13 / 40
第十三話 疑念という名の波紋
しおりを挟む
第十三話 疑念という名の波紋
王宮の廊下を歩く者たちの足取りは、どこか重かった。
聖女エマの再検証が進んでいるという事実は、すでに隠しきれるものではなくなっている。
正式な発表こそまだだが、教会関係者の動き、祈祷の縮小、王太子ロイド・ヴァルシュタインの態度の変化――それらが重なり、誰もが「以前とは違う」と感じ始めていた。
「……最近、聖女様の話題は避けられていますな」
執務官の一人が、同僚に小声で囁く。
「ええ。下手に口にすれば、どちらにつくのかを問われかねません」
それは、単なる噂話ではなかった。
立場を見極めなければならない段階に、王宮は入っていた。
一方、その中心にいるはずのエマは、自分の足元が揺らいでいることを、ようやくはっきりと自覚し始めていた。
礼拝堂での祈祷を終えた後、彼女は一人で控室に戻る。
かつてなら、神官や侍女が声をかけ、次の予定を伝えてくれた。
だが今は、誰もいない。
「……どうして、誰も来ないの」
小さく呟いた声は、石造りの壁に吸い込まれて消える。
机の上には、教会から渡された書類が置かれていた。
“再確認のための質問事項”。
それは、遠回しではあるが、明確な意図を含んでいる。
――奇跡は、どのような条件で起きたのか。
――再現は可能か。
――過去の事例と一致する点はあるか。
「……そんなの、分からない」
エマは、書類を握りしめた。
奇跡は、起きた。
少なくとも、彼女自身はそう信じている。
だが、どうして起きたのか、なぜ続かないのか。
それを説明できなければ、“選ばれた存在”ではいられない。
同じ頃、ロイドは重臣たちとの会議に臨んでいた。
「教会からの報告では、再検証には時間がかかるとのことです」
「時間、か……」
ロイドは、深く椅子にもたれた。
「その間、聖女としての扱いはどうなる」
「形式上は維持されますが、実務的な影響力は制限されるでしょう」
その言葉に、ロイドの眉がわずかに動く。
「……つまり、頼れないということか」
誰も否定しなかった。
かつて、彼はエマの言葉を信じ、彼女の存在を根拠に判断を下してきた。
だが今、その判断そのものが疑問視され始めている。
「殿下」
重臣の一人が、慎重に切り出す。
「この状況では、政務の立て直しが急務です。
辺境公爵領の動きは、すでに成果を上げているとの報告もあります」
ロイドは、思わず顔を上げた。
「……マルグリットか」
「はい。彼女の関与が大きいと」
その名が出るたび、胸の奥に鈍い痛みが走る。
彼女が去ったのは、自分の判断だ。
だが、その結果が、ここまで重くのしかかるとは思っていなかった。
一方、辺境公爵領では、マルグリット・フォン・ルーヴェンが、別の報告を受けていた。
「教会が、聖女エマの再検証を本格化させたようです」
文官の言葉に、彼女は静かに頷く。
「予想どおりですね」
「王宮では、混乱が続いているとか」
「……でしょうね」
マルグリットの声には、同情も、優越感もなかった。
ただ、事実を受け止めているだけだ。
「こちらは、次の施策に移りましょう。街道整備の第二段階です」
彼女は資料を広げ、淡々と指示を出す。
辺境公爵領では、問題が起きれば議論し、決め、動く。
その単純な流れが、確実に成果を生んでいる。
フェリクス・フォン・グランツは、その様子を見ながら言った。
「王宮は、そろそろ限界だろうな」
「ええ」
マルグリットは視線を上げる。
「支えが崩れた状態で、疑念が広がれば、いずれ選択を迫られます」
「誰を切るか、か」
「あるいは、誰を戻そうとするか」
その言葉に、フェリクスは小さく笑った。
「だが、あなたは戻らない」
「はい」
即答だった。
その夜、王宮では、エマが再びロイドを訪ねていた。
「殿下……最近、皆が冷たいのです」
縋るような声に、ロイドは一瞬、言葉を失う。
「教会も、私を疑っているみたいで……」
「……今は、静かにしていろ」
それは、突き放すような言葉だった。
「検証が終わるまでは、余計な動きはするな」
エマは、その場に立ち尽くす。
守ってくれると思っていた人が、
いつの間にか、距離を取っている。
「……分かりました」
そう答えるしかなかった。
扉が閉まった後、ロイドは一人、深く息を吐いた。
聖女を信じた自分。
マルグリットを手放した自分。
どちらの判断も、今は疑念に包まれている。
王宮に広がるのは、確信ではなく、不安だ。
その不安は、静かに波紋となり、やがて誰かを飲み込む。
――疑念という名の波紋は、もう止められない。
そしてその波は、
選ばれる者と、切り捨てられる者を、はっきりと分け始めていた。
