婚約破棄された令嬢は、選ばれる人生をやめました

ふわふわ

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第7話 奥様は、気づけば公爵家の中心にいた

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第7話 奥様は、気づけば公爵家の中心にいた

 シュタインベルク公国の公爵邸では、朝の空気がいつもよりわずかに慌ただしかった。

「……確認をお願いします」

「ええ、こちらで問題ありませんわ」

 執務棟の一室。
 長机を囲むようにして、数名の官僚と使用人たちが立っている。

 その中心にいるのは――セラフィナ・ヴァルシュタイン。

 正式に公爵夫人となってから、まだ日も浅い。
 それにもかかわらず、彼女はすでに“当たり前の存在”として、この場にいた。

「北部街道の補修計画ですが、工期を三期に分けましょう。
 一気に進めるより、物流への影響が最小限で済みます」

「ですが、それでは予算が……」

「予算は増えません。
 代わりに、こちらの倉庫建設を半年遅らせます」

 即答だった。

 しかも、迷いがない。

「倉庫は、今年中に完成させる必要がありますか?」

 官僚の一人が戸惑いながら問い返す。

「いいえ。
 交易量の増加は、来年の秋以降ですわ。
 それまでに間に合えば十分です」

 沈黙。

 やがて、官僚たちは顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。

「……確かに、その通りです」

「では、その案で進めます」

 セラフィナは書類に印をつけ、次の案件へと視線を移した。

 それを少し離れた位置から見ていたのが、側近のクラウスだった。

(……早い)

 理解も、判断も、決断も。

 無駄が一切ない。

 しかも彼女は、決して声を荒げない。
 命令口調でもない。

 ただ、“正解”を淡々と提示するだけだ。

 会議が終わり、官僚たちが退出したあと。

 クラウスは、思わず口を開いていた。

「……奥様」

「何か?」

「失礼ながら……
 以前から、これほどの業務を?」

「ええ。似たようなことは」

 さらりと答える。

 自慢も、誇張もない。

 クラウスは、内心で苦笑した。

(似たようなこと、では済まないだろうに)

 その日の午後。

 公爵邸の使用人たちの間で、ひそひそとした会話が交わされ始めていた。

「奥様、もう領地の数字を全部把握なさってるらしいわよ」
「え? あの量を?」
「昨夜も、遅くまで執務室に灯りがついてたって」

「でも、不思議と疲れた様子がないのよね……」

 誰かが、ぽつりと言った。

「……公爵様、当たりを引かれたわね」

 その噂は、静かに、しかし確実に広がっていく。

 夕刻。

 カルヴァスは執務室で、いつものように書類を確認していた。

 そこへ、クラウスが報告に入る。

「本日の会議の件ですが……
 奥様の提案通りで、全会一致となりました」

「そうか」

 短い返事。

 だが、視線は書類から離れない。

「加えて……
 官僚たちの士気が、明らかに上がっています」

 その言葉に、カルヴァスの手が止まった。

「理由は?」

「“判断が早く、説明が的確だから”と」

 沈黙。

 数秒後、カルヴァスは静かに言った。

「……当然だ」

 だが、その声音は、どこか満足げだった。

 夜。

 執務を終えたセラフィナは、自室で紅茶を淹れていた。

 湯気の立つカップを手に、ソファへ腰を下ろす。

(……思った以上に、仕事が回りますわね)

 公爵家は、合理的だ。
 決断が早く、無駄な抵抗もない。

 だからこそ、自分の能力が、そのまま結果に繋がる。

 ――心地いい。

 そこへ、控えめなノック音。

「入って」

 扉の向こうに立っていたのは、カルヴァスだった。

「少し、時間はいいか」

「ええ」

 彼は部屋に入り、簡素な椅子に腰を下ろす。

「今日の判断だが……
 北部街道の件、非常に助かった」

 それは、はっきりとした評価だった。

「ありがとうございます。
 必要なことをしただけですわ」

 カルヴァスは、少し考えるように視線を落とす。

「……君は、本当に疲れを見せないな」

「慣れておりますので」

「それでもだ」

 彼は、真っ直ぐにこちらを見た。

「無理はするな。
 公爵夫人である前に、協力者だ」

 その言葉に、セラフィナはわずかに目を見開いた。

「……お気遣い、ありがとうございます」

 沈黙。

 だが、居心地は悪くない。

「必要であれば、人を増やす。
 君一人に、負担を集中させるつもりはない」

 それは、王国では一度も聞いたことのない言葉だった。

(……ああ)

 胸の奥で、何かが静かに温まる。

「そのときは、お願い致しますわ」

 カルヴァスは、短く頷いた。

 部屋を出る直前、彼はふと足を止める。

「……公爵家の者たちが、君を高く評価している」

「そうですか」

「ああ。
 私もだ」

 それだけ言い残し、扉が閉まる。

 セラフィナは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 評価されること。
 正当に、静かに。

(……悪くありませんわね)

 その頃、王国では。

 依然として、歯車は噛み合わないままだった。

 だが、シュタインベルク公国では――
 新たな歯車が、すでに正しい音を立てて回り始めている。

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