司書ですが、何か?

みつまめ つぼみ

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第4章:異界文書

56.

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 二週間が過ぎても、アイリスの熱烈なアプローチは変わらなかった。

「ラーズさん! 今日のスープはどうでしょうか!」

 お爺ちゃんはハーブが浮いたスープを一口飲み、柔らかい微笑みで頷いた。

「うん、いい味にできてる。一品任せても安心できるようになってきたな。
 アイリスは料理のセンスがある」

 アイリスの笑顔がパァッと輝くように花開いた。

 お爺ちゃんは味にうるさい。『塩の一つまみで味が変わる』とか言うくらいうるさい。

 そのお爺ちゃんが褒めるんだから、アイリスの料理の腕は本当に上達してるんだろう。

「アイリス、諦めないよねぇ……どこからそんなガッツが湧いてくるの?」

 アイリスは私に振り向いて拳を握りしめた。

「乙女が恋に命を懸けないでどうするんですか!
 ラーズさんの胃袋、かならずこの手にもぎ取って見せます!」

 私はアイリスに気圧されながら、自分のスープを口にした――あ、美味しい。お爺ちゃんのスープと遜色ない。

 しかし……アイリスって最初の頃、もっと落ち着いた子だったんだけどな。

 恋愛が絡むと人が変わるから、最近では昔のキャラを忘れそうになる。

 まだ温かい黒パンにバターを塗ってかじりつく。うん、美味しい。

 アイリスは何かにつけてお爺ちゃんの世話をしようとしてるけど、お爺ちゃんはやんわり断って自分のことは自分でやっていた。

 こんな扱いを受けても諦めないんだから、恋に燃える女子のガッツは恐ろしい。


 私は朝食を食べ終わると、席を立ってマギーを背負い、ケープを羽織ってから二人に告げる。

「それじゃあ行ってくるね」

 アイリスは「はい、いってらっしゃい!」と明るい笑顔――なんか調子が狂う。

 お爺ちゃんも「おぅ、行って来い。しっかりな」と優しい笑顔。こちらはいつも通り。

 でも最近、なんとなくアイリスに対するお爺ちゃんの態度が柔らかくなってる気がする。

 私が仕事をしている間、二人で学院の外に散歩とかしに行ってるらしい。

 町に出て商店街をぶらぶらしたり、デートらしいものをしてると聞いた。

 ……お爺ちゃん、本当に大丈夫なの?


 一抹の不安を抱えながらも、私は休日出勤をするために宿舎を出た。




****

 衛兵に挨拶しながらドアを解錠し、図書館の中に入っていく。

 手早く空調術式の調整を終わらせると、さっそく身支度を整えて修復室に向かった。


 マギーの魂が入ったコップを傍らに、黙々と写本を続けていく。

 誰も居ない修復室は、とても静かだ。

 写本は半分を超えて折り返し地点。残り二週間で終わる予定。順調だ。

「ところでマギー、この本には何が書いてあるの?」

『なんだろうな。多分、俺の知る知識が書いてあるんだと思うぞ』

「異界の知識ってことかな? 神様なんだっけ?」

『俺が神かどうかは、覚えてないからわかんねーな』

 この図形にしか見えない情報が、異界の知識か。

 いつか解読できたら、魔導に新しい技術が生み出されるんだろうか。


 集中して写本していた私を、お昼を告げるベルが現実に引き戻した。

「――ふぅ。お昼か」

 『異界文書マギア・エクストラ』を一度綴じ直し、マギーの魂を元に戻して背中に背負う。

 表に見張りの衛兵が居るとは言え、世界に一冊しかない『魔導三大奇書』だ。修復室に放置なんてできるわけがない。

 私はお昼を食べるために図書館を出て、宿舎へと足を向けた。




****

 宿舎のドアを開けると、とんでもない光景が広がっていた。

 台所で赤くなるアイリスと、それを背中から抱き締めるお爺ちゃん。

 お爺ちゃんはアイリスの手を背後から握り……ん?

 よく見ると、アイリスは包丁を持っているようだ。

 お爺ちゃんはそのアイリスの手に手を添えて、丁寧な動きで根菜をゆっくりと切り刻んでいる。

 これはもしや……包丁の使い方を、レクチャーされている?

 ゆっくりとした足取りで近づいて行くと、お爺ちゃんが私に気が付いてこちらに顔を向けた。

「おぅヴィルマか。なんだもうそんな時間か。
 ――アイリス、動きは間違ってない。後はどれだけ正確な動きを保ったまま手早く済ませるかだ。
 そこは慣れちまえば、次第に早くなっていく。最初はとにかく、正確さを心がけな」

「はい!」

 アイリスは嬉しそうに、背後のお爺ちゃんに返事をした。

 お爺ちゃんはアイリスから離れると、鍋を火にかけて温め始めた。

「少し待ってな。これから昼飯を温めてやる。
 お前はパンにバターとジャム、どっちを付ける?」

「えーとじゃあ、ジャムで――じゃなくて! なんで密着して刃物の使い方を教えてたの?!
 アイリスだって料理が得意なんだから、今さら教えるまでもないでしょ?!
 お爺ちゃんも、あんなにくっつく必要、ないじゃない!」

 お爺ちゃんはきょとんとした顔でこちらを見つめてきた。

「ん? なんで興奮してんだ?
 アイリスは慣れちゃあいるが、まだまだ動きに無駄が多かった。
 だから正しい動きを俺が教え込んだ――そんなに不思議か?
 密着も何も、ああして俺が動きを矯正してやるのが、一番手っ取り早いだろうが」

 アイリスも包丁をしまって根菜をボウルに入れて脇によけ、慌てるようにパンをオーブンに入れ始めた。

「そ、そうですよ! やましい心があるから変な風に見えるんじゃないですか?!」

 いや、私が抱くやましい心って何よ……。

 明らかにアイリス、あの状態を嬉しがってたじゃない。

「ねぇアイリス、正直に言って。
 あのまま『ああ、この時間が永遠に続いたら……』とか思ってなかった?
 私のこと『チッ、お邪魔虫が帰ってきた』とか思わなかった?」

 アイリスは不意を突かれたような顔で目を見開き、少し挙動不審になりながら応える。

「え?! そ、そんなことないですよ?! ラーズさんの腕が逞しいなーとか、やっぱり胸板も広いんだなーとか、そんなことぐらいですよ!」

「……ねぇアイリス。取り繕うとして、とんでもないことを口走ってるよ」

 私はなんだか疲れてしまって、がっくりと肩を落としていた。

 そのまま廊下を引き返し、「部屋で待ってるね……」と言い残して二階に上っていった。




****

 昼食の間、アイリスが発する熱気は朝の比じゃなかった。

 朝より激しい好意の熱波を浴びても、お爺ちゃんはどこ吹く風。涼しい顔でパンを口にしていた。

 私はベーコンエッグを口にしながら、二人に告げる。

「ねぇ、午後からも調理講義を続けるの?」

 お爺ちゃんが笑顔で私に応える。

「もう少しだけな。夕食の下ごしらえのついでだ。手早くすませちまう。
 それが終わったら――そうだな、また一緒に買い物にでも行くか。
 ヴィルマも買って来て欲しいものがあれば、今のうちに言っておけ」

 それって、買い物デートじゃないよね……。

 アイリスは午後からの予定が楽しみなのか、さらに喜色が溢れた顔でお爺ちゃんを見つめていた。

「ねぇお爺ちゃん、そんな頻繁に買い物に出かけて、お金が足りるの?」

「何馬鹿なことを言ってやがる。毎回大きな買い物をする訳がねぇだろう。
 店を見て回って、気に入った小物を一つか二つ買う。
 その後は公園でのんびりと休憩して、それから帰ってくるだけだ。
 たいして金のかかるもんじゃねーよ」

『ハハハ! 立派なデートじゃないか!
 ラーズは若い恋人ができて、人生が楽しそうだな!』

 マギーの突っ込みに、お爺ちゃんは眉をひそめて私を――というか、その背後に居るマギーを睨み付けた。

「孫娘と買い物に出かけてる気分だよ。俺ぁ。
 それに年を食うと疲れやすくてな。どこかで一度休憩しねぇと、帰ってこれねぇんだよ」

 どことなくふてくされた様子のお爺ちゃんだけど、私は知っている。

 農家を続けるお爺ちゃんは、体力お化けだ。

 買い物に行くぐらいで休憩が必要になるほど疲れ切るわけがない。

 だけど二人の時間を楽しんでるようにも感じていた。

 私が一緒にいられない分、アイリスと一緒に居ることで寂しさを埋めてるんだろうか。

 ……適切な距離を保つなら、これ以上の口を挟むのは野暮、なのかなぁ。

 私は頭を悩ませた結果、黙って昼食を終え、静かに図書館に戻っていった。
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