4 / 59
第四話 疑い
しおりを挟む
「令嬢は大学で物理学を専攻しておられるとか」
「はい。バルヒェットからおいでになったユルゲン教授の下で研究をしております」
どうしてこうなったのだろう、とフェデリカは思う。隣で微笑みを浮かべる王弟を見れば自ずと分かることだが。
王弟はわざわざ案内を買って出たのである。
「あぁ、エメリヒ・ユルゲン教授か。光が波動であるという論文は非常に興味深いものだった」
「ええ! 革新的な理論です、これをより普遍的に証明することができれば――」
研究の話題になり、ついうっかりフェデリカは熱を入れて話してしまった。途中で我に返ったが、王弟は楽しそうに耳を傾けている。
「――令嬢は博識だな。私もまだまだ至らない」
「いえ、私は物理学しかできませんので」
女性に学問の自由が認められたのはつい1世紀ほど前。今もなお、女性は男性の後ろに下がり大人しくしているべきという考えが根強い。フェデリカが大学に進学し、実父にも養父にも文句を言われていないのは異質である。
「しかし、王宮図書館には大学図書館以上の資料はないと思うが」
「数学専攻のアルディーニ伯爵と光の回折に関する計算の検証をしようと約束しておりまして」
「なるほど……今回の騒動が落ち着くまでは、大学に戻るのも難しいだろう」
とても残念です、と言いかけて寸前で押し留めた。
「致し方ありません。国の大事ですから」
「保護者の一人として、今回の騒動には心を痛めている。様々な方面に影響を及ぼしてしまった」
お前の妹がうちの甥を誑かしやがって、という遠回しな批判だろうか。
「デアンジェリス令嬢の姉であった身として、彼女の軽率な振る舞いを謝罪いたします」
「令嬢に謝罪していただくには及ばない。恋とは二人で落ちるものゆえ」
それにしても、と王弟は口元だけで笑う。
「王太子としてはいただけないが、恋のために全てを捨てる覚悟があるというのもなかなかのものだ――宣誓書まで用意して」
「ええ。恋とはそれほどまでに素晴らしいものなのでしょうね」
「知恵を絞り共に歩む道を見出すほどに」
あらこれは、とフェデリカは笑みの裏側で冷や汗をかく。
「アンヌンツィアータ令嬢。あなたの妹御は、随分聡明なようだね?」
「元、ではありますが。彼女と会話をしたことは殆どありませんので、聡明かどうかは判じかねます」
「おや、そうか。王都に来て4年しか経っていない令嬢が、神殿法の隅を突くとはすごいものだと思ってね。大学で神学、法学を学んだ姉君を見習ったのかな」
大学では1年目に神学と法学を学ばされ、その後でようやく専攻を選ぶことが許される。
「……デアンジェリス嬢は、ただ王太子殿下の側にいるべく励んだのでしょう。褒められた努力ではありませんが」
「違いない」
王弟は喉の奥で笑った。
図書館は、もう見えていた。
「ご案内いただきましてありがとうございました。失礼致します」
「――あぁ。また、貴族議会で会おう」
***
「思ったより早かったな」
「計算は終わっていて?」
「終わった。若干の修正を加えておいた」
「そう、助かるわ」
フェデリカはカルミネから資料を受け取り嘆息する。数学専攻らしく、より分かりやすいものになっていた。
「それで、議会はどうなった」
フェデリカは議会でのことを掻い摘んで話した。途中、計算式に夢中になって聞いていなかったことは伏せておく。
「……王弟殿下が継承権の回復を望まれなかったということは、ロレンツィ侯か」
「そうなるでしょうね」
ロレンツィ侯は継承順位が王弟に継ぐ第二位だ。他の侯爵家の候補は女性であったり研究馬鹿であったりするので、無難な選択だろう。
「しかし、なぜ王弟殿下は王位を望まれないのだろうな」
「さぁ、どうしてかしらね」
「せめて資料から目を上げて言わんか……」
「同性愛者、虚弱、男性機能を欠く、根拠に乏しい噂なら枚挙にいとまがないわね」
「お前、噂なんぞを覚えているのか!?」
カルミネは目を見開いた。フェデリカという人間は、興味のないことは欠片ほども記憶に留めておかないのだと認識していた。社交界の噂にも流行にも疎いが、物理学や天文学の知識は教授ですら目を瞠るものがある。
「さっき聞いたばかりだもの。どうせあと1時間もすれば忘れるわよ」
「あぁ、そういう……」
「ラ・ヴァッレはいつ大学に戻る予定?」
カルミネは怪訝そうに眉を寄せた。研究馬鹿という称号がぴったりなフェデリカが、他者にどうでもいいことを聞くのは珍しいことだった。
「そうだな……新たな王太子が決まるまでは、出させてもらえんだろうな。暇だったら、この前メルセン教授が出した平均律に関する論文が面白いから読んでみるといい」
「気が向いたらね」
じゃあ、と手を振って立ち去るフェデリカを見送り、いよいよ様子がおかしい、とカルミネは首を傾げる。フェデリカは楽器を弾くのも意外と得意なので、メルセン教授の発表を楽しみにしていたはずなのだが。
「……何事かあったのか?」
