【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g

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第2章

第11話:残された王子の影

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 王都の西寄りにある旧貴族街区は、昼下がりになるとひどく静かになる。白い石畳に落ちる影は短く、整えられた庭の生垣は風を遮って音を飲み込む。人の気配が少ない分、歩く靴音だけがやけに大きく響いた。

 アッシュは、少しだけ歩調を落とした。視線の先を歩くカイルの背中は、いつもより硬く見える。外套の裾が揺れるたび、背筋の伸びた姿勢が際立った。

 ここに来る必要はなかった。少なくとも、任務の書類上では。

 だが今朝、王宮の名を冠した使者が、特別調査官宛てに一通の呼び出しを届けてきた。内容は簡潔で、拒否の余地を残さない文言だった。

「……私一人で来るべきだったな」

 歩きながら、カイルが低く呟いた。

 アッシュは、すぐに首を振った。

「同行を命じられている以上、問題ありません」

 それは半分本心で、半分は癖だった。線を引き、役割に徹する。そうすれば感情を切り離せると、長い間信じてきた。

 だが、旧貴族街区の奥に佇む屋敷を前にしたとき、その考えは脆く揺らいだ。

 白亜の外壁。王家の紋章を外された痕跡が、微かに残っている。かつて、ここが「王子の居場所」だったことを、建物そのものが語っていた。

 門をくぐると、年配の使用人が深く一礼した。

「……お久しゅうございます、殿――」

 言いかけて、言葉を飲み込む。視線が一瞬揺れ、それから慎重に言い直された。

「カイル様」

 その一音が、空気を変えた。

 カイルは、わずかに眉を寄せたが、何も言わずに頷いた。

「用件は承っている。時間は取らせない」

「はい。こちらへ」

 応接間は、記憶のままに整えられていた。豪奢ではないが、品のある調度。壁に掛けられた絵画は、王家の歴史を示すものばかりだ。

 アッシュは、入口近くに立ち、気配を探る。護衛としての位置取り。だが、胸の奥では、別の感情がざわめいていた。

 やがて、扉が開く。

 現れたのは、壮年の男だった。貴族らしい落ち着いた佇まい。だが、その眼差しには、隠しきれない評価と警戒が混じっている。

「久しいな、カイル」

「……叔父上」

 その呼び名に、アッシュは小さく息を呑んだ。

 王家の血を引く者。つまり、今も政治の中枢にいる存在。

「辞退の件は、正式に受理された。だが――」

 男は言葉を区切り、アッシュへと視線を向けた。

「こうして冒険者を連れて歩く必要が、あるのか?」

 空気が張り詰める。

 アッシュは、即座に一歩引こうとして、足を止めた。逃げる動きは、逆に場を乱す。

 カイルが、静かに口を開いた。

「彼は同行者だ。任務上、不可欠な存在でもある」

「……元は、魔法騎士団だったな」

 探るような声。

「王子の側に仕え、そして去った。ずいぶんと都合の良い距離感だ」

 アッシュの胸に、古い棘が刺さる。三年前、囁かれた言葉と同じ響き。

 だが、言葉を発する前に、カイルが一歩前に出た。

「それ以上は、私が許さない」

 低く、だが明確な声音だった。

「彼が去ったのは、私の判断でもあった。……そして今、私は王子ではない。誰を隣に置くかを、咎められる立場でもない」

 叔父の目が、わずかに見開かれる。

「……覚悟はあるのだな」

「ある。だから、ここに来た」

 短い沈黙。

 やがて男は、小さく息を吐いた。

「変わったな、カイル。以前は、もっと――」

 言葉を濁し、首を振る。

「いや、良い。選んだ道なら、背負え。王家の影は、簡単には消えん。それだけは覚えておけ」

 それは忠告であり、警告だった。

「承知している」

 応接間を出るとき、使用人が再び頭を下げた。今度は、何も言わなかった。

 屋敷を離れ、旧貴族街区を抜ける。石畳の音が、少しだけ軽くなった。

 しばらく、二人は無言で歩いた。

 アッシュが口を開いたのは、街区を出てからだった。

「……すみません。あの場で、余計な視線を集めました」

 それは、半ば反射だった。自分がいることで、彼の過去が引き戻される。そう感じてしまう癖が、まだ抜けない。

 カイルは、足を止めた。

 ゆっくりと振り返り、アッシュを見る。

「謝る必要はない」

 その声は、穏やかだった。

「過去は、私のものだ。君のせいではない」

 それでも、アッシュは目を伏せた。

「……あなたが、あの場所に立つたびに。俺は、正しい選択をしたのか、分からなくなります」

 本音だった。三年前の決断が、今も揺れる。

 カイルは、一歩近づいた。

「私も、揺れないと言えば嘘になる」

 だが、次の言葉は、はっきりとしていた。

「それでも、戻りたいとは思わない。……今の方が、息ができる」

 アッシュは、顔を上げる。
 そこには、迷いよりも確信があった。

「君が隣にいるからだ」

 直截な言葉に、胸の奥が熱を帯びる。だが、それを受け止める覚悟が、今の自分にあるのか――アッシュは、自問する。
 左手の指輪に、無意識に親指を添える。その硬質な感触が、アッシュの背筋を伸ばさせた。

「……支えになります。少なくとも、逃げません」

 「もう背中を押さない」と誓った夜を思い出しながら、アッシュは告げた。

 カイルは、小さく笑った。

「十分だ」

 カイルの手が伸び、アッシュの手を迷いなく握りしめる。
 公道で、人目があるかもしれない場所。かつての二人なら、決してしなかった行為。
 アッシュは一瞬驚いたが、その手を振り払わず、強く握り返した。

 夕方の光が、二人の影を長く伸ばす。王子の影は、まだ完全には消えていない。だが、それはもう、二人を引き裂くものではなかった。

 並んで歩く背中に、静かな決意が宿る。

 繋いだ手の熱を確かめ合い、影を踏み越えながら、二人は前へ進んでいた。
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