。

「……マルグリットか」

「はい。彼女の関与が大きいと」

 その名が出るたび、胸の奥に鈍い痛みが走る。

 彼女が去ったのは、自分の判断だ。
 だが、その結果が、ここまで重くのしかかるとは思っていなかった。

 一方、辺境公爵領では、マルグリット・フォン・ルーヴェンが、別の報告を受けていた。

「教会が、聖女エマの再検証を本格化させたようです」

 文官の言葉に、彼女は静かに頷く。

「予想どおりですね」

「王宮では、混乱が続いているとか」

「……でしょうね」

 マルグリットの声には、同情も、優越感もなかった。
 ただ、事実を受け止めているだけだ。

「こちらは、次の施策に移りましょう。街道整備の第二段階です」

 彼女は資料を広げ、淡々と指示を出す。

 辺境公爵領では、問題が起きれば議論し、決め、動く。
 その単純な流れが、確実に成果を生んでいる。

 フェリクス・フォン・グランツは、その様子を見ながら言った。

「王宮は、そろそろ限界だろうな」

「ええ」

 マルグリットは視線を上げる。

「支えが崩れた状態で、疑念が広がれば、いずれ選択を迫られます」

「誰を切るか、か」

「あるいは、誰を戻そうとするか」

 その言葉に、フェリクスは小さく笑った。

「だが、あなたは戻らない」

「はい」

 即答だった。

 その夜、王宮では、エマが再びロイドを訪ねていた。

「殿下……最近、皆が冷たいのです」

 縋るような声に、ロイドは一瞬、言葉を失う。

「教会も、私を疑っているみたいで……」

「……今は、静かにしていろ」

 それは、突き放すような言葉だった。

「検証が終わるまでは、余計な動きはするな」

 エマは、その場に立ち尽くす。

 守ってくれると思っていた人が、
 いつの間にか、距離を取っている。

「……分かりました」

 そう答えるしかなかった。

 扉が閉まった後、ロイドは一人、深く息を吐いた。

 聖女を信じた自分。
 マルグリットを手放した自分。

 どちらの判断も、今は疑念に包まれている。

 王宮に広がるのは、確信ではなく、不安だ。
 その不安は、静かに波紋となり、やがて誰かを飲み込む。

 ――疑念という名の波紋は、もう止められない。

 そしてその波は、
 選ばれる者と、切り捨てられる者を、はっきりと分け始めていた。
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