【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g

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第2章

第13話:焔は消えず、燃えすぎもする


 朝の空気は、前夜の出来事を知らない顔で澄んでいた。窓を開けると、王都の屋根越しに淡い光が差し込み、埃の粒がゆっくりと浮かび上がる。アッシュの胸の奥に残る焔の余熱は、眠りの間に薄れはしたが、完全には消えていなかった。

 目を閉じ、呼吸を整える。無属性の感覚を呼び起こすと、昨日よりも輪郭が曖昧だ。制御はできる。だが、深く潜れば、また引き戻される。昨夜の約束が、言葉ではなく、重さとして身体に残っていた。

 階下から物音がする。食器の触れ合う音、湯が沸く気配。カイルは、すでに起きているらしい。最近は、どちらが先に起きるか分からない。決まりごとがないことが、かえって心を落ち着かせる。

 階段を下りると、彼は簡素な卓の前に立っていた。焔は灯していない。だが、気配の奥に、いつでも呼び出せる静かな集中がある。

「おはよう」

 一文だけの挨拶が、妙に新鮮だった。

「……おはようございます」

 返す声は、少し低い。眠りが浅かったせいかもしれない。

 朝食は、昨夜の残りと、焼いたパン。湯気が立つだけで、部屋が生き返る。向かい合って座ると、視線がぶつかりそうで、自然と皿に目を落とした。

「今日は、南門外の調査だ」

 カイルが、仕事の話を切り出す。

「魔力反応が、断続的に出ている。規模は小さいが、発生間隔が不自然だ」

 頷きながら、頭の中で地図を描く。人の往来が多い場所だ。無闇な魔法使用は避けたい。

「無属性は、必要最低限にします」

 言い切ると、彼は一瞬だけこちらを見た。

「判断は任せる。だが、兆しがあれば、すぐ合図を」

「……分かりました」

 約束は、言葉にした方がいい。昨夜、そう学んだ。

 南門外は、朝市の準備で賑わっていた。荷車が行き交い、呼び声が重なる。魔力の揺らぎは、人の熱に紛れて掴みにくい。だが、違和感は確かにあった。

 歩きながら、無属性を浅く走らせる。地表の空気、石の間、布の擦れ。触れすぎない。掬い取るだけだ。

 その瞬間、胸の奥が、きゅっと縮んだ。

 理由は分からない。ただ、感情が動いた。子どもが転び、泣き声が上がる。母親が駆け寄る。そのありふれた光景に、なぜかアッシュの胸が疼いた。

 無属性が、反応する。

 視界の端で、空気が歪んだ。ほんの一拍。だが、確かに。

「……合図」

 言葉を絞り出すと、カイルが即座に焔を灯した。小さく、柔らかな火。人目を引かないよう、掌の内に収める。

 焔の気配が、背骨に沿って降りてくる。揺れが、鎮まる。

「大丈夫だ。続けられるか」

「……はい。今なら」

 二人は、自然と位置を入れ替えた。アッシュが半歩前。彼が半歩後ろ。背中越しに、焔の安定が伝わる。

 原因は、露店の一角に置かれた古い護符だった。摩耗し、回路が破断している。人の感情に反応し、断続的に魔力を漏らしていたらしい。

 アッシュは、無属性で周囲を隔離する。深く潜らない。線を引くように。

 その刹那、胸が熱くなった。

 不安ではない。恐怖でもない。名付けるなら、焦りに近い。失いたくない、という感情が、先に立つ。

 無属性が、跳ねた。

「アッシュ」

 一語。名を呼ぶだけで、焔が強まる。

 触れられたわけではない。だが、声が、錨のように働いた。魔力の流れが、元の軌道に戻る。

 隔離は成功し、護符は無力化された。人の流れは、何事もなかったかのように戻る。

 息を整えながら、アッシュは小さく笑った。

「……呼び方、反則です」

「効果的だろう」

 短い返答に、わずかな冗談が混じる。

 路地を抜け、人気のない場所に移る。陽は高くなり、石壁が温もりを帯びていた。

「感情と、魔力が連動している」

 アッシュは、観測結果を口にする。

「高ぶりが、引き金になる。……喜びも、恐れも」

 カイルは、腕を組み、少し考えた。

「制御ではなく、同調だな。押さえつけると、反発する」

「……だから、焔が効く」

 頷くと、彼は否定しなかった。

「私の焔は、熱だ。上下させるのではなく、一定に保つ」

 理屈は分かる。だが、実践は簡単ではない。

「……触れてもいいですか」

 言葉にする前、心臓が一度、強く打った。

 カイルは、躊躇なく掌を差し出した。焔は、まだ灯っていない。

 アッシュは、そっとその手に触れようとした。
 だが、指先が触れた瞬間、カイルが強くアッシュの手を握り返した。
 指と指を深く絡める、密着した繋ぎ方。

 温度は、思ったより低い。だが、芯がある。

 焔が、静かに生まれた。

 視界が、柔らかくなる。無属性の輪郭が、ほどけるように整う。制御ではない。受け入れだ。
 掌から伝わる熱が、直接心臓に流れ込んでくるようだった。

「……安定します」

「なら、良い」

 簡潔な答え。その裏に、揺るぎがない。

 触れたまま、数呼吸。
 離れがたかったが、人目を気にして、手を解いた。だが、残る感覚は、確かだった。

 拠点へ戻る道すがら、アッシュは気づく。

 守られているのではない。支え合っているのだ、と。

 夜、灯りを落とす前、胸の奥で無属性が静かに脈打つ。焔の余韻が、安定を保っている。

 象徴だった焔は、今や機能になった。だが、それでも――いや、だからこそ。

 名前を呼ばれるたび、胸が熱くなる理由は、まだ言葉にできない。
 いや、本当はわかっている。
 失うのが怖いのは、それだけ今が幸せだからだ。

 分かっているのは一つだけだ。

 この連動は、危うい。だが、同時に、確かな救いでもある。

 焔は消えず、燃えすぎもする。

 だから、二人で灯す。必要な分だけ、確かな距離で。

 そう決めて、アッシュは目を閉じた。

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