【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g

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第4話:王子の告白、冒険者の沈黙

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 王都に着いてから、数日が過ぎていた。アッシュは、拠点に関する手続きを淡々と進めながら、王宮でのカイルの動向について、冒険者ギルドの雑談に無意識のうちに耳を傾けていた。

 第二王子が辺境の遺跡調査に同行していたという話は、取るに足らない噂として流れていたが、それ以上の深い情報は出てこなかった。

 この数日間、カイルからの連絡はなかった。護衛任務はすでに終えている。王都に戻った今となっては、もう彼と顔を合わせることもないだろう。

 それこそが、アッシュが望んだ「平穏な生活」の始まり――そう、自分に言い聞かせていた。けれどその言葉の裏で、心の奥底では別の感情が渦巻いていた。

 午後の日差しが斜めに差し込むギルドの窓際で、アッシュは地図を広げていた。そこへ、静かにひとつの影が落ちる。

 顔を上げた瞬間、見慣れた銀金の髪が視界に入った。

「アッシュ」

 カイルだった。公務服ではなく、簡素な外套を羽織っている。けれど、その所作や雰囲気は、周囲の冒険者たちと明らかに違っていた。

 一瞬だけ、ギルド内の視線が二人に集まり、そして、そっと逸れていく。王族がこんな場所に現れるのは、珍しいことだった。

「……殿下。何か御用ですか?」

 アッシュは努めて平静を装いながら口を開いた。けれど、心臓の音だけが妙に大きく響いていた。

 まさか、カイルが自分から訪ねてくるとは――思ってもいなかった。

「話がある。……ここではない場所で」

 カイルの声は、どこか急いていた。その切実さに、アッシュは迷った。しかし結局、拒む言葉は口をついて出なかった。

 二人はギルドを出て、人通りの少ない路地を抜けていく。沈黙が流れた。

 その静けさは、遺跡でともに過ごした夜よりも、ずっと重く感じられた。

 辿り着いたのは、旧市街の外れにある古びたカフェだった。かつて騎士団の任務の合間に、カイルが「ここなら目立たない」と連れてきてくれた場所だ。

 店に入ると、マスターは無言のまま、奥の席へと案内してくれる。小さな衝立に囲まれたその席は、外からの視線が届きにくくなっていた。

 向かい合って座ると、カイルは真剣な眼差しでアッシュを見つめた。

「三年前のことだ」

 カイルは、一言、そう切り出した。

「君は、愛情が冷めたと言って、俺の元を去った。……けれど、あの言葉が本心ではなかったと、俺はすぐに気づいていた」

 アッシュは、息を呑んだ。まさかこの話を、彼の口から聞く日が来るとは。

「当時の俺は、君の言葉を信じたくなかった。だが……立場が、それを許さなかった。王族としての責務が、私の足を縛っていた」

 声に滲むのは、悔しさと痛みだった。

「それでも、あの別れが正しかったとは思えない。……今も、そう思っていない」

 アッシュの胸に、鋭い痛みが走る。

 カイルは、あの別れを後悔している。そう、言っている。

「君が俺の足かせになると考えていたなら、それは大きな間違いだ。……君がいてくれることで、どれほど私が救われていたか」

 カイルの拳が、膝の上で震えていた。その指先から伝わる熱に、アッシュの視線が吸い寄せられる。

「私は、ずっと君を探していた。……君が、どこでどうしているのか。無事でいるのか。それだけが気がかりだった」

 その言葉は、アッシュの胸の奥底に突き刺さった。

 三年間、アッシュは一人で全てを背負い込み、カイルの幸せを願って身を引いたつもりだった。けれど、その選択が、カイルを深く傷つけ、後悔させていたというのか。

「……過去は、変わりません」

 絞り出すように言いながら、アッシュは無意識のうちに立ち上がっていた。

「俺が、身を引いたのは……あなたの未来を、邪魔したくなかったからです。王子であるあなたが、俺のような者に縛られるべきではないと、思ったんです」

 あの頃、二人の関係が王宮の一部で囁かれ、カイルの立場が揺らぎかけたことがあった。

 そのとき見せた、カイルのわずかな表情の陰り。それらすべてが、アッシュの背を押した。

「俺は、あなたの足かせになりたかったわけじゃない。……ただ、あなたにはあなたの道を、まっすぐ歩いてほしかった」

 それ以上、言葉は続かなかった。アッシュは席を離れ、カフェの扉へ向かう。

 カイルは、ただ静かに、アッシュの背中を見つめていた。その視線の重さが、アッシュの心を締めつける。

 カフェを出て、アッシュは王都の雑踏の中を無心で歩き続けた。

 カイルの言葉が、頭の中で何度も反響する。

 ――あの時の選択が、今も正しかったとは思っていない。

 アッシュが良かれと思ってしたことが、カイルを苦しめていた。

 その事実だけが、胸に刺さって離れなかった。

 どれほど歩いたかも覚えていない。ただ、気がつけば冒険者ギルドの前に立っていた。

 ふらりと中に入ると、受付の者が声をかけてきた。

「アッシュさん、ちょうど良かった。新拠点の土地契約の件、手続きが完了しました。これで正式に、アッシュさんの土地になります」

 手渡された契約書は、まだ新しい羊皮紙の香りがした。

 ここに家を建て、庭を造り、誰にも邪魔されない生活を送る。

 それが、アッシュが三年間の流浪の中で追い求めた「安住の地」だったはずだ。

 けれど、契約書を手にしたアッシュの胸は、まるで空洞のように満たされなかった。

 この場所で、一人で生きる。――それが、本当に望んでいた未来なのだろうか。

 再会から数日。カイルとの距離は縮まるどころか、むしろ遠ざかったようにも思えた。

 だが、それでもなお、アッシュの心はこの王都に留まりたいと訴えていた。

 カイルがこの街にいるからか。それとも、彼の言葉が、胸の奥で灯を消さずにいるからか。

 やがて、王宮からの報せがギルドにも届いた。

 遺跡調査の再開。そして、監査役として、再びカイル・ディストラン殿下が同行すること。

 その知らせを聞いた瞬間、アッシュは、自分の中に小さな安堵があることに気づいてしまった。

 引き離そうとしても、避けようとしても。

 運命は、二人の糸をまた繋ごうとしているのかもしれない――そう思えた。
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