12 / 17
第2章
第11話:残された王子の影
しおりを挟む王都の西寄りにある旧貴族街区は、昼下がりになるとひどく静かになる。白い石畳に落ちる影は短く、整えられた庭の生垣は風を遮って音を飲み込む。人の気配が少ない分、歩く靴音だけがやけに大きく響いた。
アッシュは、少しだけ歩調を落とした。視線の先を歩くカイルの背中は、いつもより硬く見える。外套の裾が揺れるたび、背筋の伸びた姿勢が際立った。
ここに来る必要はなかった。少なくとも、任務の書類上では。
だが今朝、王宮の名を冠した使者が、特別調査官宛てに一通の呼び出しを届けてきた。内容は簡潔で、拒否の余地を残さない文言だった。
「……私一人で来るべきだったな」
歩きながら、カイルが低く呟いた。
アッシュは、すぐに首を振った。
「同行を命じられている以上、問題ありません」
それは半分本心で、半分は癖だった。線を引き、役割に徹する。そうすれば感情を切り離せると、長い間信じてきた。
だが、旧貴族街区の奥に佇む屋敷を前にしたとき、その考えは脆く揺らいだ。
白亜の外壁。王家の紋章を外された痕跡が、微かに残っている。かつて、ここが「王子の居場所」だったことを、建物そのものが語っていた。
門をくぐると、年配の使用人が深く一礼した。
「……お久しゅうございます、殿――」
言いかけて、言葉を飲み込む。視線が一瞬揺れ、それから慎重に言い直された。
「カイル様」
その一音が、空気を変えた。
カイルは、わずかに眉を寄せたが、何も言わずに頷いた。
「用件は承っている。時間は取らせない」
「はい。こちらへ」
応接間は、記憶のままに整えられていた。豪奢ではないが、品のある調度。壁に掛けられた絵画は、王家の歴史を示すものばかりだ。
アッシュは、入口近くに立ち、気配を探る。護衛としての位置取り。だが、胸の奥では、別の感情がざわめいていた。
やがて、扉が開く。
現れたのは、壮年の男だった。貴族らしい落ち着いた佇まい。だが、その眼差しには、隠しきれない評価と警戒が混じっている。
「久しいな、カイル」
「……叔父上」
その呼び名に、アッシュは小さく息を呑んだ。
王家の血を引く者。つまり、今も政治の中枢にいる存在。
「辞退の件は、正式に受理された。だが――」
男は言葉を区切り、アッシュへと視線を向けた。
「こうして冒険者を連れて歩く必要が、あるのか?」
空気が張り詰める。
アッシュは、即座に一歩引こうとして、足を止めた。逃げる動きは、逆に場を乱す。
カイルが、静かに口を開いた。
「彼は同行者だ。任務上、不可欠な存在でもある」
「……元は、魔法騎士団だったな」
探るような声。
「王子の側に仕え、そして去った。ずいぶんと都合の良い距離感だ」
アッシュの胸に、古い棘が刺さる。三年前、囁かれた言葉と同じ響き。
だが、言葉を発する前に、カイルが一歩前に出た。
「それ以上は、私が許さない」
低く、だが明確な声音だった。
「彼が去ったのは、私の判断でもあった。……そして今、私は王子ではない。誰を隣に置くかを、咎められる立場でもない」
叔父の目が、わずかに見開かれる。
「……覚悟はあるのだな」
「ある。だから、ここに来た」
短い沈黙。
やがて男は、小さく息を吐いた。
「変わったな、カイル。以前は、もっと――」
言葉を濁し、首を振る。
「いや、良い。選んだ道なら、背負え。王家の影は、簡単には消えん。それだけは覚えておけ」
それは忠告であり、警告だった。
「承知している」
応接間を出るとき、使用人が再び頭を下げた。今度は、何も言わなかった。
屋敷を離れ、旧貴族街区を抜ける。石畳の音が、少しだけ軽くなった。
しばらく、二人は無言で歩いた。
アッシュが口を開いたのは、街区を出てからだった。
「……すみません。あの場で、余計な視線を集めました」
それは、半ば反射だった。自分がいることで、彼の過去が引き戻される。そう感じてしまう癖が、まだ抜けない。
カイルは、足を止めた。
ゆっくりと振り返り、アッシュを見る。
「謝る必要はない」
その声は、穏やかだった。
「過去は、私のものだ。君のせいではない」
それでも、アッシュは目を伏せた。
「……あなたが、あの場所に立つたびに。俺は、正しい選択をしたのか、分からなくなります」
本音だった。三年前の決断が、今も揺れる。
カイルは、一歩近づいた。
「私も、揺れないと言えば嘘になる」
だが、次の言葉は、はっきりとしていた。
「それでも、戻りたいとは思わない。……今の方が、息ができる」
アッシュは、顔を上げる。
そこには、迷いよりも確信があった。
「君が隣にいるからだ」
直截な言葉に、胸の奥が熱を帯びる。だが、それを受け止める覚悟が、今の自分にあるのか――アッシュは、自問する。
左手の指輪に、無意識に親指を添える。その硬質な感触が、アッシュの背筋を伸ばさせた。
「……支えになります。少なくとも、逃げません」
「もう背中を押さない」と誓った夜を思い出しながら、アッシュは告げた。
カイルは、小さく笑った。
「十分だ」
カイルの手が伸び、アッシュの手を迷いなく握りしめる。
公道で、人目があるかもしれない場所。かつての二人なら、決してしなかった行為。
アッシュは一瞬驚いたが、その手を振り払わず、強く握り返した。
夕方の光が、二人の影を長く伸ばす。王子の影は、まだ完全には消えていない。だが、それはもう、二人を引き裂くものではなかった。
並んで歩く背中に、静かな決意が宿る。
繋いだ手の熱を確かめ合い、影を踏み越えながら、二人は前へ進んでいた。
93
あなたにおすすめの小説
言い逃げしたら5年後捕まった件について。
なるせ
BL
「ずっと、好きだよ。」
…長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。
もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。
ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。
そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…
なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!?
ーーーーー
美形×平凡っていいですよね、、、、
偽物勇者は愛を乞う
きっせつ
BL
ある日。異世界から本物の勇者が召喚された。
六年間、左目を失いながらも勇者として戦い続けたニルは偽物の烙印を押され、勇者パーティから追い出されてしまう。
偽物勇者として逃げるように人里離れた森の奥の小屋で隠遁生活をし始めたニル。悲嘆に暮れる…事はなく、勇者の重圧から解放された彼は没落人生を楽しもうとして居た矢先、何故か勇者パーティとして今も戦っている筈の騎士が彼の前に現れて……。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜
キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。
モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。
このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。
「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」
恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。
甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。
全8話。
【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。
キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、
ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。
国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚――
だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。
顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。
過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、
気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。
「それでも俺は、あなたがいいんです」
だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。
切なさとすれ違い、
それでも惹かれ合う二人の、
優しくて不器用な恋の物語。
全8話。
「これからも応援してます」と言おう思ったら誘拐された
あまさき
BL
国民的アイドル×リアコファン社会人
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
学生時代からずっと大好きな国民的アイドルのシャロンくん。デビューから一度たりともファンと直接交流してこなかった彼が、初めて握手会を開くことになったらしい。一名様限定の激レアチケットを手に入れてしまった僕は、感動の対面に胸を躍らせていると…
「あぁ、ずっと会いたかった俺の天使」
気付けば、僕の世界は180°変わってしまっていた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
初めましてです。お手柔らかにお願いします。
ムーンライトノベルズさんにも掲載しております
姉の代わりに舞踏会に行ったら呪われた第三王子の初恋を奪ってしまった
近井とお
BL
幼少期、ユーリは姉によく似ていることから彼女の代わりに社交の場に出席することが多々あった。ある舞踏会の夜、中庭に姿を眩ませたユーリに誰かがぶつかってくる。その正体は呪われていると噂の第三王子であったが、ぶつかられたことに腹を立てたユーリは強気に接し、ダンスを踊った後、彼を捜している気配を感じてからかいながら立ち去る。
それから数年後、第三王子は初恋の令嬢を探し始めたが、それはユーリに違いなく……。
初恋の相手を捜す第三王子×軽口令息
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる