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第4話:王子の告白、冒険者の沈黙
しおりを挟む王都に着いてから、数日が過ぎていた。アッシュは、拠点に関する手続きを淡々と進めながら、王宮でのカイルの動向について、冒険者ギルドの雑談に無意識のうちに耳を傾けていた。
第二王子が辺境の遺跡調査に同行していたという話は、取るに足らない噂として流れていたが、それ以上の深い情報は出てこなかった。
この数日間、カイルからの連絡はなかった。護衛任務はすでに終えている。王都に戻った今となっては、もう彼と顔を合わせることもないだろう。
それこそが、アッシュが望んだ「平穏な生活」の始まり――そう、自分に言い聞かせていた。けれどその言葉の裏で、心の奥底では別の感情が渦巻いていた。
午後の日差しが斜めに差し込むギルドの窓際で、アッシュは地図を広げていた。そこへ、静かにひとつの影が落ちる。
顔を上げた瞬間、見慣れた銀金の髪が視界に入った。
「アッシュ」
カイルだった。公務服ではなく、簡素な外套を羽織っている。けれど、その所作や雰囲気は、周囲の冒険者たちと明らかに違っていた。
一瞬だけ、ギルド内の視線が二人に集まり、そして、そっと逸れていく。王族がこんな場所に現れるのは、珍しいことだった。
「……殿下。何か御用ですか?」
アッシュは努めて平静を装いながら口を開いた。けれど、心臓の音だけが妙に大きく響いていた。
まさか、カイルが自分から訪ねてくるとは――思ってもいなかった。
「話がある。……ここではない場所で」
カイルの声は、どこか急いていた。その切実さに、アッシュは迷った。しかし結局、拒む言葉は口をついて出なかった。
二人はギルドを出て、人通りの少ない路地を抜けていく。沈黙が流れた。
その静けさは、遺跡でともに過ごした夜よりも、ずっと重く感じられた。
辿り着いたのは、旧市街の外れにある古びたカフェだった。かつて騎士団の任務の合間に、カイルが「ここなら目立たない」と連れてきてくれた場所だ。
店に入ると、マスターは無言のまま、奥の席へと案内してくれる。小さな衝立に囲まれたその席は、外からの視線が届きにくくなっていた。
向かい合って座ると、カイルは真剣な眼差しでアッシュを見つめた。
「三年前のことだ」
カイルは、一言、そう切り出した。
「君は、愛情が冷めたと言って、俺の元を去った。……けれど、あの言葉が本心ではなかったと、俺はすぐに気づいていた」
アッシュは、息を呑んだ。まさかこの話を、彼の口から聞く日が来るとは。
「当時の俺は、君の言葉を信じたくなかった。だが……立場が、それを許さなかった。王族としての責務が、私の足を縛っていた」
声に滲むのは、悔しさと痛みだった。
「それでも、あの別れが正しかったとは思えない。……今も、そう思っていない」
アッシュの胸に、鋭い痛みが走る。
カイルは、あの別れを後悔している。そう、言っている。
「君が俺の足かせになると考えていたなら、それは大きな間違いだ。……君がいてくれることで、どれほど私が救われていたか」
カイルの拳が、膝の上で震えていた。その指先から伝わる熱に、アッシュの視線が吸い寄せられる。
「私は、ずっと君を探していた。……君が、どこでどうしているのか。無事でいるのか。それだけが気がかりだった」
その言葉は、アッシュの胸の奥底に突き刺さった。
三年間、アッシュは一人で全てを背負い込み、カイルの幸せを願って身を引いたつもりだった。けれど、その選択が、カイルを深く傷つけ、後悔させていたというのか。
「……過去は、変わりません」
絞り出すように言いながら、アッシュは無意識のうちに立ち上がっていた。
「俺が、身を引いたのは……あなたの未来を、邪魔したくなかったからです。王子であるあなたが、俺のような者に縛られるべきではないと、思ったんです」
あの頃、二人の関係が王宮の一部で囁かれ、カイルの立場が揺らぎかけたことがあった。
そのとき見せた、カイルのわずかな表情の陰り。それらすべてが、アッシュの背を押した。
「俺は、あなたの足かせになりたかったわけじゃない。……ただ、あなたにはあなたの道を、まっすぐ歩いてほしかった」
それ以上、言葉は続かなかった。アッシュは席を離れ、カフェの扉へ向かう。
カイルは、ただ静かに、アッシュの背中を見つめていた。その視線の重さが、アッシュの心を締めつける。
カフェを出て、アッシュは王都の雑踏の中を無心で歩き続けた。
カイルの言葉が、頭の中で何度も反響する。
――あの時の選択が、今も正しかったとは思っていない。
アッシュが良かれと思ってしたことが、カイルを苦しめていた。
その事実だけが、胸に刺さって離れなかった。
どれほど歩いたかも覚えていない。ただ、気がつけば冒険者ギルドの前に立っていた。
ふらりと中に入ると、受付の者が声をかけてきた。
「アッシュさん、ちょうど良かった。新拠点の土地契約の件、手続きが完了しました。これで正式に、アッシュさんの土地になります」
手渡された契約書は、まだ新しい羊皮紙の香りがした。
ここに家を建て、庭を造り、誰にも邪魔されない生活を送る。
それが、アッシュが三年間の流浪の中で追い求めた「安住の地」だったはずだ。
けれど、契約書を手にしたアッシュの胸は、まるで空洞のように満たされなかった。
この場所で、一人で生きる。――それが、本当に望んでいた未来なのだろうか。
再会から数日。カイルとの距離は縮まるどころか、むしろ遠ざかったようにも思えた。
だが、それでもなお、アッシュの心はこの王都に留まりたいと訴えていた。
カイルがこの街にいるからか。それとも、彼の言葉が、胸の奥で灯を消さずにいるからか。
やがて、王宮からの報せがギルドにも届いた。
遺跡調査の再開。そして、監査役として、再びカイル・ディストラン殿下が同行すること。
その知らせを聞いた瞬間、アッシュは、自分の中に小さな安堵があることに気づいてしまった。
引き離そうとしても、避けようとしても。
運命は、二人の糸をまた繋ごうとしているのかもしれない――そう思えた。
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