【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g

文字の大きさ
10 / 17
第2章

第9話:同じ屋根の下、違う呼吸


 朝の光は、思っていたよりも早く部屋に入り込んできた。薄いカーテン越しの白い光が、まだ眠りの名残を引きずる室内を、容赦なく照らしている。

 目を覚ました瞬間、まず感じたのは――他人の気配だった。

 すぐ隣で、規則正しい呼吸が聞こえる。静かで、深くて、どこか安心感のある呼吸。視線を動かさずとも、それが誰のものか分かってしまう自分に、少しだけ苦笑が浮かんだ。

 カイルは、まだ眠っていた。

 昨夜遅くまで、特別調査官としての書類仕事をしていたせいだろう。簡素な寝台の上で、横向きになり、肩まで毛布を引き寄せている。銀金の髪が枕に散って、朝の光を柔らかく反射していた。

 ――同じ家で、同じ朝を迎えている。

 その事実を頭で理解するのに、未だ少し時間がかかる。三年もの間、誰とも深く関わらず、夜は一人で目を閉じてきた。
 ふと、シーツの上に投げ出された自分の左手が目に入る。薬指に光る銀の指輪。
 それを見るたび、胸の奥がじんわりと熱くなる。隣に誰かがいることが、こんなにも落ち着かず、同時に温かいものだとは思わなかった。

 そっと、息を潜めるように身を起こす。寝台が軋まぬよう、慎重に体を動かしたつもりだったが――

「……もう、起きてしまうのか」

 低く、寝起きの声が背後から聞こえた。

 しまった、と思うより早く、気配が動く。毛布がずれ、カイルがゆっくりと上体を起こした。まだ完全に覚醒していないのか、その眼差しはどこかぼんやりとしている。

「すみません。起こしてしまいましたか」

「いや……。君の気配が消えるのが、分かっただけだ」

 それが当たり前のように言われて、胸の奥がかすかに揺れた。昔から、彼はそうだった。自分の足音や呼吸の変化に、人一倍敏感だった。

 アッシュは、返す言葉を探しながら、視線を逸らした。

「朝食の準備をしようと思いまして。……仕事でしょう?」

「君もだろう。護衛と調査、両方ある」

 淡々とした会話。だが、その距離感が、まだ測りかねているものだということを、互いに感じ取っていた。

 沈黙が落ちる。

 かつてなら、言葉を探す必要はなかった。ただ同じ空間にいるだけで、十分だったはずなのに。

 アッシュは、意を決したように立ち上がった。

「先に下で準備します。……ゆっくりで構いません」

 そう言って部屋を出ると、背後で小さく「ありがとう」と聞こえた。

 その一言が、なぜか胸に残った。

 階下の簡易な台所は、まだ新しい木の匂いがしていた。湯を沸かし、乾燥肉と硬めのパンを並べる。冒険者としては慣れた朝食だが、今日はどこか手順がぎこちない。

 ――誰かのために、用意する朝。

 そんな意識が、手元を狂わせる。

 やがて階段を下りる足音がして、カイルが姿を現した。外套はまだ羽織っておらず、簡素な室内着のまま。王子だった頃の姿より、ずっと素のままに見える。

「手伝おう」

「いえ、大丈夫です」

 即座に返した言葉が、少しだけ強すぎた気がして、アッシュは眉をひそめた。

 カイルは一瞬だけ言葉を飲み込み、それから小さく笑った。

「……そうか。では、座って待つことにする」

 その態度が、責めるでもなく、踏み込むでもないことに、逆に胸が痛んだ。

 二人で食卓を囲む。向かい合って座ると、距離が思った以上に近い。視線を合わせると、すぐに逸らしてしまいそうになる。

「味は……どうですか」

「問題ない。……君の作るものは、昔から悪くなかった」

 昔から、という言葉に、思わず手が止まる。

 過去を持ち出していいのか、まだ分からない。だが、完全に切り離すことも、できそうになかった。

「今日の任務は、王都北側の廃塔調査だったな」

 カイルが話題を切り替える。

「ええ。魔力反応が不安定だとか」

「君と行けるのは、正直、助かる」

 さらりと言われて、アッシュは小さく息を呑んだ。

 頼られることには慣れている。だが、それが“隣に立つ者”としての言葉になると、胸の奥に違う重みが生まれる。

「……過信はなさらないでください」

「していない。ただ、信頼しているだけだ。……それに、今の私は一人ではないからな」

 カイルの視線が、アッシュの左手に一瞬だけ落ち、それから優しく微笑んだ。

 逃げずに受け止めると、そこには揺るぎのない静けさがあった。かつての情熱的な熱ではなく、長い時間を越えて沈殿した、確かなもの。

 食事を終え、装備を整える。剣を腰に下げると、自然といつもの感覚が戻ってくる。

 玄関先で靴を履きながら、ふと気づく。

 呼吸のリズムが、朝とは違っている。二人の動きが、無意識に噛み合っている。

「……行こうか」

 カイルの言葉に、アッシュは頷いた。

 扉を開けると、王都の朝の空気が流れ込んでくる。まだ冷たいが、どこか柔らかい。

 並んで歩き出しながら、アッシュは思った。

 同じ屋根の下で、同じ道を歩く。
 それは、距離が縮まることでも、すべてが分かり合えることでもない。

 ただ、違う呼吸を持ったまま、隣にいるという選択。

 ――それを、これから何度も、選び続けていくのだろう。

 背中越しに感じるカイルの気配は、もう決して遠くはない。

 朝の光の中で、二人は静かに、けれど確かな足取りで歩き続けていた。

あなたにおすすめの小説

偽物勇者は愛を乞う

きっせつ
BL
ある日。異世界から本物の勇者が召喚された。 六年間、左目を失いながらも勇者として戦い続けたニルは偽物の烙印を押され、勇者パーティから追い出されてしまう。 偽物勇者として逃げるように人里離れた森の奥の小屋で隠遁生活をし始めたニル。悲嘆に暮れる…事はなく、勇者の重圧から解放された彼は没落人生を楽しもうとして居た矢先、何故か勇者パーティとして今も戦っている筈の騎士が彼の前に現れて……。

【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?

キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。 知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。 今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど—— 「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」 幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。 しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。 これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。 全8話。

言い逃げしたら5年後捕まった件について。

なるせ
BL
 「ずっと、好きだよ。」 …長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。 もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。 ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。  そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…  なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!? ーーーーー 美形×平凡っていいですよね、、、、

ちっちゃな婚約者に婚約破棄されたので気が触れた振りをして近衛騎士に告白してみた

BL
第3王子の俺(5歳)を振ったのは同じく5歳の隣国のお姫様。 「だって、お義兄様の方がずっと素敵なんですもの!」 俺は彼女を応援しつつ、ここぞとばかりに片思いの相手、近衛騎士のナハトに告白するのだった……。

末っ子王子は婚約者の愛を信じられない。

めちゅう
BL
 末っ子王子のフランは兄であるカイゼンとその伴侶であるトーマの結婚式で涙を流すトーマ付きの騎士アズランを目にする。密かに慕っていたアズランがトーマに失恋したと思いー。 お読みくださりありがとうございます。

【8話完結】魔王討伐より、不機嫌なキミを宥める方が難易度「SSS」なんだが。

キノア9g
BL
世界を救った英雄の帰還先は、不機嫌な伴侶の待つ「絶対零度」の我が家でした。 あらすじ 「……帰りたい。今すぐ、愛する彼のもとへ!」 魔王軍の幹部を討伐し、王都の凱旋パレードで主役を務める聖騎士カイル。 民衆が英雄に熱狂する中、当の本人は生きた心地がしていなかった。 なぜなら、遠征の延長を愛する伴侶・エルヴィンに「事後報告」で済ませてしまったから……。 意を決して帰宅したカイルを迎えたのは、神々しいほどに美しいエルヴィンの、氷のように冷たい微笑。 機嫌を取ろうと必死に奔走するカイルだったが、良かれと思った行動はすべて裏目に出てしまい、家庭内での評価は下がる一方。 「人類最強の男に、家の中まで支配させてあげるもんですか」 毒舌、几帳面、そして誰よりも不器用な愛情。 最強の聖騎士といえど、愛する人の心の機微という名の迷宮には、聖剣一本では太刀打ちできない。 これは、魔王討伐より遥かに困難な「伴侶の機嫌取り」という最高難易度クエストに挑む、一途な騎士の愛と受難の記録。 全8話。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜

キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。 モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。 このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。 「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」 恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。 甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。 全8話。