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4.約束
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「――嘘でしょっ。センスない冗談」
「信じられないのも無理ないと思うが、たとえば、僕が携帯電話を持たないのは、仕事の真っ直中に着信があったら困るからさ。マナーモードにしていても、邪魔なことには変わりないからね」
「まさか」
伊之上の目の色が変わる。冗談と思っていたのが半信半疑になった。
有森はペンを返してから、小声で続けた。
「僕がペンを持っていないのも、そんな物を身に着けていたら、現場に不用意に落としかねないだろ。だから、小物類を一切排除した。ネクタイピンも使ってないし、ボタンも特別あつらえの丈夫な糸で結ってある。仕事に臨む際には、ぴっちりした水泳キャップを被るんだ。髪の毛が抜け落ちないようにね」
「……」
「きちっとした身なりは、第三者に見られても怪しまれないため。それでいて、印象に強く残ることのない姿だから便利だ。無論、時と場合によるが」
「……」
「指紋には特に注意を払わねばならない。今は地肌を出しているが、仕事の前には、ある細工をする。何だと思う?」
「さ、さあ。分からない」
無理矢理絞り出したような声。相手の質問に対する答を考える余裕は、とてもありそうにない。
「おいおい、少しは考えてくれよ。何かあるだろう。手袋をするとか。まあ、手袋じゃないんだが。手袋だって始末に失敗すれば、足が付きかねないからな」
そしてテーブルの縁に両手首を据え、左右の指を順に開く有森。
「透明のマニキュアを塗るのさ。一本一本の指先に」
「そ、そうなんだ」
「透明のマニキュアなら、塗っていても誰にも気付かれない。指先の感触も、慣れれば違和感ゼロ。手袋をするよりはずっと繊細な動きができる」
伊之上の喉が動く。相手を見る目は最早、何年かぶりに出会った友達ではなく、怪物か異星人を前にしたときのそれに近い。
有森は握った右手を口元にやり、その甲と顎先とを何度かぶつけ、やがてくっくっくと笑い始めた。
「その目は、完璧に信じてるな」
「……どういうこと?」
有森の台詞はちゃんと耳に届いていたらしい。伊之上の視線がきっ、となって真正面の相手を射すくめる。
「嘘だ、嘘。殺し屋なんて訳ないじゃないか」
「――やっぱり」
ほっとしたように、強がったように、そして照れ隠しのように答えた伊之上。
「じゃあ、書く物や携帯電話を持ってないのも、他の理由があるのね。あ、持ってないこと自体、嘘じゃない?」
「まあ、持ってるといえば持ってる。ほら」
テーブルの上空で、左手を突き出す有森は、自身の手首を差し示した。やや大ぶりな腕時計がある。いや、時計のように見えるが……。
「これ、うちが開発中の腕時計型携帯電話。当然、時計機能もあるが、メインはネット。それからデジタルカメラと音声の記録・再生、その次がやっと電話かな」
「……それはそれで凄く怪しいような気がするんですけども。ヒーロー物のトランシーバーみたいで」
「疑い深いなあ。すっかり信用なくしてしまったな。試作品でね、今、使い勝手や耐久性なんかを調べているんだ」
「へえ。ちょっと見せて」
触れようとした伊之上の前から、試作品が消える。手をテーブルの下に隠した有森は、「あんまり見せられないんだ。企業秘密が詰まってる」と答えた。
「書く物を持ってない理由は?」
「あ、それも同じだ。録音できるから。メモ程度なら、声で吹き込む。音声認識でテキストに即変換できるし。その内、電子ペンを使ったメモ機能を付けるかもしれないがね。声を出しちゃまずいメモってのもあり得るから」
「結局、有森君て、どこかの電機メーカー勤務なのね」
「そう。具体的な企業名は、これが発売されたときのお楽しみ」
有森が言って笑う。テーブルの下で、左手首を握ったらしい。
伊之上は自分の腕時計を見た。
「私、そろそろ行かないと」
「もうそんな時間か」
有森が伝票を掴んだ。数字に目を通す。目元が緩んだ。
「よかった。これなら払える」
「えっ、いいわよ」
立ち上がり掛けていた伊之上が、座り直す。有森は逆に席を立った。
「あのときのお礼だ。おごらせてくれ」
「あのとき?」
「君のおかげで、荷物持ちをしなくて済んだ」
レジの方に向かう。あとを追う。
「でも」
「大した額じゃないし、素直におごられるもんだよ。ああ、ついでに言えば、見返りも求めないと誓うよ」
軽い笑い声を立てる有森。
事実、大した額ではないこともあって、伊之上は嘆息しつつ、
「次にまた会ったときは、私が」
と言った。対する有森はレシートを仕舞うと、彼女のために店のドアを開けた。生暖かい空気が店内になだれ込む。
伊之上は表に出るなり、さっきのペンとメモ帳を取り出した。
「これ、私の電話番号」
破り取ったメモ書きを渡そうとする。有森は両手でバツを作り、ブロックした。
「次は次。縁があればでいいだろう。一緒に昼食を摂ることができて、楽しかった。ここ、君の行き着け?」
ブロックを解くと、右親指で店を示す有森。欧風レストランと記された木の吊り看板が、風でかすかに揺れた。伊之上はうなずいた。
「学生時代の友達が、アルバイトをしているの。夜だけなんだけどね。それで行き着けになって」
「ふむ。ならば、僕もなるべく利用するとしよう。こうすれば、次の機会が生まれやすくなるだろう」
伊之上の返事を待たずにきびすを返すと、有森は急ぎの用事はないと言っていたにも関わらず、足早に去って行く。
夏の陽射しは、依然としてきつかった。
「信じられないのも無理ないと思うが、たとえば、僕が携帯電話を持たないのは、仕事の真っ直中に着信があったら困るからさ。マナーモードにしていても、邪魔なことには変わりないからね」
「まさか」
伊之上の目の色が変わる。冗談と思っていたのが半信半疑になった。
有森はペンを返してから、小声で続けた。
「僕がペンを持っていないのも、そんな物を身に着けていたら、現場に不用意に落としかねないだろ。だから、小物類を一切排除した。ネクタイピンも使ってないし、ボタンも特別あつらえの丈夫な糸で結ってある。仕事に臨む際には、ぴっちりした水泳キャップを被るんだ。髪の毛が抜け落ちないようにね」
「……」
「きちっとした身なりは、第三者に見られても怪しまれないため。それでいて、印象に強く残ることのない姿だから便利だ。無論、時と場合によるが」
「……」
「指紋には特に注意を払わねばならない。今は地肌を出しているが、仕事の前には、ある細工をする。何だと思う?」
「さ、さあ。分からない」
無理矢理絞り出したような声。相手の質問に対する答を考える余裕は、とてもありそうにない。
「おいおい、少しは考えてくれよ。何かあるだろう。手袋をするとか。まあ、手袋じゃないんだが。手袋だって始末に失敗すれば、足が付きかねないからな」
そしてテーブルの縁に両手首を据え、左右の指を順に開く有森。
「透明のマニキュアを塗るのさ。一本一本の指先に」
「そ、そうなんだ」
「透明のマニキュアなら、塗っていても誰にも気付かれない。指先の感触も、慣れれば違和感ゼロ。手袋をするよりはずっと繊細な動きができる」
伊之上の喉が動く。相手を見る目は最早、何年かぶりに出会った友達ではなく、怪物か異星人を前にしたときのそれに近い。
有森は握った右手を口元にやり、その甲と顎先とを何度かぶつけ、やがてくっくっくと笑い始めた。
「その目は、完璧に信じてるな」
「……どういうこと?」
有森の台詞はちゃんと耳に届いていたらしい。伊之上の視線がきっ、となって真正面の相手を射すくめる。
「嘘だ、嘘。殺し屋なんて訳ないじゃないか」
「――やっぱり」
ほっとしたように、強がったように、そして照れ隠しのように答えた伊之上。
「じゃあ、書く物や携帯電話を持ってないのも、他の理由があるのね。あ、持ってないこと自体、嘘じゃない?」
「まあ、持ってるといえば持ってる。ほら」
テーブルの上空で、左手を突き出す有森は、自身の手首を差し示した。やや大ぶりな腕時計がある。いや、時計のように見えるが……。
「これ、うちが開発中の腕時計型携帯電話。当然、時計機能もあるが、メインはネット。それからデジタルカメラと音声の記録・再生、その次がやっと電話かな」
「……それはそれで凄く怪しいような気がするんですけども。ヒーロー物のトランシーバーみたいで」
「疑い深いなあ。すっかり信用なくしてしまったな。試作品でね、今、使い勝手や耐久性なんかを調べているんだ」
「へえ。ちょっと見せて」
触れようとした伊之上の前から、試作品が消える。手をテーブルの下に隠した有森は、「あんまり見せられないんだ。企業秘密が詰まってる」と答えた。
「書く物を持ってない理由は?」
「あ、それも同じだ。録音できるから。メモ程度なら、声で吹き込む。音声認識でテキストに即変換できるし。その内、電子ペンを使ったメモ機能を付けるかもしれないがね。声を出しちゃまずいメモってのもあり得るから」
「結局、有森君て、どこかの電機メーカー勤務なのね」
「そう。具体的な企業名は、これが発売されたときのお楽しみ」
有森が言って笑う。テーブルの下で、左手首を握ったらしい。
伊之上は自分の腕時計を見た。
「私、そろそろ行かないと」
「もうそんな時間か」
有森が伝票を掴んだ。数字に目を通す。目元が緩んだ。
「よかった。これなら払える」
「えっ、いいわよ」
立ち上がり掛けていた伊之上が、座り直す。有森は逆に席を立った。
「あのときのお礼だ。おごらせてくれ」
「あのとき?」
「君のおかげで、荷物持ちをしなくて済んだ」
レジの方に向かう。あとを追う。
「でも」
「大した額じゃないし、素直におごられるもんだよ。ああ、ついでに言えば、見返りも求めないと誓うよ」
軽い笑い声を立てる有森。
事実、大した額ではないこともあって、伊之上は嘆息しつつ、
「次にまた会ったときは、私が」
と言った。対する有森はレシートを仕舞うと、彼女のために店のドアを開けた。生暖かい空気が店内になだれ込む。
伊之上は表に出るなり、さっきのペンとメモ帳を取り出した。
「これ、私の電話番号」
破り取ったメモ書きを渡そうとする。有森は両手でバツを作り、ブロックした。
「次は次。縁があればでいいだろう。一緒に昼食を摂ることができて、楽しかった。ここ、君の行き着け?」
ブロックを解くと、右親指で店を示す有森。欧風レストランと記された木の吊り看板が、風でかすかに揺れた。伊之上はうなずいた。
「学生時代の友達が、アルバイトをしているの。夜だけなんだけどね。それで行き着けになって」
「ふむ。ならば、僕もなるべく利用するとしよう。こうすれば、次の機会が生まれやすくなるだろう」
伊之上の返事を待たずにきびすを返すと、有森は急ぎの用事はないと言っていたにも関わらず、足早に去って行く。
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