12 / 40
第十二話 王都、揺れる
しおりを挟む
第十二話 王都、揺れる
王都は、甘い香りに包まれていた。
いや、正確には――“包まれていると錯覚していた”。
北から届いた白砂糖は、当初こそ物珍しさで歓迎されたが、いまや日常に溶け込み始めている。菓子職人は競うように新作を生み出し、茶会では砂糖壺が堂々と卓上に置かれるようになった。
それは、静かな革命だった。
けれど、王宮の空気は甘くない。
謁見の間で、王太子は苛立ちを隠さなかった。
「北の税収が急増しているだと?」
財務官が額に汗を浮かべる。
「は、はい。砂糖精製工房の利益により、昨年比で三倍……いえ、今期はさらに増加が見込まれます」
「馬鹿な。あんな芋女が……」
その言葉に、側近たちの視線がわずかに揺れた。
かつて婚約者だった公爵令嬢。
北へ追いやられたはずの存在。
だが、彼女は敗者ではなかった。
王都の市場価格が下がったことで、庶民の消費は活発化している。菓子屋は繁盛し、茶葉の売上も増加。結果として、王都商人の総利益は落ちていない。
――だが、独占は崩れた。
それが気に入らない者たちがいる。
商人ギルドは、王太子へ嘆願を出した。
「北の砂糖は市場を乱す危険な品です。専売制を敷くべきかと」
財務官は慎重に反論する。
「しかし専売にすれば、王家が買い取る資金が必要です。現在の財政では……」
王太子は歯噛みする。
専売にすれば支配できる。
だが、買い上げる余力がない。
北はすでに現金を持っている。
そこが痛い。
一方その頃。
北の街は活気に満ちていた。
砂糖精製塔から立ち上る蒸気。
乾燥室で静かに結晶化する白い粒。
農民はてんさいを誇らしげに積み上げる。
「公爵令嬢様のおかげで、今年は暖炉を新しくできた」
「娘を学校へ通わせられる」
笑顔が増えた。
私は視察の途中で足を止める。
甘い匂い。
パンケーキの焼ける音。
カフェには行列ができている。
硬い黒パンしか知らなかった旅人が、
ふわふわの一枚に驚愕する。
「……こんな柔らかいものが」
ベイキングパウダーは静かに革命を起こしていた。
卵を何時間も泡立てる必要はない。
湿度が低い北では粉の保存も容易。
天然の冷涼気候は乳製品の劣化を遅らせる。
ここは、理にかなった菓子の地だった。
私はふと空を見上げる。
青い。澄んでいる。
王都では湿気で粉が固まりやすい。
夏は牛乳がすぐ腐る。
北は逆だ。
寒さが味方をする。
「絶望は、視点の欠如でしたわね」
私は微笑む。
王都では不可能。
北では可能。
条件が違うだけ。
だが、問題は次の段階に移っていた。
数日後、王都から正式な使者が到着する。
王家の紋章入り封書。
内容は――
「王都にて、北産砂糖の品質確認および製造技術公開を求む」
公開。
つまり、技術開示。
実質的な圧力だ。
精製工程、結晶化技術、乾燥管理。
それらが王都へ流れれば、優位性は薄れる。
私は執務室で静かに考える。
拒否すれば対立。
応じれば模倣。
だが。
技術は真似できても、土地は真似できない。
寒冷な気候。
低湿度。
てんさい栽培に適した土壌。
そして。
この地の民の結束。
「公開いたしましょう」
側近が驚く。
「よろしいのですか?」
「ええ。ただし“全部”ではありません」
工程の基礎は見せる。
だが効率化の核心は伏せる。
そして、王都で再現できない理由を、
自然に理解させる。
王太子は技術を奪えると思うだろう。
だが気候までは奪えない。
数日後。
私は王都へ向かう馬車に乗る。
久しぶりの王宮。
甘い香りが漂う市場。
けれど、空気は張り詰めている。
王太子は私を見下ろすように言った。
「随分と繁盛しているそうだな」
「おかげさまで」
「技術を王家管理下に置くのが国益だと思わぬか?」
私は静かに返す。
「国益とは、誰の利益でございましょう?」
一瞬、空気が凍る。
甘味革命は、経済を動かした。
いま、それは政治を揺らす。
王都は揺れている。
甘いはずの砂糖が、
苦い対立を生む。
だが私は退かない。
ここまで築いたのは、
奇跡ではなく計算。
北のお菓子の国は、
もう夢ではない。
そして王太子は気づいていない。
彼が手放した婚約者は、
“王妃候補”ではなく――
国家財政を動かす存在だったことに。
王都は、甘い香りに包まれていた。
いや、正確には――“包まれていると錯覚していた”。
北から届いた白砂糖は、当初こそ物珍しさで歓迎されたが、いまや日常に溶け込み始めている。菓子職人は競うように新作を生み出し、茶会では砂糖壺が堂々と卓上に置かれるようになった。
それは、静かな革命だった。
けれど、王宮の空気は甘くない。
謁見の間で、王太子は苛立ちを隠さなかった。
「北の税収が急増しているだと?」
財務官が額に汗を浮かべる。
「は、はい。砂糖精製工房の利益により、昨年比で三倍……いえ、今期はさらに増加が見込まれます」
「馬鹿な。あんな芋女が……」
その言葉に、側近たちの視線がわずかに揺れた。
かつて婚約者だった公爵令嬢。
北へ追いやられたはずの存在。
だが、彼女は敗者ではなかった。
王都の市場価格が下がったことで、庶民の消費は活発化している。菓子屋は繁盛し、茶葉の売上も増加。結果として、王都商人の総利益は落ちていない。
――だが、独占は崩れた。
それが気に入らない者たちがいる。
商人ギルドは、王太子へ嘆願を出した。
「北の砂糖は市場を乱す危険な品です。専売制を敷くべきかと」
財務官は慎重に反論する。
「しかし専売にすれば、王家が買い取る資金が必要です。現在の財政では……」
王太子は歯噛みする。
専売にすれば支配できる。
だが、買い上げる余力がない。
北はすでに現金を持っている。
そこが痛い。
一方その頃。
北の街は活気に満ちていた。
砂糖精製塔から立ち上る蒸気。
乾燥室で静かに結晶化する白い粒。
農民はてんさいを誇らしげに積み上げる。
「公爵令嬢様のおかげで、今年は暖炉を新しくできた」
「娘を学校へ通わせられる」
笑顔が増えた。
私は視察の途中で足を止める。
甘い匂い。
パンケーキの焼ける音。
カフェには行列ができている。
硬い黒パンしか知らなかった旅人が、
ふわふわの一枚に驚愕する。
「……こんな柔らかいものが」
ベイキングパウダーは静かに革命を起こしていた。
卵を何時間も泡立てる必要はない。
湿度が低い北では粉の保存も容易。
天然の冷涼気候は乳製品の劣化を遅らせる。
ここは、理にかなった菓子の地だった。
私はふと空を見上げる。
青い。澄んでいる。
王都では湿気で粉が固まりやすい。
夏は牛乳がすぐ腐る。
北は逆だ。
寒さが味方をする。
「絶望は、視点の欠如でしたわね」
私は微笑む。
王都では不可能。
北では可能。
条件が違うだけ。
だが、問題は次の段階に移っていた。
数日後、王都から正式な使者が到着する。
王家の紋章入り封書。
内容は――
「王都にて、北産砂糖の品質確認および製造技術公開を求む」
公開。
つまり、技術開示。
実質的な圧力だ。
精製工程、結晶化技術、乾燥管理。
それらが王都へ流れれば、優位性は薄れる。
私は執務室で静かに考える。
拒否すれば対立。
応じれば模倣。
だが。
技術は真似できても、土地は真似できない。
寒冷な気候。
低湿度。
てんさい栽培に適した土壌。
そして。
この地の民の結束。
「公開いたしましょう」
側近が驚く。
「よろしいのですか?」
「ええ。ただし“全部”ではありません」
工程の基礎は見せる。
だが効率化の核心は伏せる。
そして、王都で再現できない理由を、
自然に理解させる。
王太子は技術を奪えると思うだろう。
だが気候までは奪えない。
数日後。
私は王都へ向かう馬車に乗る。
久しぶりの王宮。
甘い香りが漂う市場。
けれど、空気は張り詰めている。
王太子は私を見下ろすように言った。
「随分と繁盛しているそうだな」
「おかげさまで」
「技術を王家管理下に置くのが国益だと思わぬか?」
私は静かに返す。
「国益とは、誰の利益でございましょう?」
一瞬、空気が凍る。
甘味革命は、経済を動かした。
いま、それは政治を揺らす。
王都は揺れている。
甘いはずの砂糖が、
苦い対立を生む。
だが私は退かない。
ここまで築いたのは、
奇跡ではなく計算。
北のお菓子の国は、
もう夢ではない。
そして王太子は気づいていない。
彼が手放した婚約者は、
“王妃候補”ではなく――
国家財政を動かす存在だったことに。
91
あなたにおすすめの小説
「君は地味な裏方だ」と愛人を優遇するサイコパス気質の夫。〜私が去った後、商会の技術が全て私の手によるものだと気づいても、もう手遅れです〜
水上
恋愛
「君は地味だから裏方に徹しろ」
効率主義のサイコパス気質な夫は、妻であるクララの磨いた硝子を愛人の手柄にし、クララを工房に幽閉した。
彼女は感情を捨て、機械のように振る舞う。
だが、クララの成果を奪い取り、夫が愛人を壇上に上げた夜、クララの心は完全に凍りついた。
彼に残した書き置きは一通のみ。
クララが去った後、商会の製品はただの石ころに戻り、夫の計算は音を立てて狂い始める。
これは、深い絶望と、遅すぎた後悔の物語。
「10歳の頃の想いなど熱病と同じ」と婚約者は言いました──さようなら【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王太子フリードリヒの婚約者として、幼い頃から王妃教育を受けてきたアメリア・エレファウント公爵令嬢。
誰もが羨む未来を約束された彼女の世界は、ある日突然1人の少女の登場によって揺らぎ始める。
無邪気な笑顔で距離を(意図的に)間違える編入生ベルティーユは、男爵の庶子で平民出身。
ベルティーユに出会ってから、悪い方へ変わっていくフリードリヒ。
「ベルが可哀想だろ」「たかがダンスくらい」と話が通じない。
アメリアの積み上げてきた7年の努力と誇りが崩れていく。
そしてフリードリヒを見限り、婚約解消を口にするが話は進まず、学園の卒業パーティーで断罪されてしまう……?!
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています
王妃ですが都からの追放を言い渡されたので、田舎暮らしを楽しみます!
藤野ひま
ファンタジー
わたくし王妃の身でありながら、夫から婚姻破棄と王都から出て行く事を言い渡されました。
初めての田舎暮らしは……楽しいのですが?!
夫や、かの女性は王城でお元気かしら?
わたくしは元気にしておりますので、ご心配御無用です!
〔『仮面の王と風吹く国の姫君』の続編となります。できるだけこちらだけでわかるようにしています。が、気になったら前作にも立ち寄っていただけると嬉しいです〕〔ただ、ネタバレ的要素がありますのでご了承ください〕
幸せの賞味期限――妹が奪った夫は、甘く腐る
柴田はつみ
恋愛
幸せには「賞味期限」がある。
守る実力のない女から、甘い果実は腐っていく
甘いだけのダメンズ夫と、計算高い妹。
善意という名の「無能」を捨てたとき、リリアの前に現れたのは
氷の如き冷徹さと圧倒的な財力を持つ、本物の「男」だった――。
「お姉様のその『おっとり』、もう賞味期限切れよ。カイル様も飽き飽きしてるわ」
伯爵家の長女・リリアは、自分が作り上げた平穏な家庭が、音を立てて崩れるのをただ見つめるしかなかった。
信じていた妹・エレナの狡猾な指先が、夫・カイルの心の隙間に滑り込んでいく。
カイルは、優しくて美貌だが、自分の足で立つことのできない「甘い」男。彼はエレナの露骨な賞賛と刺激に溺れ、長年尽くしてきたリリアを「味のないスープ」と切り捨て、家から追い出してしまう
お望み通り、消えてさしあげますわ
梨丸
恋愛
一国の次期王妃と言われていた子爵令嬢アマリリス。
王太子との結婚前夜、彼女は自ら火を放ち、死んだ。
国民達は彼女の死を特に気にもしなかった。それどころか、彼女の死を喜ぶ者もいた。彼女の有していた聖女の力は大したものではなかったし、優れているのは外見だけの“役立たずの聖女”だと噂されるほどだったから。
彼女の死後、すぐさま後釜として皆に好かれていた聖女が次期王妃に召し上げられた。
この国はより豊かになる、皆はそう確信した。
だが、“役立たずの聖女”アマリリスの死後──着実に崩壊は始まっていた。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
※この調子だと短編になりそうです。
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路
桜塚あお華
恋愛
王太子の婚約者として王政を支えてきた侯爵令嬢であるセレスティア。
誇りと責任を胸に国政に尽くしてきた彼女だったが、愛人に溺れた王太子により婚約を破棄され、反逆の濡れ衣を着せられて国外追放されてしまう。
全てを失い、辺境の地で命を狙われたセレスティアは、一人の男――平民出身の将軍・カイに救われる。
彼は彼女の過去を知らず、ただ人としての強さと優しさを尊重し、愛し始める。
一方、セレスティアを追い出した王太子と王妃、貴族たちは、彼女のいない国を操ることに失敗し、ゆっくりと、だが確実に滅びへの道を歩んでいく。
これは、復讐しない令嬢が手に入れる、
真の愛と幸せな居場所の物語。
そして彼女を捨てた者たちが辿る、因果応報の末路の話である。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる