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第3話:歪んだままの現在地
しおりを挟む遺跡での調査は順調に進み、一週間ほどで一区切りがついた。王立魔法学会からの指示を受け、特使団は王都に戻ることとなる。アッシュも護衛任務のため、特に異論もなく彼らに同行することになった。
馬車に揺られながら王都を目指す道中、アッシュは常にカイルから距離を取るよう心がけていた。隣の馬車に彼が乗っているというだけで、胸がざわつく。意識して景色に目を向けたり、携帯している地図を広げて今後の冒険の計画を立ててみたりするが、それらはどれも、気を紛らわせるには足りなかった。
結局、視線は何度も、隣の馬車を追ってしまう。
休憩のため街道脇に馬車が止まると、カイルが先に地面へ降り立つのが見えた。彼は隊員たちと軽く言葉を交わし、口元に穏やかな笑みを浮かべている。その微笑は、王子として人々の前に立つときの、よく整えられた仮面のようだった。
――かつて、あの頃にはなかった顔だ。
騎士団にいた頃のカイルは、もっと無防備で、もっと真っ直ぐで、不器用なまでに感情を隠さなかった。特に、アッシュの前では。
――変わってしまったのだろうか。……いや、変わらざるを得なかったのか。
ふと、カイルがこちらに視線を寄越す。その一瞬で、アッシュは慌てて目を逸らした。まるで、何かやましいことでもしているかのように。
その自分自身の反応に、胸の奥から苛立ちが滲んだ。三年かけて必死に築いた平穏が、彼のたった一瞥で崩れ落ちていくようで、堪らなく悔しい。
その日の夕食後、馬車に乗り込む直前のことだった。カイルがふと歩み寄り、アッシュに声をかけてきた。
「明日の休憩場所だが、その手前に、珍しい花が咲いている場所がある。君が以前、好きだと言っていた、星の形をした花だ」
それは、たった数語の、他愛ない言葉。しかしアッシュは、呼吸を忘れるほどに驚いた。
星の形をした花――あの薄紫の小さな花は、かつて任務の途中で偶然見つけたもので、まだ誰も名前を付けていなかった。それを見てアッシュが「まるで夜空から落ちてきた星みたいだ」と呟いたのを、カイルは覚えていたのだ。
「……覚えていて、くださったのですか」
アッシュの問いに、カイルはただ静かに微笑んだ。昼間の完璧な笑みとは異なる、柔らかく、どこか懐かしさを帯びた笑顔。その温もりが、アッシュの胸をじんわりと満たしていく。
カイルはそれ以上何も言わず、馬車に乗り込んだ。
しかし、アッシュの心は静まらなかった。
忘れられていなかったことの喜びと、触れられたくなかった記憶に踏み込まれたような戸惑い。
別れて三年が経っても、カイルの中に「アッシュ・レイフォード」がいたという事実が、心の奥深くを掻き乱していく。
数日後、一行は王都に到着した。
特使団は王宮へと向かい、アッシュは人の波から離れるように、冒険者ギルドへと足を運んだ。ここを訪れるのは、実に三年ぶり。だが、その喧騒と熱気は以前と何一つ変わっていない。
「おお、アッシュじゃねえか! 久しぶりだな。随分と長い旅だったようだが、そろそろ腰を落ち着ける気になったのか?」
受付にいた初老の男が、懐かしそうに笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「ええ、まあ……。そろそろ、自分の拠点でも、と考えていまして」
アッシュは少し照れたように、苦笑で返す。まさか、その決意の陰に、元恋人との再会があるとは、さすがに言えなかった。
ギルドの奥にある個室へと案内され、アッシュは係の者に拠点設置に必要な手続きについて尋ねた。冒険者が私的に土地を取得し、家を構えるのは、特別なことではない。むしろ、安定した依頼を得やすくなるため、拠点を持つ者は多い。
だがアッシュにとって、それは単なる拠点ではなかった。
ひとつの終わりであり、そして始まりでもあった。
いくつか提示された候補地の中から、アッシュは王都の東――旧市街にほど近い一角を選んだ。かつてカイルと密かに通った小さな酒場や、ふたりで夜を分かち合った丘のそばだった。
思い出に引き寄せられたわけではない。……そう思いたかった。
けれど、無意識のうちにカイルとの記憶に近い場所を選んでしまっていた自分に気づき、アッシュは内心で苦笑する。
それでも。長い旅を終え、この場所で静かに暮らしていくことは、自分にとって未来を築くための第一歩になるのだと、言い聞かせるように思った。
「一度、現地をご確認いただいてから、正式な契約となりますが、よろしいでしょうか」
「はい、構いません」
書類にサインをしながら、アッシュは静かに心の中で呟く。
――これで、旅は終わる。誰とも深く関わらず、ひっそりと生きていくんだ。
そう決めたはずなのに、心の奥ではまだ、カイルの姿が消えてくれなかった。
その夜。宿の一室で、アッシュは一人、薄明かりの中に身を沈めながら、これからのことを考えていた。
拠点を持つこと。それは、流浪の生活に終止符を打つということだ。
けれど、カイルと顔を合わせた瞬間から、その決意は胸の奥で揺らぎはじめていた。
――あの時、自分が身を引いた意味。
カイルの未来を守るために。彼の自由を奪わないために。アッシュは、静かに恋を手放した。王子としての彼の立場を守るため、それが最も正しい選択だと信じていた。
それは、当時のアッシュにとって、彼にできる唯一の――最大の愛情表現だった。
けれど。
――身を引いたことで、何を守れたのか。
カイルは今や、王国の第二王子として政務に携わり、誰の目にも立派な王族として映っている。あの堂々たる佇まいも、自信に満ちた微笑も、まさにアッシュが望んでいた通りの未来の姿だった。
そう。それはアッシュの願いが形となった結果だ。
なのに――どうして、こんなにも胸が痛むのか。
なぜ、輝かしい彼の未来の隣に、自分は立っていないのか。
あの夜空に似た花のことを、カイルが覚えていたという、それだけのことで。
アッシュの中に、「もしも、あのとき……」という甘くて苦い芽が、心の隙間にひっそりと根を下ろす。
守ったはずの未来は、本当にふたりにとって最善だったのか。
その問いに答えることはできず、アッシュはただ、窓の外に浮かぶ月を見上げた。
王都の夜は、どこまでも静かで、優しく、そして少しだけ冷たかった。
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