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第2章 スパダリ修行は夜も忙しい!?〜嫉妬と媚薬と婚約騒動〜
第15話:事後の朝と新たな契約
しおりを挟む小鳥のさえずりが聞こえる。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、まぶたを優しく叩く。
最高の目覚めだ。布団はふかふかで、温かくて、心地よい重みがある。
「……んぅ」
俺――リアン・アークライトは、幸せな微睡みの中で寝返りを打とうとした。
しかし、体が動かなかった。
金縛り? いや、違う。
俺の腰には、鋼のような腕がガッチリと回されていた。
「……え?」
パチリと目を開ける。
目の前に、壁があった。
いや、壁ではない。白くて、きめ細やかで、ほんのりと温かい……シリル様の胸板だ。
一瞬で、昨夜の記憶がフラッシュバックした。
エリス王女のお茶会。
毒味で飲んだ媚薬。
理性の崩壊。
そして、シリル様に縋り付いて、「一人にしないで」と泣きついたこと。
その後の、とろけるような熱い夜のこと。
「~~~~っ!!」
俺は音にならない悲鳴を上げ、カッと顔を赤らめた。
夢じゃなかった。
俺、やっちゃったよ! 筆頭補佐官にあるまじき失態だ!
主君を誘惑して(薬のせいだけど)、一線を越えるなんて!
「……おはよう、リアン」
頭上から、甘く掠れた声が降ってきた。
恐る恐る見上げると、シリル様が頬杖をついて、こちらを見下ろしていた。
その表情を見て、俺は息を呑んだ。
美しい。
朝の光を浴びたプラチナブロンドはキラキラと輝き、アイスブルーの瞳は、まるで極上の宝石のように澄み渡っている。
何より、その肌艶が良い。
魔王のような冷徹さはどこへやら、今の彼は「美味しいご飯をお腹いっぱい食べた後の猫」のように、満ち足りたオーラを放っていた。
「よ、よく眠れましたか……?」
「ああ。人生で最高の目覚めだ」
シリル様はふわりと微笑み、俺の額にキスをした。
「君のおかげだよ。……私の可愛い『共犯者』さん」
「うぐっ……」
俺は布団を頭まで被りたくなった。
昨夜の「もっとめちゃくちゃにしてください」とかいう自分の台詞を思い出して、穴があったら入りたい。いや、埋めてほしい。
「さて、まずは現状確認といこうか」
シリル様は楽しそうに布団を剥いだ。
俺は反射的に体を隠そうとしたが、遅かった。
ベッドの横にある姿見に、自分の姿が映る。
「なんじゃこりゃあぁぁぁ!?」
俺は絶叫した。
首筋、鎖骨、肩、胸元……。
至る所に、赤い花が咲き乱れていた。
キスマークだ。一つや二つじゃない。星座が作れそうなくらいある。
「し、師匠! これ何ですか!?」
「何って、所有印(マーキング)だが?」
「つけすぎです! これじゃあシャツのボタンが開けられないじゃないですか!」
「開けなくていい。誰に見せるつもりだ」
シリル様は悪びれる様子もなく、俺の首筋のマークを指でなぞった。
「虫除けだよ。これを見れば、どんな図太い神経をした人間でも、君が『誰のもの』か一発で分かるだろう?」
「……確かに、これを見て寄ってくるのは勇者くらいですね」
俺はガックリと項垂れた。
これではもう、公衆浴場にも行けないし、暑い日にシャツをパタパタすることもできない。
完全に「囲い込み」が完了してしまった。
◇◇◇
着替え(もちろんハイネックのシャツだ)を済ませた俺たちは、遅めの朝食をとることにした。
場所は、シリル様の私室のバルコニー。
天気は快晴。小鳥が歌い、花が咲き乱れる、絶好のピクニック日和だ。
しかし、俺の心境は複雑だった。
これから「責任問題」についての話し合いが待っているからだ。
「リアン、口を開けて」
「自分で食べられますって」
「ダメだ。君は昨夜の疲れがあるだろう? ほら、あーん」
シリル様はパンを千切り、蜂蜜をたっぷり塗って差し出してくる。
俺は諦めて口を開けた。
甘い。パンも、シリル様の視線も、何もかもが甘すぎる。
「……あの、師匠」
「なんだい?」
「エリス王女のことですが……」
俺が切り出すと、シリル様の笑顔が一瞬で氷点下になった。
「ああ。あの『害虫』のことか」
「害虫って……一応、王女様ですよ」
「関係ない。彼女は今朝早く、ロズタリアからの迎えの馬車に乗せられて強制送還されたよ」
「えっ、もう!?」
シリル様は優雅に紅茶を啜った。
「昨夜のうちに、国王陛下とロズタリア大使館に抗議文を送っておいたんだ。『貴国の王女が我が家の筆頭補佐官に違法薬物を使用し、公爵家への敵対行動をとった』とね。証拠の小瓶も添えて」
「し、仕事が早い……」
「向こうの国王は平謝りだったよ。莫大な賠償金と、不平等条約の改正で手打ちにしてやった」
俺は戦慄した。
師匠、怒らせると国が傾くレベルで怖い。
でも、それだけ俺のために動いてくれたということだ。
「……ありがとうございました。俺のために、そこまでしてくれて」
「礼には及ばない。私のものを守るのは当然だ」
シリル様はふっと表情を緩め、俺の手を握った。
「それに、彼女のおかげで……君の本音が聞けたからね」
「うっ」
「『他の人と結婚しないで』『捨てないで』……ああ、思い出すだけで興奮してくる」
「やめてください! 忘れてください!」
俺が顔を覆うと、シリル様はクスクスと笑い、そして真剣な表情になった。
「さて、リアン。本題に入ろうか」
シリル様が姿勢を正す。
俺も背筋を伸ばした。来た。お説教タイムか、それとも解雇通知か。
「君は昨日、私に『責任を取ってくれ』と言ったね」
「はい。言いました……すみません。でも、責任を取らなければならないのは俺ですよね。主君である師匠に不埒な真似をさせてしまいました。補佐官として、どんな処分も受ける覚悟です」
俺は頭を下げた。
薬のせいとはいえ、俺がシリル様を誘ったのは事実だ。
責任は、男として取らなければならない。
「処分? ……フッ、違うな」
シリル様は首を横に振った。
「君には『責任』を取ってもらう。……一生をかけてね」
彼は懐から、小さな小箱を取り出した。
パカッ、と蓋が開かれる。
中に入っていたのは、透き通るようなアイスブルーの宝石がついた指輪だった。
魔力を帯びてキラキラと輝いている。
「これは?」
「誓いの指輪だ。……オルディス公爵家の『伴侶』に代々受け継がれているものではないが、私が君のために新しく作らせた、世界に一つだけの魔道具だ」
シリル様は指輪をつまみ上げ、俺の左手を取った。
「リアン。君はもう、ただの補佐官ではない」
「え?」
「君は私のパートナーであり、私の心臓であり、私のすべてだ。……これからは、公私ともに私の隣にいてほしい」
それは、実質的なプロポーズだった。
男同士だから結婚はできないかもしれない。
でも、この指輪は、どんな契約書よりも重く、確かな約束の証だ。
俺は、震える声で尋ねた。
「……いいんですか? 俺なんかで」
「君じゃなきゃダメなんだ」
シリル様はきっぱりと言い切った。
「他の誰かじゃ、私のわがままを受け止めきれないし、私の淹れる紅茶を美味しいとは言ってくれないだろう?」
「それは……まあ、師匠の紅茶は渋いですからね」
「うるさいな。……とにかく、私は君が必要なんだ。君はどうなんだ?」
問いかけられ、俺は自分の胸に手を当てた。
ズキズキとした痛みはもうない。
あるのは、じんわりと広がる温かさと、満ち足りた幸福感だけだ。
俺は「スパダリ」になりたかった。
誰かを守り、愛し、幸せな家庭を築きたかった。
形は少し違うけれど……俺は今、世界で一番手のかかる、愛しい人を守り、愛されている。
(……これでいいんだ)
俺は覚悟を決めた。
この最強で最恐の公爵様を、一生かけて支え、愛し抜こうと。
「はい。……謹んで、お受けいたします」
俺が答えると、シリル様は花が咲いたような笑顔を見せた。
そして、俺の左手の薬指に、指輪をゆっくりと嵌めた。
サイズはぴったりだった。
指輪が嵌まった瞬間、中から温かい魔力が流れ込んできて、俺の体とシリル様の体が目に見えない糸で繋がったような感覚がした。
「これで君は、名実ともに私のものだ」
「はい。……覚悟はできてますよ、師匠」
「『師匠』はやめないか? せめて『シリル』と……」
「修行が終わるまでは師匠です!」
俺が頑なに拒否すると、シリル様は「やれやれ」と肩をすくめた。
でも、その顔はとても楽しそうだ。
「まあいい。……これからは、夜の修行も増やしていくから覚悟しておくように」
「えっ」
「補佐官の業務に『夜のお相手』も追加だ。手当は弾む」
「そ、そんな業務は契約書にないです! 無効です!」
「ここは私の領地だ。私がルールだ」
シリル様は悪戯っぽく笑い、俺を引き寄せてキスをした。
朝の光の中で交わすキスは、昨夜のような激しさはないけれど、甘くて、優しくて、とろけるようだった。
こうして、エリス王女による「媚薬騒動」は、俺たち二人の絆を(物理的にも精神的にも)強固にするという結果で幕を閉じた。
公爵家には、今日も平和な日常が戻ってきた。
ただし、俺の首筋のキスマークが消えるまでの一週間、俺が使用人たちの視線に耐えながら冷や汗をかくことになるのは、確定事項である。
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