【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g

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第2章

第10話:特別調査官と冒険者

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 王都北側へ向かう街道は、朝の喧騒を抜けると途端に静まり返った。舗装の石が途切れ、踏み固められた土の道に変わる。遠くで風に揺れる草の音と、時折すれ違う行商人の荷車の軋む音だけが、ゆっくりと流れていった。

 並んで歩くという行為が、思った以上に新鮮だった。肩が触れるほど近いわけではない。けれど、足取りは自然と揃い、歩幅も無意識のうちに調整されている。三年前、騎士団で任務に向かっていた頃と同じ感覚が、身体の奥から呼び覚まされていた。

 廃塔は、街道から外れた小高い丘の上にあった。崩れかけた石造りの外壁に、蔦が絡みついている。魔族戦争の名残だというその塔は、今や誰も近づかない場所となっていた。

 アッシュは足を止め、周囲の気配を探る。微かだが、確かに魔力の揺らぎがあった。一定ではなく、波打つように不安定だ。

「……内部に、何か残っています」

 言葉にすると、カイルは即座に頷いた。

「無理はするな。調査が目的だ。危険があれば、即座に引く」

 その声音は、命令ではなく確認だった。かつての上官としてではなく、同行者としての言葉。

「承知しています」

 塔の中は、外よりも冷え込んでいた。崩れた天井の隙間から光が差し込み、埃が舞う。足音が反響するたび、空間の広さが際立った。

 進むにつれ、魔力の濃度がわずかに増していく。アッシュは剣に手をかけながら、慎重に足を運んだ。

 背後から、カイルの焔の気配が伝わってくる。まだ魔法を使っているわけではない。ただ、いつでも灯せるように、意識を張り巡らせているのが分かった。

 ――この距離感。

 互いに干渉しすぎず、しかし視界から外さない。三年間の空白が嘘のように、役割が噛み合っていく。

 塔の中央部に差しかかったところで、床に刻まれた古い魔法陣が目に入った。半分ほど崩れているが、残留魔力が脈打っている。

「封印系ですね。……かなり古い」

 アッシュが屈み込み、指先で空気をなぞる。無属性の感覚が、陣の歪みを拾い上げる。

 その瞬間、視界がわずかに揺れた。

 ほんの一瞬。だが、足元の感覚が薄れ、頭の奥が熱を帯びる。

 アッシュは息を詰めた。

「……アッシュ?」

 名を呼ばれて、我に返る。視線を上げると、カイルが一歩近づいていた。

「大丈夫です。ただ、少し……」

 言いかけて、言葉を飲み込む。説明するほどの異変ではない。そう判断しようとしていた。

 だが、カイルの目は誤魔化しを許さなかった。

「少し、何だ」

 責める響きはない。ただ、逃げ道を塞ぐような静かな問い。

 アッシュは小さく息を吐いた。

「……魔力の流れが、読みづらいだけです」

 完全な嘘ではなかった。だが、真実でもない。

 カイルはそれ以上追及せず、焔を灯した。小さな火球が、魔法陣の上を照らす。揺らめく光が、陣の歪みを浮かび上がらせた。

「君の感覚がなければ、見逃していた。ありがとう」

 その言葉に、胸の奥がわずかに緩む。

 調査は慎重に進められ、封印は完全に機能を失っていることが確認された。新たな危険はない。そう結論づけ、二人は塔を後にした。

 外に出ると、昼前の光が眩しかった。張り詰めていた神経が、少しずつ解けていく。

 丘を下りながら、カイルがぽつりと言った。

「……現場では、君の判断を尊重する。だが、無理を感じたら、必ず言ってほしい」

 その言葉に、アッシュは足を止めた。

「善処します、殿……」

 言いかけて、アッシュは口をつぐんだ。
 カイルが、困ったような、それでいて愛おしげな苦笑を浮かべて振り返っていたからだ。

「二人きりの時くらい、その呼び方はやめてくれと言ったはずだが」

「……すみません。長年の癖というのは、なかなか」

「なら、これからは毎日教え込むことにしよう。私は、君のただのカイルだと」

 冗談めかしているが、瞳は真剣だった。
 アッシュは、しばらく言葉を探した。胸の奥に、何かが引っかかっている。それは、安心とも、甘やかな痛みともつかない感情だった。

「……分かりました。努力します、カイル」

 少しぎこちなく名を呼ぶと、カイルは満足げに目を細めた。

 王都へ戻る途中、ギルドに立ち寄ることになった。報告を兼ねた、簡単な顔出しだ。

 昼下がりのギルドは、人で溢れていた。依頼掲示板の前で談笑する冒険者たちの視線が、二人に集まる。

 一瞬の沈黙。

 そして、ざわりとした空気。

 誰かが小声で囁くのが聞こえた。

「……あれが、元王子か」

 視線がカイルに集まり、次にアッシュへと移る。値踏みするような、探るような目。

 アッシュは、無意識に一歩前に出かけて、踏みとどまった。

 ――庇う必要はない。

 そう、頭では分かっている。

 カイルは、平然と受付へ向かった。視線を気にする素振りもなく、淡々と報告を済ませる。その背中は、堂々としていた。

 報告を終え、踵を返す。その瞬間、年嵩の冒険者が声をかけてきた。

「……調査官殿。随分と、腕の立ちそうな護衛を連れているじゃないか」

 一瞬、空気が張り詰める。
 アッシュが口を開くより早く、カイルが動いた。
 アッシュの隣に並び、その背に自然な仕草で手を添える。

「護衛ではない。同行者だ。彼の判断がなければ、任務は成り立たない」

 添えられた掌から、確かな熱が伝わってくる。
 その言葉は、静かで、揺るぎがなかった。

 冒険者は一瞬目を瞬かせ、それから肩をすくめた。

「なるほどな。……失礼した」

 視線が逸れ、周囲のざわめきも、次第に元に戻っていく。

 ギルドを出ると、外の空気がやけに澄んで感じられた。

「……助け舟を出してくださる必要はありませんでした」

 アッシュが言うと、カイルは首を振った。

「助けたつもりはない。事実を言っただけだ」

 その一言に、胸の奥で何かが静かに落ち着く。

 同じ立場で、同じ仕事をする。それは、言葉以上に難しい。だが、確かに今、二人はその一歩を踏み出していた。

 帰路につきながら、アッシュは思う。

 特別調査官と冒険者。
 元王子と、流浪の男。

 肩書きは違う。過去も違う。

 それでも、現場で背中を預け合うことができるなら。

 ――この関係は、きっと間違っていない。

 夕方の光の中、二人の影が並んで伸びていた。
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