12 / 24
第2章:スーパー・ヘッドハンティング大戦
第12話:囚われのウサギとホワイト企業の罠
しおりを挟む目が覚めると、そこは天国だった。
比喩ではない。
俺の体は今、雲の上に浮かんでいるかのように軽い。
背中に触れる感触は、とろけるように柔らかく、ほんのりと温かい。
鼻をくすぐるのは、精神を落ち着かせる最高級のアロマのような香り。
(……俺、死んだのか?)
俺はぼんやりと考えた。
記憶にある最後の映像は、アレクセイの腕の中に抱きとめられた瞬間だ。
あの時、確かに俺は彼の体温を感じていた。
なのに、どうして今、こんなにも静かで、甘い匂いのする場所にいるんだ?
俺は寝返りを打とうとした。
すると、体が沈み込むようなクッションの感触と共に、耳元で鈴のような音が鳴った。
「おや、お目覚めかい? 可愛いノワールくん」
聞き覚えのある声。
天国の門番にしては、妙にチャラついた声だ。
俺はパチリと目を開けた。
視界に入ってきたのは、天蓋付きの豪華なベッドの装飾。
そして、その傍らで優雅に紅茶を飲んでいる、赤髪の男。
レオニード・フォン・ビースト。
隣国の第二王子が、バスローブ姿(!)で寛いでいた。
「キュッ!?(で、殿下!?)」
俺は飛び起きようとして、自分の体が「黒い毛玉」であることを思い出した。
そうだった。俺はウサギに戻ってしまったんだった。
慌てて周囲を見渡す。
ここはどこだ? 宮殿の一室か?
いや、微かに床が振動している。窓の外の景色が流れている。
馬車の中だ。それも、俺が知っている馬車とは次元が違う。部屋がまるごと移動しているような、超巨大な移動要塞だ。
「落ち着いて。ここは僕のプライベート・コーチ(馬車)。君の新しい『住処』の一つだよ」
レオニードは微笑み、サイドテーブルから銀のトレイを差し出した。
そこには、瑞々しく輝くオレンジ色の野菜が盛られている。
「キュッ、キュゥ!?(ど、どうして俺がここに!? 俺はアレクセイの腕の中にいたはずじゃ!)」
俺は混乱して喚いた。
最強の勇者アレクセイが、みすみす俺を奪われるなんて信じられない。
まさか、アレクセイが負けたのか?
俺の動揺を察したのか、レオニードはクツクツと喉を鳴らして笑った。
「不思議そうな顔だね。あの『剣聖』からどうやって君を盗み出したのか、気になるかい?」
彼は人参を俺の鼻先にちらつかせながら、愉快そうに語り始めた。
「簡単なことさ。彼は君を愛しすぎていた。それが最大の隙になったんだ」
レオニードの指が、俺の耳をなぞる。
「君が気絶した瞬間、彼はパニックになったんだ。……その一瞬、彼の意識は周囲の敵(ぼく)ではなく、腕の中の君だけに集中してしまった」
俺は息を呑んだ。
アレクセイ……。
いつも冷静沈着な彼が、俺の体調不良ごときで、そこまで取り乱してしまったのか。
「僕の使い魔『影縫いの鷹』は、そのコンマ一秒を見逃さなかった。彼が治癒魔法を使おうと剣を手放した瞬間、君を『置換魔法』ですり替えたのさ」
身代わりの何かと俺を入れ替えたということか。
そんな芸当、普通ならアレクセイの感知スキルに引っかかるはずだ。
でも、あの時の彼は、俺のことしか見えていなかったらしい。
「彼が気づいた時には、もう僕たちは転移魔法で脱出していたというわけさ。……愛ゆえの敗北。皮肉なものだね」
ズキリ、と胸が痛んだ。
俺のせいだ。俺が倒れたせいで、彼に隙を作らせてしまった。
今頃、アレクセイはどれほど自分を責めているだろうか。
どれほど怒り狂っているだろうか。
「さあ、辛気臭い顔はやめて。お腹が空いただろう? これは『スター・キャロット』。一本で金貨一枚はする代物だ」
レオニードの話を遮るように、高級食材が差し出される。
金貨一枚!?
一般市民の年収に匹敵する人参だと!?
俺の鼻がピクピクと動く。
罪悪感はある。あるが、本能には抗えない。
俺は恐る恐る、その人参を齧った。
――カリッ。
(……う、美味いッ!!)
口の中に広がる、濃厚な甘みと清涼感。
泥臭さなど微塵もない。まるでフルーツだ。いや、それ以上の魔力を含んだ滋養強壮剤だ。
一口食べただけで、体中の疲労が霧散していくのが分かる。
「気に入ってくれたかな? いくらでもあるよ。君は僕の大切なゲストだからね」
レオニードが俺の頭を撫でる。
その手つきは、洗練されていた。
アレクセイのような、「壊さないように必死に加減する無骨な手」ではない。
最初から最適な力加減を知り尽くした、プロフェッショナルの手技。
耳の付け根、背中のツボ。的確に気持ちいい場所を刺激され、俺は思わず脱力してしまった。
「キュゥゥ……(ごくらく……)」
悔しい。
でも、気持ちいい。
これが……これが「ホワイト企業」の福利厚生なのか。
「もう戦わなくていいんだ。君はただ、ここで美味しいものを食べて、フカフカのベッドで寝て、僕に愛でられていればいい」
レオニードは俺を抱き上げ、高い高いをした。
「君の仕事は『存在すること』。それだけで、僕のコレクションとして完璧だよ」
コレクション。
その言葉に、俺の社畜センサーが反応した。
それは「社員」ではなく、「備品」扱いということだ。
でも、「何もしなくていい備品」なら、それはそれで勝ち組なのでは?
思考がまとまらない。
俺はされるがままに、彼の腕の中で微睡んだ。
窓の外では、アレクセイがいる王都がどんどん遠ざかっていた。
◇◇◇
それから数時間が経過した。
俺は「ウサギ様専用ルーム(金網のない広々としたサークル)」に入れられ、一人になっていた。
床には高そうな牧草が敷き詰められ、自動で水が出る魔道具まで完備されている。
快適だ。文句のつけようがない。
誰も俺に「敵が来たぞ!」と叫ばないし、「ポーションを出せ!」と急かされることもない。
命の危険など皆無。
まさに、理想の隠居生活。
なのに。
(……なんか、落ち着かない)
俺は広いサークルの真ん中で、ポツンと座り込んでいた。
静かすぎるのだ。
聞こえるのは、馬車の滑らかな走行音だけ。
いつもなら、この時間はアレクセイが剣の手入れをする音や、俺に話しかける低い声が聞こえていたはずだ。
『ノワール、腹は減ってないか』
『ノワール、寒くないか』
『ノワール、こっちに来い』
過保護で、鬱陶しくて、暑苦しいほどの構い倒し。
それが今は、ない。
俺は前足で、自分の体を抱いてみた。
軽い。
アレクセイに抱きしめられる時の、あの「骨が軋むほどの圧力」がない。
レオニードの抱擁は優しかった。完璧だった。
でも、どこか物足りない。
体温が、上滑りしているような感覚。
(……あっちの方が、良かったな)
ふと、そんな思いが頭をよぎった。
高級人参よりも、ダンジョンの焚き火でアレクセイと分け合った干し肉の方が、味が濃かった気がする。
最高級のベッドよりも、硬い鎧の上で寝る方が、なぜか安心できた気がする。
俺は、ただの「愛玩動物」になりたかったわけじゃない。
俺は、彼の「右腕」になりたかったんだ。
背中を預け合い、泥だらけになって、それでも互いに笑い合える。
そんな「ブラックな現場」こそが、俺の選んだ職場だったはずだ。
「キュゥ……(帰りたい……)」
小さく鳴いた声は、吸音性の高そうな壁に吸い込まれて消えた。
魔法防御力ゼロのウサギには、自力でここから脱出する術はないだろう。
このまま、隣国に連れて行かれ、一生「幸せなペット」として飼い殺されるのか。
その時。
ズズズズズズズ……。
重低音が響いた。
馬車が揺れたのではない。大気が、空間そのものが震えているような振動。
俺の長い耳がピクリと反応する。
遠い。まだ遠いが、急速に近づいてくる「何か」がある。
殺気だ。
それも、ただの殺気じゃない。
火山が噴火する直前のような、圧縮された怒りと、狂気じみた執着の波動。
このプレッシャー、知っている。
いや、今まで感じたことのあるレベルを超えている。
「……おや?」
ドアが開き、レオニードが入ってきた。
彼はグラスを片手に、少し困ったような、しかし楽しそうな笑みを浮かべていた。
「困ったねぇ。元飼い主さんが、随分とお怒りのようだ」
彼は窓のカーテンを少し開けた。
そこから見えた景色に、俺は息を呑んだ。
はるか後方。
砂煙を上げて爆走してくる、「金色の光」があった。
馬ではない。乗り物ですらない。
人間だ。
一人の人間が、身体強化魔法を限界突破させて、馬車(たぶん時速60キロは出ていそう)に追いつこうとしているのだ。
「アレクセイ殿、国境警備隊を三つほど突破してきたらしいよ。……もはや勇者というより、災害(カタストロフィ)だね」
レオニードが肩をすくめる。
俺は窓にへばりついた。
(アレクセイ……!)
あの光の中にいる男の顔が、俺には容易に想像できた。
きっと、般若のような顔をしているに違いない。
俺を取り戻すためだけに、国も立場も投げ捨てて。
胸の奥が熱くなる。
恐怖? いや、違う。
嬉しいのだ。
アレクセイが、俺一匹のために世界を敵に回して追いかけてきてくれている。
その「重さ」が、今はたまらなく愛おしい。
「でも、渡さないよ」
レオニードが冷徹な声で呟き、パチンと指を鳴らした。
馬車の周囲に、魔法陣が展開される。
防御結界と、迎撃用の召喚獣たちが展開される気配。
「彼には少し、お灸を据えないとね。……君はここで見ていなさい。僕が君の『新しい飼い主』に相応しいことを証明してあげる」
レオニードは部屋を出て行った。
俺はサークルの中で、ガラス越しに迫りくる金色の光を見つめた。
来てくれ、アレクセイ。
このふかふかの檻をぶち壊して、俺をまた、あの暑苦しい胸の中に連れ戻してくれ。
元社畜ウサギの切なる願いを乗せて、物語は勇者の大暴走(バーサーク)へと突入する。
318
あなたにおすすめの小説
異世界転生した双子は今世でも双子で勇者側と悪魔側にわかれました
陽花紫
BL
異世界転生をした双子の兄弟は、今世でも双子であった。
しかし運命は二人を引き離し、一人は教会、もう一人は森へと捨てられた。
それぞれの場所で育った男たちは、やがて知ることとなる。
ここはBLゲームの中の世界であるのだということを。再会した双子は、どのようなエンディングを迎えるのであろうか。
小説家になろうにも掲載中です。
【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。
キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、
ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。
国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚――
だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。
顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。
過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、
気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。
「それでも俺は、あなたがいいんです」
だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。
切なさとすれ違い、
それでも惹かれ合う二人の、
優しくて不器用な恋の物語。
全8話。
俺の妹は転生者〜勇者になりたくない俺が世界最強勇者になっていた。逆ハーレム(男×男)も出来ていた〜
陽七 葵
BL
主人公オリヴァーの妹ノエルは五歳の時に前世の記憶を思い出す。
この世界はノエルの知り得る世界ではなかったが、ピンク髪で光魔法が使えるオリヴァーのことを、きっとこの世界の『主人公』だ。『勇者』になるべきだと主張した。
そして一番の問題はノエルがBL好きだということ。ノエルはオリヴァーと幼馴染(男)の関係を恋愛関係だと勘違い。勘違いは勘違いを生みノエルの頭の中はどんどんバラの世界に……。ノエルの餌食になった幼馴染や訳あり王子達をも巻き込みながらいざ、冒険の旅へと出発!
ノエルの絵は周囲に誤解を生むし、転生者ならではの知識……はあまり活かされないが、何故かノエルの言うことは全て現実に……。
友情から始まった恋。終始BLの危機が待ち受けているオリヴァー。はたしてその貞操は守られるのか!?
オリヴァーの冒険、そして逆ハーレムの行く末はいかに……異世界転生に巻き込まれた、コメディ&BL満載成り上がりファンタジーどうぞ宜しくお願いします。
※初めの方は冒険メインなところが多いですが、第5章辺りからBL一気にきます。最後はBLてんこ盛りです※
BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください
わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。
まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!?
悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。
弟がガチ勢すぎて愛が重い~魔王の座をささげられたんだけど、どうしたらいい?~
マツヲ。
BL
久しぶりに会った弟は、現魔王の長兄への謀反を企てた張本人だった。
王家を恨む弟の気持ちを知る主人公は死を覚悟するものの、なぜかその弟は王の座を捧げてきて……。
というヤンデレ弟×良識派の兄の話が読みたくて書いたものです。
この先はきっと弟にめっちゃ執着されて、おいしく食われるにちがいない。
この俺が正ヒロインとして殿方に求愛されるわけがない!
ゆずまめ鯉
BL
五歳の頃の授業中、頭に衝撃を受けたことから、自分が、前世の妹が遊んでいた乙女ゲームの世界にいることに気づいてしまったニエル・ガルフィオン。
ニエルの外見はどこからどう見ても金髪碧眼の美少年。しかもヒロインとはくっつかないモブキャラだったので、伯爵家次男として悠々自適に暮らそうとしていた。
これなら異性にもモテると信じて疑わなかった。
ところが、正ヒロインであるイリーナと結ばれるはずのチート級メインキャラであるユージン・アイアンズが熱心に構うのは、モブで攻略対象外のニエルで……!?
ユージン・アイアンズ(19)×ニエル・ガルフィオン(19)
公爵家嫡男と伯爵家次男の同い年BLです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる