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ここでミハイル
しおりを挟むカール侯爵の不正は、もはや隠し通せる段階ではなくなっていた。議会からの追及も容赦なかった。やがて侯爵本人も体調を崩し、ついには息子へ家督を譲るしかなくなった。
「……ここまで、か」
枯れた声でつぶやく父に、息子──ミハイルは静かに頭を下げた。
「お父上、後のことは私にお任せください」
カール侯爵はその声音にしばし瞳を細めた──かつて壊れたように喚き散らしていたはずの息子の面影は、今では芯のある青年のものになっていた。
数日後。セデル村に、一台の馬車がやってきた。素振りをしていたカイルは、馬車から降りてきた青年を見て首を傾げた。
「……あれ、どっかで」
優雅に馬車から降りた青年はミハイル・カールと名乗った。
なんとあのカール侯爵の嫡男だと言う。
というか、色々あってすでにご自身がカール侯爵とのこと。
色々ありすぎでしょ。
「今日は、ひとつ頼みがあって来たのです。漬物石を、買い戻したい」
ヘンリー父様とカイル兄様が「え?」と間の抜けた声を出す。
「漬物石、でございますか?」
「そう。父がただの石と侮って商人を通して貴殿に売りつけたものです。……だが私は、あの石が我が家には必要だと判断した。正当な値段で買わせてほしい。いや──買った倍の値段で」
ヘンリー父様は困惑のあまり、ゴフじいさんやみんなの顔を見る。
「倍って……あれ、ただの重い石ですよ?」
「我が家にとってはただの石ではないのです」
「そうですか。それならばお譲りしたいと思いますが」
ミハイルはその言葉に安堵したように微笑んだ。
「良かった」
ヘンリー父様とミハイル様の会話を聞いていた私たちはこっそりと頷きあった。
お人好しの父様はきっとただであの石をあげようと言い出すだろう。
だがしかし、父様以外のアルステッド家はそんなお人好しではないのだ。
もらえるものはもらうのだ。
「売買交渉は私めにおまかせを」
ゴフじいさんの囁きに私たちは親指を立てた。
ミハイル様は辺りをゆっくり見渡す。
村は活気づいている。しかしそれを大げさに誇る様子もない。
家の中にミハイル様をお通しし、ヘンリー父様は向かい合って座った。私とカイル兄様もそっと控える。
ミハイル様はゆっくりと息を吸い、低い声で切り出した。
「……父が、ヘンリー殿に嫌がらせを続けていた理由を、お伝えしに来ました」
ヘンリーは眉をひそめた。「嫌がらせ……?」
え?まさか父様ってば、嫌がらせされてたことに気付いてないとかないよね?
「父はかつて──ヘンリー殿の奥様を、妾にしたかったのです」
場の空気が一瞬止まった。
「…まじか」
カイル兄様がつぶやく。
兄様、それは流石に不敬では?
「だが、彼女は断った。当然のことです。けれど父はそれをカール侯爵家への侮辱と受け取り……結果、あなたに与えた領地は、村一つ分の貧しい土地だけだった」
ヘンリー父様はゆっくりと目を閉じ、長く息を吐いた。
「……妻は、そんなこと何も言っていなかった」
「誇り高い方だったのでしょう」
ミハイル様は穏やかに続けた。
「だからこそ、あなたを巻き込まぬよう、何も言わなかったのだと思います」
沈黙の中、ミハイル様は姿勢を正した。
「そこで、改めてお伺いしたい。セデル村から、もっと豊かな村へ領地替えを希望されますか? 父の悪意で与えられた土地です。正すのが筋だと、私は思うのです」
父様はきっぱりと首を振った。
「いえ、領地替えは望みません。セデル村は私たちの家族の暮らしそのものなんです。貧しかろうと私はこの村が好きなので」
その言葉に私の胸は温かくなるが、領地替えじゃなくて領地拡大なら良くない?とも思ったりする。
ミハイル様も、ほっと微笑んだ。
「わかりました。ではヘンリー殿の望む形で」
新米侯爵とへっぽこ村長もとい領主のトップ会談は和やかに終わり、実務者協議ではゴフじいさんがちゃっかりきっちり漬物石の倍額買取と、なんと隣町ーーセデル村から薬草を売りに行ってたーーを強奪、いや賜っていた。
さすがすぎるゴフじいさん。
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