「はい。バルヒェットからおいでになったユルゲン教授の下で研究をしております」
どうしてこうなったのだろう、とフェデリカは思う。隣で微笑みを浮かべる王弟を見れば自ずと分かることだが。
王弟はわざわざ案内を買って出たのである。
「あぁ、エメリヒ・ユルゲン教授か。光が波動であるという論文は非常に興味深いものだった」
「ええ! 革新的な理論です、これをより普遍的に証明することができれば――」
研究の話題になり、ついうっかりフェデリカは熱を入れて話してしまった。途中で我に返ったが、王弟は楽しそうに耳を傾けている。
「――令嬢は博識だな。私もまだまだ至らない」
「いえ、私は物理学しかできませんので」
女性に学問の自由が認められたのはつい1世紀ほど前。今もなお、女性は男性の後ろに下がり大人しくしているべきという考えが根強い。フェデリカが大学に進学し、実父にも養父にも文句を言われていないのは異質である。
「しかし、王宮図書館には大学図書館以上の資料はないと思うが」
「数学専攻のアルディーニ伯爵と光の回折に関する計算の検証をしようと約束しておりまして」
「なるほど……今回の騒動が落ち着くまでは、大学に戻るのも難しいだろう」
とても残念です、と言いかけて寸前で押し留めた。
「致し方ありません。国の大事ですから」
「保護者の一人として、今回の騒動には心を痛めている。様々な方面に影響を及ぼしてしまった」
お前の妹がうちの甥を誑かしやがって、という遠回しな批判だろうか。
「デアンジェリス令嬢の姉であった身として、彼女の軽率な振る舞いを謝罪いたします」
「令嬢に謝罪していただくには及ばない。恋とは二人で落ちるものゆえ」
それにしても、と王弟は口元だけで笑う。
「王太子としてはいただけないが、恋のために全てを捨てる覚悟があるというのもなかなかのものだ――宣誓書まで用意して」
「ええ。恋とはそれほどまでに素晴らしいものなのでしょうね」
「知恵を絞り共に歩む道を見出すほどに」
あらこれは、とフェデリカは笑みの裏側で冷や汗をかく。
「アンヌンツィアータ令嬢。あなたの妹御は、随分聡明なようだね?」
「元、ではありますが。彼女と会話をしたことは殆どありませんので、聡明かどうかは判じかねます」
「おや、そうか。王都に来て4年しか経っていない令嬢が、神殿法の隅を突くとはすごいものだと思ってね。大学で神学、法学を学んだ姉君を見習ったのかな」
大学では1年目に神学と法学を学ばされ、その後でようやく専攻を選ぶことが許される。
「……デアンジェリス嬢は、ただ王太子殿下の側にいるべく励んだのでしょう。褒められた努力ではありませんが」
「違いない」
王弟は喉の奥で笑った。
図書館は、もう見えていた。
「ご案内いただきましてありがとうございました。失礼致します」
「――あぁ。また、貴族議会で会おう」
***
「思ったより早かったな」
「計算は終わっていて?」
「終わった。若干の修正を加えておいた」
「そう、助かるわ」
フェデリカはカルミネから資料を受け取り嘆息する。数学専攻らしく、より分かりやすいものになっていた。
「それで、議会はどうなった」
フェデリカは議会でのことを掻い摘んで話した。途中、計算式に夢中になって聞いていなかったことは伏せておく。
「……王弟殿下が継承権の回復を望まれなかったということは、ロレンツィ侯か」
「そうなるでしょうね」
ロレンツィ侯は継承順位が王弟に継ぐ第二位だ。他の侯爵家の候補は女性であったり研究馬鹿であったりするので、無難な選択だろう。
「しかし、なぜ王弟殿下は王位を望まれないのだろうな」
「さぁ、どうしてかしらね」
「せめて資料から目を上げて言わんか……」
「同性愛者、虚弱、男性機能を欠く、根拠に乏しい噂なら枚挙にいとまがないわね」
「お前、噂なんぞを覚えているのか!?」
カルミネは目を見開いた。フェデリカという人間は、興味のないことは欠片ほども記憶に留めておかないのだと認識していた。社交界の噂にも流行にも疎いが、物理学や天文学の知識は教授ですら目を瞠るものがある。
「さっき聞いたばかりだもの。どうせあと1時間もすれば忘れるわよ」
「あぁ、そういう……」
「ラ・ヴァッレはいつ大学に戻る予定?」
カルミネは怪訝そうに眉を寄せた。研究馬鹿という称号がぴったりなフェデリカが、他者にどうでもいいことを聞くのは珍しいことだった。
「そうだな……新たな王太子が決まるまでは、出させてもらえんだろうな。暇だったら、この前メルセン教授が出した平均律に関する論文が面白いから読んでみるといい」
「気が向いたらね」
じゃあ、と手を振って立ち去るフェデリカを見送り、いよいよ様子がおかしい、とカルミネは首を傾げる。フェデリカは楽器を弾くのも意外と得意なので、メルセン教授の発表を楽しみにしていたはずなのだが。
「……何事かあったのか?」
1
あなたにおすすめの小説
毒姫ライラは今日も生きている
木崎優
恋愛
エイシュケル王国第二王女ライラ。
だけど私をそう呼ぶ人はいない。毒姫ライラ、それは私を示す名だ。
ひっそりと森で暮らす私はこの国において毒にも等しく、王女として扱われることはなかった。
そんな私に、十六歳にして初めて、王女としての役割が与えられた。
それは、王様が愛するお姫様の代わりに、暴君と呼ばれる皇帝に嫁ぐこと。
「これは王命だ。王女としての責務を果たせ」
暴君のもとに愛しいお姫様を嫁がせたくない王様。
「どうしてもいやだったら、代わってあげるわ」
暴君のもとに嫁ぎたいお姫様。
「お前を妃に迎える気はない」
そして私を認めない暴君。
三者三様の彼らのもとで私がするべきことは一つだけ。
「頑張って死んでまいります!」
――そのはずが、何故だか死ぬ気配がありません。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
【1月18日完結】捨てたものに用なんかないでしょう?
風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。
戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。
愛人はリミアリアの姉のフラワ。
フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。
「俺にはフラワがいる。お前などいらん」
フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。
捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。
ベルガー子爵領結婚騒動記
文月黒
恋愛
その日、王都より遠く離れたベルガー子爵領は、俄かに浮き足立っていた。
何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。
ちょっとだけ(当領比)特殊な領地の強面領主に嫁いで来たのは、王都の男爵家の末娘・マリア。
だが、花嫁は領主であるベルンハルトの顔を見るなり泣き出してしまった。
最悪な顔合わせをしてしまったベルンハルトとマリア。
慌てるベルンハルトの腹心の部下ヴォルフとマリアの侍女ローザ。
果たしてベルガー子爵領で彼らは幸せを掴めるのか。
ハピエン確定のサクッと読めるギャグ寄り恋愛ものです。
『めでたしめでたし』の、その後で
ゆきな
恋愛
シャロン・ブーケ伯爵令嬢は社交界デビューの際、ブレント王子に見初められた。
手にキスをされ、一晩中彼とダンスを楽しんだシャロンは、すっかり有頂天だった。
まるで、おとぎ話のお姫様になったような気分だったのである。
しかし、踊り疲れた彼女がブレント王子に導かれるままにやって来たのは、彼の寝室だった。
ブレント王子はお気に入りの娘を見つけるとベッドに誘い込み、飽きたら多額の持参金をもたせて、適当な男の元へと嫁がせることを繰り返していたのだ。
そんなこととは知らなかったシャロンは恐怖のあまり固まってしまったものの、なんとか彼の手を振り切って逃げ帰ってくる。
しかし彼女を迎えた継母と異母妹の態度は冷たかった。
継母はブレント王子の悪癖を知りつつ、持参金目当てにシャロンを王子の元へと送り出していたのである。
それなのに何故逃げ帰ってきたのかと、継母はシャロンを責めた上、役立たずと罵って、その日から彼女を使用人同然にこき使うようになった。
シャロンはそんな苦境の中でも挫けることなく、耐えていた。
そんなある日、ようやくシャロンを愛してくれる青年、スタンリー・クーパー伯爵と出会う。
彼女はスタンリーを心の支えに、辛い毎日を懸命に生きたが、異母妹はシャロンの幸せを許さなかった。
彼女は、どうにかして2人の仲を引き裂こうと企んでいた。
2人の間の障害はそればかりではなかった。
なんとブレント王子は、いまだにシャロンを諦めていなかったのだ。
彼女の身も心も手に入れたい欲求にかられたブレント王子は、彼女を力づくで自分のものにしようと企んでいたのである。
私たちの離婚幸福論
桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
愛する人は、貴方だけ
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。
天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。
公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。
平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。
やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる