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3.再会
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* *
「そんなこともあったなあ」
有森礼一郎は、貝の殻に触れた指先をおしぼりで拭った。
「それで、どっちが勝ったんだったっけ?」
そう尋ねた伊之上由奈は視線を皿に落とし、フォークでパスタを巻き取った。パスタに絡むきのこが、その過程で離れてしまい、皿に落ちる。
「覚えてない? 僕が勝った。逆転二連勝さ」
有森はコップを空にし、ウェイトレスに水のお代わりを頼んだ。
「君のおかげで、荷物持ちをせずに済んだ。遠藤の奴は後悔しきりだったがね」
「ああ、そうそう、思い出した。たくさんの紙袋やバッグを持って歩いていたわね。私のこと、恨んだかな?」
今度はフォークの先で突き刺したきのこを口に運ぶ。
有森はナイフとフォークを手にしたまま、動きを止めて応じた。
「まさか。だって……言っていいのかな、これ?」
「えっ、何なに?」
伊之上の動作も止まる。眼鏡をしなくなった彼女の瞳が、興味ありげに有森に向いた。
「小学生の話だから、まあ、いいか。遠藤の奴、君のことを好きだったんだよ」
「へえー? 全然気付かなかった。でも、今さらだけど、ちょっと嬉しいかも」
「ということは、君も遠藤を?」
「違う違う。そんなんじゃなく、普通に、人から好かれて嬉しいってことよ」
「それなら、誰が好きだったんだい?」
「あの頃はいなかった。私の初恋は中学になってから」
伊之上はフォークを置き、唇を紙ナプキンで押さえた。
「何だ。嘘じゃないだろうね」
「嘘ついてもしょうがないでしょうに。有森君こそ、誰かいた?」
質問を受けた有森は、一瞬、視線を店の窓の外にやり、じきに戻した。それから両腕を軽く開く。
「過去の話はこれくらいで、現在の話をしないか。少なくとも生産的だぜ」
「生産的かどうかは置くとして、現在の話にも興味があるのは確かね。何の仕事をしてるのか、教えてくれないの? さっき、道端で聞いたときは、はぐらかされたけれど」
「先に君が答えてくれたら話してもいいよ、伊之上さん」
「まっとうな職業よ。学習教材を作ってるの」
「学習教材って一体……教科書ってこと?」
「教科書は扱っていないけど、問題集や地図、科学実験のキット。私の担当は図鑑だけどね。昆虫好きが高じて、こうなっちゃった訳」
空いた皿を横にやり、両手で頬杖をついた伊之上。目を細め、にこにこする。
「虫も殺さぬ顔と言うけれど、伊之上さんの場合、文字通りっていう訳だ」
「でもないわよ」
「虫を殺したことがあるって意味か……ああ、蚊とかごきぶりは別だよ」
有森が言うと、伊之上は小さくうなずき、付け足した。
「それもあるけど、解剖した経験が山ほどあるもの」
「なるほど。実を言うと、僕は解剖したことが一度しかないんだ。学校の授業で解剖があっても、人任せにしてばかり」
「ふうん。じゃあ、有森君こそ、虫も殺さぬって訳ね。でも、何で? 男の方が解剖って好きそうに思える」
「気持ち悪いし、無駄じゃないか。教科書の内容と同じであることを確認するだけじゃあ、意味が乏しい。一度で充分さ」
有森はコップを手に取ると、水を一気に飲む。解剖の場面の記憶を思い起こしてしまい、それを押し流そうとしたかのように。
「体験は大切でしょ。一度より二度、二度より三度。それと、生命の神秘を目の当たりにして、感動する。大切な学習の一つだわ」
「……大真面目に言うねえ」
苦笑を禁じ得ない様の有森。
「残念ながら、僕は感動しなかったな」
「基本的に、恐いという気持ちが先に立ってしまっていたからじゃないの? だったら感動できないわ」
学習教材を世に送り出す仕事をしている身故か、伊之上はたった今出た有森の言葉を否定しようとする。
「さあね。理由なんてどうでもいい。過去のことだし。あれ、おかしいな? 現在の話をしていたはずが、いつの間にか昔話に逆戻りだ」
声高に笑う有森。近くのテーブルに着く男性三人組が、何事かと一瞬だけ振り返った。
「それなら、話してちょうだい」
伊之上は背筋を伸ばし、手を膝の上に置いた。大きめのその瞳で相手をじっと見つめる。
「有森君の今のお仕事。言いたくないのは、まさかリストラを食らったからとかじゃないわよね」
「どんな根拠があって、リストラじゃないと言えるんだい?」
「じゃあ、そのまさかなの?」
「いやいや。ちゃんと職を持っているさ。その前に、聞いておきたくなった。君は何故、僕がリストラされてはいないと判断したのか」
「まず、身なり。きちんとしたスーツ姿」
指差しながら答えた伊之上。有森の傍らの椅子には、立派な仕立てのスーツが置いてある。すぐさま反論があった。
「職探し中の男だって、こういう格好をするだろう」
「ううん。有森君を見ると、職を求めている人ほど緊張していないし、切羽詰まってもいない。ばったり会ったときにも思ったわ、この暑さにも関わらず、隙のない格好してるわって。どこにも疲れた感じがないと言えばいいのかなぁ」
「詰まるところ、フィーリング、直感か」
「言葉で表しにくいだけよ。一見、どこにでもいるサラリーマン、よくよく見れば決めるところは決めてる、そんな雰囲気。有森君、本当はどこかの一流企業に勤めてるんじゃないの? こうしてさぼっているところを見つかったから、言い出しにくいとか」
「さぼっていたんじゃないさ」
「だったら営業? でも外回りにしては、随分のんびりくつろいでる。携帯電話だって一回も鳴らないようだし。スイッチ切った?」
「持たない主義なんだ。営業じゃないし、そもそもサラリーマンとは違う」
「いい加減、教えてくれていいんじゃない?」
「もちろん、話すつもりさ。ただ、聞いて驚かないでくれよ」
秘密めかす態度に拍車の掛かる有森。伊之上はしばし口をつぐんだが、程なく笑みを見せた。
「どこかの国の大統領だって聞いたって、今さら驚かないわよ」
「それじゃ、ちょっと耳を貸して」
有森は右の手のひらを上に向け、人差し指で招く仕種をした。尊大な態度に、伊之上は鼻で息をついて苦笑した。
「大きな声で言えない商売?」
「そうなるな。ああ、書く物を持ってたら、貸してほしい」
耳打ちをあきらめたか、有森は紙ナプキンを一枚取ると、宙に文字を書く動作をした。伊之上はシャープペンシルとボールペンの一体型ペンを渡しながら、感想を述べた。
「有森君は持ってないってこと? 確かにサラリーマンじゃない感じがするわ」
「どうも。叫ばないでくれよ。僕の仕事は」
有森がペンを走らせる。
“殺し屋”。
「そんなこともあったなあ」
有森礼一郎は、貝の殻に触れた指先をおしぼりで拭った。
「それで、どっちが勝ったんだったっけ?」
そう尋ねた伊之上由奈は視線を皿に落とし、フォークでパスタを巻き取った。パスタに絡むきのこが、その過程で離れてしまい、皿に落ちる。
「覚えてない? 僕が勝った。逆転二連勝さ」
有森はコップを空にし、ウェイトレスに水のお代わりを頼んだ。
「君のおかげで、荷物持ちをせずに済んだ。遠藤の奴は後悔しきりだったがね」
「ああ、そうそう、思い出した。たくさんの紙袋やバッグを持って歩いていたわね。私のこと、恨んだかな?」
今度はフォークの先で突き刺したきのこを口に運ぶ。
有森はナイフとフォークを手にしたまま、動きを止めて応じた。
「まさか。だって……言っていいのかな、これ?」
「えっ、何なに?」
伊之上の動作も止まる。眼鏡をしなくなった彼女の瞳が、興味ありげに有森に向いた。
「小学生の話だから、まあ、いいか。遠藤の奴、君のことを好きだったんだよ」
「へえー? 全然気付かなかった。でも、今さらだけど、ちょっと嬉しいかも」
「ということは、君も遠藤を?」
「違う違う。そんなんじゃなく、普通に、人から好かれて嬉しいってことよ」
「それなら、誰が好きだったんだい?」
「あの頃はいなかった。私の初恋は中学になってから」
伊之上はフォークを置き、唇を紙ナプキンで押さえた。
「何だ。嘘じゃないだろうね」
「嘘ついてもしょうがないでしょうに。有森君こそ、誰かいた?」
質問を受けた有森は、一瞬、視線を店の窓の外にやり、じきに戻した。それから両腕を軽く開く。
「過去の話はこれくらいで、現在の話をしないか。少なくとも生産的だぜ」
「生産的かどうかは置くとして、現在の話にも興味があるのは確かね。何の仕事をしてるのか、教えてくれないの? さっき、道端で聞いたときは、はぐらかされたけれど」
「先に君が答えてくれたら話してもいいよ、伊之上さん」
「まっとうな職業よ。学習教材を作ってるの」