王宮の廊下を歩く者たちの足取りは、どこか重かった。
聖女エマの再検証が進んでいるという事実は、すでに隠しきれるものではなくなっている。
正式な発表こそまだだが、教会関係者の動き、祈祷の縮小、王太子ロイド・ヴァルシュタインの態度の変化――それらが重なり、誰もが「以前とは違う」と感じ始めていた。
「……最近、聖女様の話題は避けられていますな」
執務官の一人が、同僚に小声で囁く。
「ええ。下手に口にすれば、どちらにつくのかを問われかねません」
それは、単なる噂話ではなかった。
立場を見極めなければならない段階に、王宮は入っていた。
一方、その中心にいるはずのエマは、自分の足元が揺らいでいることを、ようやくはっきりと自覚し始めていた。
礼拝堂での祈祷を終えた後、彼女は一人で控室に戻る。
かつてなら、神官や侍女が声をかけ、次の予定を伝えてくれた。
だが今は、誰もいない。
「……どうして、誰も来ないの」
小さく呟いた声は、石造りの壁に吸い込まれて消える。
机の上には、教会から渡された書類が置かれていた。
“再確認のための質問事項”。
それは、遠回しではあるが、明確な意図を含んでいる。
――奇跡は、どのような条件で起きたのか。
――再現は可能か。
――過去の事例と一致する点はあるか。
「……そんなの、分からない」
エマは、書類を握りしめた。
奇跡は、起きた。
少なくとも、彼女自身はそう信じている。
だが、どうして起きたのか、なぜ続かないのか。
それを説明できなければ、“選ばれた存在”ではいられない。
同じ頃、ロイドは重臣たちとの会議に臨んでいた。
「教会からの報告では、再検証には時間がかかるとのことです」
「時間、か……」
ロイドは、深く椅子にもたれた。
「その間、聖女としての扱いはどうなる」
「形式上は維持されますが、実務的な影響力は制限されるでしょう」
その言葉に、ロイドの眉がわずかに動く。
「……つまり、頼れないということか」
誰も否定しなかった。
かつて、彼はエマの言葉を信じ、彼女の存在を根拠に判断を下してきた。
だが今、その判断そのものが疑問視され始めている。
「殿下」
重臣の一人が、慎重に切り出す。
「この状況では、政務の立て直しが急務です。
辺境公爵領の動きは、すでに成果を上げているとの報告もあります」
ロイドは、思わず顔を上げた。
「……マルグリットか」
「はい。彼女の関与が大きいと」
その名が出るたび、胸の奥に鈍い痛みが走る。
彼女が去ったのは、自分の判断だ。
だが、その結果が、ここまで重くのしかかるとは思っていなかった。
一方、辺境公爵領では、マルグリット・フォン・ルーヴェンが、別の報告を受けていた。
「教会が、聖女エマの再検証を本格化させたようです」
文官の言葉に、彼女は静かに頷く。
「予想どおりですね」
「王宮では、混乱が続いているとか」
「……でしょうね」
マルグリットの声には、同情も、優越感もなかった。
ただ、事実を受け止めているだけだ。
「こちらは、次の施策に移りましょう。街道整備の第二段階です」
彼女は資料を広げ、淡々と指示を出す。
辺境公爵領では、問題が起きれば議論し、決め、動く。
その単純な流れが、確実に成果を生んでいる。
フェリクス・フォン・グランツは、その様子を見ながら言った。
「王宮は、そろそろ限界だろうな」
「ええ」
マルグリットは視線を上げる。
「支えが崩れた状態で、疑念が広がれば、いずれ選択を迫られます」
「誰を切るか、か」
「あるいは、誰を戻そうとするか」
その言葉に、フェリクスは小さく笑った。
「だが、あなたは戻らない」
「はい」
即答だった。
その夜、王宮では、エマが再びロイドを訪ねていた。
「殿下……最近、皆が冷たいのです」
縋るような声に、ロイドは一瞬、言葉を失う。
「教会も、私を疑っているみたいで……」
「……今は、静かにしていろ」
それは、突き放すような言葉だった。
「検証が終わるまでは、余計な動きはするな」
エマは、その場に立ち尽くす。
守ってくれると思っていた人が、
いつの間にか、距離を取っている。
「……分かりました」
そう答えるしかなかった。
扉が閉まった後、ロイドは一人、深く息を吐いた。
聖女を信じた自分。
マルグリットを手放した自分。
どちらの判断も、今は疑念に包まれている。
王宮に広がるのは、確信ではなく、不安だ。
その不安は、静かに波紋となり、やがて誰かを飲み込む。
――疑念という名の波紋は、もう止められない。
そしてその波は、
選ばれる者と、切り捨てられる者を、はっきりと分け始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる