【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g

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第2章

第12話:無属性の代償

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 夜更けの王都は、昼とは別の顔を見せる。通りの灯りが等間隔に並び、石畳に落ちる光が淡く滲んでいた。家々の窓から漏れる生活の音は、遠くで波のように重なり、やがて静けさに溶けていく。

 拠点へ戻ったあと、アッシュは剣の手入れを続けていた。刃を拭い、柄を締め直す。何度も繰り返してきた作業なのに、今夜はどうにも集中できない。指先の感覚が、わずかに遠い。

 理由は分かっていた。

 廃塔で感じた、あの一瞬の揺らぎ。魔力の流れが、いつものように手の内で収束しなかった感覚。あれは偶然ではない。そう、頭のどこかで理解していた。

 息を整え、無属性の感覚を呼び起こす。空気の層に、意識を滑らせる。何もないはずの場所に、確かに“重さ”がある。

 ――来る。

 次の瞬間、視界が白く弾けた。

 音が遅れて追いつく。金属が床に落ちる音。自分の呼吸が乱れる音。膝が、勝手に折れた。

 床に手をついたとき、指先が痺れているのが分かった。感覚が戻るまでに、ひと呼吸分の時間が必要だった。

「……やはり、か」

 声に出すと、部屋の静けさが強調される。

 無属性魔法は、何も生み出さない。何も壊さない。ただ、世界の“隙間”に触れる。それが、これまでの認識だった。

 だが今は違う。触れた隙間が、こちらを引き戻してくる。まるで、均衡を取り戻そうとする力が、アッシュ自身を削っているかのようだった。

 扉の向こうで、足音が止まる。

「……起きているのか」

 カイルの声。

 返事をする前に、身体が強張った。知られたくない、という反射が、先に立つ。

「ええ。少し、装備の確認を」

 声は、思ったよりも平静だった。

 扉が開き、灯りが差し込む。カイルは外套を脱いだまま、アッシュの様子を一目で捉えた。

 床に散った布。手入れ途中の剣。僅かに乱れた呼吸。

 隠し切れないものは、もうそこにあった。

「……何をした」

 問いは短い。だが、逃げ道はない。

「大したことでは」

 言いかけて、言葉が途切れた。喉の奥が、ひどく乾いている。

 カイルは、ゆっくりと距離を詰めた。触れないまま、視線だけで状況を測る。

「魔力を使ったな。……しかも、無理な形で」

 否定できない。アッシュは、小さく息を吐いた。

「少し、調整が必要なだけです」

 いつもの言い訳。自分自身に向けて、何度も使ってきた言葉。

 だが、カイルは首を振った。

「“少し”ではない」

 低い声が、胸に響く。

「君の魔力の揺れは、私の焔にも伝わってきた」

 その一言で、逃げ場が消えた。

 アッシュは、剣の柄から手を離し、床に腰を下ろした。

「……遺跡で、力を使いすぎました」

 事実を、選びながら口にする。

「封印の歪みを押さえるために、無属性を深く潜らせた。そのときから、感覚が戻りきらない」

 沈黙。

 カイルは、アッシュの正面に膝をついた。視線の高さが合う。

「代償は、どの程度だ」

 淡々とした問い。感情を挟まないのは、現実を把握するためだと分かっている。

「……短時間の眩暈。感覚の遅れ。感情が高ぶると、制御が難しくなる」

 言葉にすると、想像以上に重い。

 カイルは、目を伏せた。

「黙って抱えるつもりだったな」

 責める響きはない。ただ、確信だけがあった。

 アッシュは、否定しなかった。

「今までは、それで済んでいました」

「今は?」

 即座に返される。

 アッシュは、答えに詰まった。

 今は、一人ではない。そう分かっているのに、長年の癖が邪魔をする。弱さを見せれば、相手の足を引っ張る。そう信じてきた。

 カイルは、そっと手を伸ばした。
 その指先が、アッシュの強張った頬に触れる。熱を持った掌が、冷えた肌をゆっくりと包み込んだ。

「……君が倒れれば、私は判断を誤る」

 その言葉は、思いがけず冷静だった。

「同行者として、それは致命的だ」

 感情論ではない。任務の話として、切り出している。

「だから、隠される方が困る」

 頬に添えられた手から伝わる温度が、頑なだった思考を溶かしていく。
 アッシュは、思わず苦笑した。

「随分と、実務的ですね」

「そうでもしないと、君は聞かないだろう」

 その通りだった。

 カイルは、焔を灯した。もう片方の手のひらに浮かんだ小さく、穏やかな火。室内の空気が、わずかに温む。

 その焔に触れた瞬間、アッシュの中のざわめきが、静まった。

 魔力の揺れが、落ち着いていく。呼吸が、自然な速さに戻る。

「……安定する」

 思わず、言葉が漏れた。

 カイルは、焔を保ったまま、目を細める。

「やはり、相互干渉だな。君の無属性と、私の焔は」

 分析するような口調。だが、その奥に、確かな安堵があった。

「完全な解決ではない。だが、制御の補助にはなる」

 アッシュは、焔を見つめた。

 かつては、象徴だった。祝福であり、誓いであり、遠い理想。

 今は違う。

 生きるために、必要なものだ。

「……頼っても、いいですか」

 言葉にするのは、思っていたよりも難しかった。

 カイルは、迷わず頷いた。

「当然だ」

 短く、強い答え。

 そのまま、カイルがアッシュの肩を引き寄せた。
 抵抗することなく、その胸に額を預ける。心臓の音が、すぐ近くで聞こえた。

「君が倒れないことが、私の任務でもある」

 その言い方が、どこか可笑しくて、胸の奥まで温かくなる。

 焔が消えたあとも、安定はしばらく続いた。
 離れがたくて、しばらくそのままでいたが、夜は、まだ深い。

 アッシュは、名残惜しさを振り切って体を離し、剣を鞘に収め、立ち上がった。

「今後は、使用制限を設けます。無属性は、短時間のみ。事前に、必ず伝える」

「了承した」

 簡潔なやり取り。だが、そこには信頼があった。

 部屋を出る前、カイルが振り返る。

「……一人で背負うな」

 それは命令ではなく、願いだった。

 アッシュは、小さく頷いた。

 夜の静けさの中、焔の余熱が、まだ胸に残っている。

 無属性の代償は、確かに重い。だが、それを分け合う相手がいるという事実が、今は何よりも確かだった。

 灯りを落としながら、アッシュは思う。

 守るために隠すのではなく、
 信じるために、話す。

 その選択を、これからは繰り返していくのだろう。

 静かな夜が、ゆっくりと更けていった。
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