「学習教材って一体……教科書ってこと?」
「教科書は扱っていないけど、問題集や地図、科学実験のキット。私の担当は図鑑だけどね。昆虫好きが高じて、こうなっちゃった訳」
空いた皿を横にやり、両手で頬杖をついた伊之上。目を細め、にこにこする。
「虫も殺さぬ顔と言うけれど、伊之上さんの場合、文字通りっていう訳だ」
「でもないわよ」
「虫を殺したことがあるって意味か……ああ、蚊とかごきぶりは別だよ」
有森が言うと、伊之上は小さくうなずき、付け足した。
「それもあるけど、解剖した経験が山ほどあるもの」
「なるほど。実を言うと、僕は解剖したことが一度しかないんだ。学校の授業で解剖があっても、人任せにしてばかり」
「ふうん。じゃあ、有森君こそ、虫も殺さぬって訳ね。でも、何で? 男の方が解剖って好きそうに思える」
「気持ち悪いし、無駄じゃないか。教科書の内容と同じであることを確認するだけじゃあ、意味が乏しい。一度で充分さ」
有森はコップを手に取ると、水を一気に飲む。解剖の場面の記憶を思い起こしてしまい、それを押し流そうとしたかのように。
「体験は大切でしょ。一度より二度、二度より三度。それと、生命の神秘を目の当たりにして、感動する。大切な学習の一つだわ」
「……大真面目に言うねえ」
苦笑を禁じ得ない様の有森。
「残念ながら、僕は感動しなかったな」
「基本的に、恐いという気持ちが先に立ってしまっていたからじゃないの? だったら感動できないわ」
学習教材を世に送り出す仕事をしている身故か、伊之上はたった今出た有森の言葉を否定しようとする。
「さあね。理由なんてどうでもいい。過去のことだし。あれ、おかしいな? 現在の話をしていたはずが、いつの間にか昔話に逆戻りだ」
声高に笑う有森。近くのテーブルに着く男性三人組が、何事かと一瞬だけ振り返った。
「それなら、話してちょうだい」
伊之上は背筋を伸ばし、手を膝の上に置いた。大きめのその瞳で相手をじっと見つめる。
「有森君の今のお仕事。言いたくないのは、まさかリストラを食らったからとかじゃないわよね」
「どんな根拠があって、リストラじゃないと言えるんだい?」
「じゃあ、そのまさかなの?」
「いやいや。ちゃんと職を持っているさ。その前に、聞いておきたくなった。君は何故、僕がリストラされてはいないと判断したのか」
「まず、身なり。きちんとしたスーツ姿」
指差しながら答えた伊之上。有森の傍らの椅子には、立派な仕立てのスーツが置いてある。すぐさま反論があった。
「職探し中の男だって、こういう格好をするだろう」
「ううん。有森君を見ると、職を求めている人ほど緊張していないし、切羽詰まってもいない。ばったり会ったときにも思ったわ、この暑さにも関わらず、隙のない格好してるわって。どこにも疲れた感じがないと言えばいいのかなぁ」
「詰まるところ、フィーリング、直感か」
「言葉で表しにくいだけよ。一見、どこにでもいるサラリーマン、よくよく見れば決めるところは決めてる、そんな雰囲気。有森君、本当はどこかの一流企業に勤めてるんじゃないの? こうしてさぼっているところを見つかったから、言い出しにくいとか」
「さぼっていたんじゃないさ」
「だったら営業? でも外回りにしては、随分のんびりくつろいでる。携帯電話だって一回も鳴らないようだし。スイッチ切った?」
「持たない主義なんだ。営業じゃないし、そもそもサラリーマンとは違う」
「いい加減、教えてくれていいんじゃない?」
「もちろん、話すつもりさ。ただ、聞いて驚かないでくれよ」
秘密めかす態度に拍車の掛かる有森。伊之上はしばし口をつぐんだが、程なく笑みを見せた。
「どこかの国の大統領だって聞いたって、今さら驚かないわよ」
「それじゃ、ちょっと耳を貸して」
有森は右の手のひらを上に向け、人差し指で招く仕種をした。尊大な態度に、伊之上は鼻で息をついて苦笑した。
「大きな声で言えない商売?」
「そうなるな。ああ、書く物を持ってたら、貸してほしい」
耳打ちをあきらめたか、有森は紙ナプキンを一枚取ると、宙に文字を書く動作をした。伊之上はシャープペンシルとボールペンの一体型ペンを渡しながら、感想を述べた。
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