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第5章 俺たちは『英雄』じゃなくて、『愛の逃避行』がしたい
第39話:理想と現実の甘い罠
しおりを挟むジュゴンに導かれ、ボートで進んだ先。
洞窟の奥には、予想以上に広大な空間が広がっていた。
「……すごいな。こんな場所に遺跡があるなんて」
俺、ルシアンは呆気にとられて口を開けた。
天井からは発光する苔が星空のように垂れ下がり、地底湖の中央には、白亜の神殿が鎮座している。
崩れかけた石柱には、抱き合う男女のレリーフや、古代文字がびっしりと刻まれていた。
「『恋人たちの試練場』……か。ふん、私たちには必要のない場所だな」
隣でボートを降りた旦那様――オルドリンが、鼻を鳴らして言った。
彼は氷魔法で足場を固めながら、過保護にも俺の手を引いてくれる。
「私たちの愛は既に完成されているからな。試されるまでもない」
「はいはい。でも油断するなよ? 古代の遺跡ってのは、大体性格の悪い罠があるもんだから」
俺は苦笑しながら、周囲を警戒した。
ジュゴンは「きゅぅ!」と鳴いて、器用にヒレで神殿の入り口を指し示す。どうやら、この奥にお宝があるらしい。
「行くか、オルドリン」
「ああ。私の背中から離れるなよ。……虫一匹、君には近寄らせない」
オルドリンが先陣を切る。
その背中は頼もしいが、同時に「何かあったら地形ごと消し飛ばす」という危うさも秘めていた。
まあ、いつものことだ。俺たちは顔を見合わせて頷き、神殿の門をくぐった。
その瞬間だった。
プシュッ――。
足元の石畳が沈み込み、甘ったるい香りのピンク色のガスが噴き出したのは。
「――ッ!? ルシアン、息を止めろ!」
「げほっ、なんだこれ!?」
「きゅぅ!?」
ジュゴンが驚いて水中に飛び込む音が聞こえたが、構っている余裕はない。
視界が一瞬でピンク色に染まる。
俺は慌てて口元を覆ったが、既に遅かった。
強烈な睡魔と、ふわふわとした浮遊感。
隣にいたはずのオルドリンの姿が、濃い霧に飲まれて消えていく。
「オルドリン!」
「ルシアン! くそ、どこだ……!?」
伸ばした手は空を切り、俺の意識は甘い闇の中へと沈んでいった。
◇◇◇
「……ン、……ルシアン」
優しい声に呼ばれて、俺は目を覚ました。
気がつくと、俺は神殿の回廊のような場所に立っていた。霧は晴れているが、周囲の景色が妙に歪んでいる。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
目の前に、オルドリンが立っていた。
彼は心配そうに眉を下げ、俺の顔を覗き込んでいる。
よかった、はぐれたわけじゃなかったのか。
「ああ、平気だ。ちょっと目が回ったけど……。オルドリンこそ無事か?」
「もちろんさ。君が無事なら、それだけで私は幸せだ」
オルドリンは爽やかに微笑み、俺の肩についた埃を優しく払った。
その動作は洗練されていて、無駄がない。
まるで絵本に出てくる王子様のようだ。
「さあ、行こうか。この先は危険かもしれない。私の後ろを歩いていてくれればいいからね」
「え? あ、ああ……」
彼はスマートに俺をエスコートし、歩き出した。
完璧な対応だ。
過保護すぎず、かといって放任でもない。
俺の自尊心を傷つけない適度な距離感を保ち、それでいて頼りがいのある背中。
これぞまさに、世の女性たちが憧れる『理想のスパダリ』そのものなのだろう。
――だが。
(……なんだ、この違和感は?)
俺の背筋に、冷たいものが走った。
何かがおかしい。
決定的に何かが足りない。
俺は立ち止まり、彼に声をかけた。
「なぁ、オルドリン」
「ん? どうしたんだい、ルシアン」
彼は振り返り、完璧な笑顔を向けた。
その顔を見て、俺は確信した。
こいつは、偽物だ。
「……お前、誰だ?」
「何を言っているんだ。私は君の夫、オルドリンだよ」
「嘘つけ」
俺はジト目で彼を睨みつけた。
「俺の旦那様はな、俺と目が合っただけでちょっと挙動不審になるし、隙あらば抱きついて匂いを嗅ごうとする変態なんだよ!」
「……は?」
偽物の笑顔が引きつる。
「それに、今の『私の後ろを歩いて』ってのも距離感が違う! 本物なら『私の視界から一ミリも出るな、君が私から離れたら、この場の全てを凍らせてしまう自信がある』くらいのことは平気で言う!」
「い、いや、それは流石に……」
「あと、爽やかすぎるんだよ! 旦那様の愛はもっとこう、湿気が高くて、重くて、胃もたれするくらい濃厚なんだ! お前みたいな『無糖炭酸水』みたいなスッキリした男じゃない!」
俺は叫びながら、構えを取った。
今更『無糖』なんて受け付けられるはずがない! 俺の体は、あの激甘ねっとりシロップ漬けの愛じゃないと満足できない体にされちまってんだからな!
そう、俺はとっくに順応してしまっているのだ。
あの重苦しくて、面倒くさくて、暑苦しい愛に。
今さらこんなスマートな対応をされても、物足りなくて不安になるだけだ!
「俺の扱いにくい旦那様を返せ! このパチモン野郎!!」
俺は全力の風魔法(ウィンドカッター)を、偽物に向けて放った。
◇◇◇
一方その頃。
壁一枚隔てた通路では、オルドリンもまた、奇妙な再会を果たしていた。
「……オルドリン……」
霧の中から現れたのは、涙目で震えるルシアンだった。
服は少し乱れ、か弱い小動物のように身を縮めている。
「ルシアン!? 無事か!」
オルドリンは反射的に駆け寄ろうとした。
愛する妻が怯えている。今すぐ抱きしめて、安心させてやらねばならない。
だが、その足がピタリと止まる。
「怖かったぁ……。俺、一人じゃ何もできなくて……」
ルシアン(?)は、上目遣いでオルドリンを見上げ、その袖を頼りなげに掴んだ。
「もう歩けない。おんぶして? オルドリンがいないと、俺、生きていけないんだ……」
その瞳は潤み、頬は赤く染まっている。
か弱く、守ってあげたくなる、庇護欲をそそる姿。
それは、オルドリンが心のどこかで望んでいたかもしれない――「自分がいなければダメなルシアン」そのものだった。
しかし。
オルドリンの表情から、急速に感情が抜け落ちていった。
代わりに浮かび上がったのは、周囲の空気を凍てつかせるほどの、絶対零度の怒りだった。
「……貴様」
低く、地を這うような声が響く。
「どうした? オルドリン……?」
「私のルシアンの皮を被って、何をふざけた真似をしている」
パキパキ、と音を立てて、地面が凍結し始める。
オルドリンは、袖を掴む偽物の手を冷淡に振り払った。
「私のルシアンは、こんなに弱々しくない」
脳裏に浮かぶのは、本物のルシアンの姿だ。
Fランク冒険者だと笑いながら、泥だらけになって薬草を採取する姿。
「重い!」と文句を言いながらも、オルドリンの暴走を真正面から受け止める強さ。
そして何より、つい先日――『アンタを守れる男になる』と啖呵を切り、勝負を挑んできた、あの勇ましい瞳だ。
「彼はいつだって私の隣に立ちたがり、自分の足で荒野を歩こうとする男だ。私が『守りたい』と願っても、『自分のケツは自分で拭く』と言い放つ気高さがある!」
オルドリンの魔力が膨れ上がり、通路全体が猛吹雪に包まれる。
「私が甘やかしたいのは、必死に抗う彼であって、最初から媚びてくる人形ではない! か弱いだけの愛玩人形など、私は求めていない!」
オルドリンは激昂した。
これは侮辱だ。
自分に対する、そして何より、最愛のパートナーに対する最大の冒涜だ。
「私の最愛の妻を、そんな安い『ヒロイン』の枠に押し込めるなァァァッ!!」
ドゴォォォォォン!!
極大の氷魔法が炸裂し、偽物のルシアンごと、遺跡の壁を粉砕した。
◇◇◇
「うおっ!? なんだ今の揺れ!?」
風魔法で偽物を切り刻んでいた俺は、隣の壁が爆発したことに驚いて飛び退いた。
ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の向こうから、冷気を纏った修羅――もとい、旦那様が姿を現す。
「……チッ。不快な幻覚だった」
「オルドリン!」
俺は叫んだ。
彼は俺の姿を認めると、一瞬で表情を崩し、雪崩のように駆け寄ってきた。
「ルシアン!! 無事か!? 怪我はないか!? 私がいない間に変な男に言い寄られていないか!?」
「うわっ、とと……!」
タックルのような抱擁を受け止めると、いつもの「重さ」がずしりと響いた。
強く抱きしめられすぎて、肋骨がきしむ音。
首筋に押し付けられる熱い吐息。
そして、「君がいなくなったら世界を滅ぼすところだった」という物騒な呟き。
(……ああ、これだこれ)
俺は苦しい息の中で、妙な安心感を覚えていた。
スマートさの欠片もない、余裕のない必死な抱擁。
これこそが、俺の旦那様だ。
「……ひっどい顔してるな、旦那様」
「君こそ。髪がボサボサだ」
俺たちは顔を見合わせ、ふっと笑った。
幻覚の「理想」なんかより、この泥臭い「現実」の方が、何百倍も愛おしい。
その時。
破壊された壁の奥から、不気味な咆哮が響き渡った。
『オノレ……折角ノ「理想」ヲ拒絶スルトハ……愚カ者ドモメ……』
空間が歪み、巨大な一つの影が実体化していく。
無数の目玉がついた、スライム状の醜悪な魔物。
先ほどの幻覚を見せていた元凶だろう。
魔物の中心にある巨大な目玉が、ギョロリと俺たちを睨んだ。
『ナゼ愛サナイ? 傷ツカズ、苦しまズ、都合物ノ良イ「理想」コソガ至高デあロウニ……!』
「はん、笑わせるな」
俺はニヤリと笑い、剣を構えた。
「傷つかない恋なんて、味のしないガムみたいなもんだろ? 俺たちはな、喧嘩して、すれ違って、それでも一緒にいたいんだよ」
「その通りだ」
オルドリンが俺の隣に並び、殺意に満ちた冷気を練り上げる。
その瞳は、魔物に対してだけではなく、別の何かに対しても燃え上がっていた。
「よくも私のルシアンの偽物を……あんな軟弱な姿を見せてくれたな。その罪、万死に値する」
「えっ、そっち? 俺たちへの精神攻撃じゃなくて?」
「君への攻撃も許さんが、私の『ルシアン』を汚した罪も重い!」
相変わらずの斜め上のキレ方に、俺は吹き出した。
まったく、本当に面倒くさい男だ。
俺たちの胸元で、お揃いのペンダント――氷巨人の心核が、青白く輝き始めた。
それはまるで、俺たちの絆と、ちょっと歪んだ独占欲に呼応しているかのように。
「行くぞ、ルシアン。あの目障りな化け物を消し炭(フリーズドライ)にする」
「了解、旦那様! ……さっさと片付けて、バカンスの続きといこうぜ!」
俺たちは地を蹴った。
理想なんてクソ食らえだ!
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