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第2章 スパダリ修行は夜も忙しい!?〜嫉妬と媚薬と婚約騒動〜
第14話:媚薬ととろける理性(後編)
しおりを挟む世界が、熱で溶けていくようだった。
公爵邸の主寝室。
キングサイズの天蓋付きベッドの上で、俺――リアン・アークライトは、荒い息を吐いていた。
「はぁ、ぁ……あつ、い……」
体内を巡る血液が、沸騰したマグマに変わったかのようだ。
指先一つ動かすのも億劫なのに、体の奥底が疼いて仕方がない。
誰かに触れてほしい。強く抱きしめて、このどうしようもない渇きを埋めてほしい。
そんな本能的な衝動が、理性を容赦なく塗り潰していく。
「リアン、大丈夫か」
心配そうな声と共に、額にひんやりとしたものが触れた。
濡れたタオルだ。
薄目を開けると、すぐ目の前にシリル様の顔があった。
いつもは完璧に整えられているプラチナブロンドが乱れ、ネクタイは解かれ、シャツのボタンも大きく開いている。
その乱れた姿が、今の俺には猛毒だった。
(かっこいい……)
ぼんやりした頭で、そんな場違いなことを思う。
汗ばんだ首筋、憂いを帯びたアイスブルーの瞳。
彼が動くたびに漂う、冷たいミントと大人の男の色気を含んだ香り。
それら全てが俺の神経を逆撫でし、もっと「欲しい」と煽ってくる。
「し、しょお……」
「今、水を飲ませてやる。口を開けて」
シリル様がサイドテーブルの水差しを手に取り、グラスを俺の口元に運んでくれた。
冷たい水が喉を通る。
一瞬だけ心地よかったが、焼け石に水だ。すぐにまた熱がぶり返す。
「うぅ……だめ、たりない……」
俺は首を振り、水を拒んだ。
グラスから溢れた水が、俺の顎から首筋へと伝い落ちる。
シリル様の視線が、その水滴を追うように動き、俺の鎖骨のあたりで止まった。
彼の瞳が、ゆらりと暗く揺らぐ。
「……リアン。君は今、自分がどんな顔をしているか分かっているのか」
低く、掠れた声。
シリル様の手が、俺の濡れた首筋を指でなぞった。
ゾクリ、と背筋に電流が走る。
「ひゃっ……!」
「そんな声を出して……。私を試しているのか?」
試す? 違う。
俺はただ、苦しくて、寂しくて、どうしようもないだけだ。
ここ数日、ずっと無視されていたから。
「消えろ」と言われて、突き放されて、心が凍えていたから。
だから今、こうして彼が触れてくれていることが、夢のように嬉しくて、離したくない。
薬のせいで麻痺した頭から、心の奥底に封じ込めていた「本音」がポロポロと零れ落ちていく。
「……師匠」
「なんだ」
「俺、のこと……きらい、ですか……?」
俺が問いかけると、シリル様は目を見開いた。
「嫌い? 私が、君を?」
「だって……出ていけって、言った……」
「それは……」
「俺、がんばって、離れようとしたのに……でも、やっぱり、いやだ……」
涙が溢れてきた。
一度口に出してしまうと、もう止まらなかった。
今まで「スパダリの美学」や「補佐官の矜持」で蓋をしていた、ドロドロとした独占欲が噴出する。
「他の人と、結婚しないで……」
俺はシリル様のシャツをぎゅっと握りしめた。
「エリス様とお似合いだなんて、嘘です。本当は、見てるだけで胸が痛かった」
「リアン……」
「膝枕も、マッサージも、下手くそなお茶も……俺だけの役目じゃなきゃ、やだ……」
子供のようなワガママ。
みっともない嫉妬。
でも、それが俺の全部だった。
俺はシリル様のためにスパダリになりたかったんじゃない。シリル様の「一番」でいたかっただけなんだ。
「俺のこと、捨てないでください……師匠ぉ……」
泣きじゃくりながら訴えると、シリル様は痛ましげに顔を歪めた。
そして、俺の手を優しく包み込み、指先に口づけた。
「……馬鹿な子だ」
その声は、泣きたくなるほど優しかった。
「捨てるわけがないだろう。君がいないと生きていけないと言ったのは、嘘だと思っていたのか?」
「だって……」
「愛しているんだ、リアン。……君が思っているより、ずっと深く、汚い意味で」
シリル様が、覆いかぶさってきた。
彼の体の重みが、心地よい。
アイスブルーの瞳が、至近距離で俺を射抜く。そこにはもう、理性という名の枷は存在しなかった。
「もう我慢しない。……君が泣いて頼んでも、離してはやらない」
宣言と共に、唇が塞がれた。
「んっ……!」
それは、今までで一番深く、熱い口づけだった。
俺の全てを確かめるように、そして逃がさないように、何度も角度を変えて唇が重ねられる。
息ができない。頭が真っ白になる。
でも、嫌じゃない。むしろ、もっと欲しい。
「は、ぁ……シリル、さま……」
唇が離れた瞬間、酸素を求めて喘ぐと、シリル様は満足げに喉を鳴らした。
「名前で呼んでくれたね。……いい子だ」
彼の手が、俺の背中に回される。
熱い掌がシャツ越しに触れる感触に、俺はビクンと体を跳ねさせた。
「あ、っ……」
「熱いな。薬のせいか? それとも……」
シリル様は意地悪く笑い、俺を強く抱きしめた。
俺の体は彼の指先一つで操られる楽器のようだ。
恥ずかしい。でも、気持ちいい。
薬の熱と、彼が与える熱が混ざり合い、俺を溶かしていく。
「り、せい……とぶ……」
「飛ばせばいい。全部私に委ねて」
シリル様は俺の耳元に唇を寄せ、甘く囁いた。
「この薬は、対象への『従属心』を植え付けるものらしいが……そんなものは必要ないな」
「え……?」
「君はもう、とっくに私のものだ。心も、体も」
ちゅ、と首筋に吸い付かれる。
鋭い痛みと、熱い痺れ。
キスマークだ。
貴族の嗜みとして知識では知っていたが、まさか自分が、しかも男相手につけられるなんて。
「あ、あとがついちゃう……!」
「つけてるんだよ。誰が見ても分かるように」
シリル様は独占欲を隠そうともせず、鎖骨、胸元へと赤い印を刻んでいく。
「これで君は、もうハイネックの服しか着られないね」
「鬼……っ」
「なんとでも言いなさい。……君を他の誰にも渡さないためなら、私は鬼にも悪魔にもなる」
シリル様の瞳が、妖しく輝いた。
ああ、この人は本気だ。
俺を一生鳥籠に閉じ込めておくつもりだ。
普通なら恐怖を感じる場面かもしれない。
でも、今の俺には、その重い執着がどうしようもなく心地よかった。
必要とされている。
愛されている。
俺という存在が、この完璧な男をここまで狂わせている。
(……俺も、共犯だな)
俺は震える腕を上げ、シリル様の首に回した。
そして、自分から彼の唇を求めた。
「……シリル様」
「なんだ」
「俺を……ひとりにしないでください」
それが、理性の切れ端が最後に紡いだ言葉だった。
シリル様の目が大きく見開かれ、次の瞬間、とろけるような愛おしさを湛えた目に変わった。
「……ああ。約束する」
再び唇が重なる。
薬の熱なのか、愛の熱なのか、もう区別がつかなかった。
ただ確かなのは、俺たちはこの夜、名実ともに「主従」の一線を越え、決して後戻りできないほど深く繋がり合ったということだ。
◇◇◇
深夜。
静寂の中、俺はシリル様の腕の中でまどろんでいた。
体中が気だるい。
でも、不快ではなかった。
シリル様が背中から俺を抱きしめ、定期的に俺の肩や髪にキスを落としているからだ。
「……起きてるか、リアン」
「……んぅ……半分くらい……」
掠れた声で答えると、シリル様がクスクスと笑った。
その振動が背中に伝わってくる。
「水は飲むか?」
「……ほしいです」
シリル様が体を起こし、サイドテーブルから水を取ってくれた。
俺が身を起こそうとすると、「そのままでいい」と口移しで飲ませてくれた。
過保護にも程がある。でも、今はそれに甘えたい気分だった。
「……薬の効果は、どうだ」
「まだ、少し熱いですけど……だいぶ楽になりました」
「そうか。……私の『治療』が効いたようだな」
シリル様は満足げに言った。
治療って……まあ、確かに熱は発散された気がするけれど。
俺はカッと顔が熱くなった。
「あの、師匠……」
「なんだ」
「俺、変なこと言いませんでしたか? 泣いたり、わめいたり……」
記憶が曖昧だ。
何か、恥ずかしいことを口走ったような気がする。「結婚しないで」とか言ったような……。
シリル様は意地悪く目を細めた。
「言っていたな。すごく可愛いことを」
「うわぁぁ! 忘れてください! 全部薬のせいです!」
「お断りだ。あれは私の生涯の宝物にする。録音しておけばよかったくらいだ」
「最悪だ……」
俺が枕に顔を埋めると、シリル様は俺の髪を優しく撫でた。
「リアン。君が薬のせいだと言い張っても、事実は変わらない」
「事実?」
「君は私を求めたし、私は君に応えた。……もう、ただの『補佐官』には戻れないよ」
その言葉は、優しく、けれど断固とした「囲い込み」の宣告だった。
俺は顔を上げ、シリル様を見た。
月明かりに照らされた彼の顔は、憑き物が落ちたように穏やかで、そして見たこともないほど幸せそうだった。
(……ああ、そうか)
俺は観念した。
俺はスパダリになりたかった。
でも、結果として俺が手に入れたのは、「スパダリに溺愛される未来」だった。
計画とは随分違ってしまったけれど、この人のこんな顔が見られるなら、それも悪くないかもしれない。
「……戻りませんよ」
俺は小さな声で答えた。
「俺は師匠のものですから。……責任、取ってくださいね?」
「ああ。死ぬまで離さない」
シリル様は俺の額に誓いのキスを落とし、強く抱きしめた。
その腕の中で、俺は深い眠りへと落ちていった。
翌朝、俺の首筋に刻まれた無数のキスマークを見て絶叫することになるのだが、それはまた別の話だ。
ひとまず今は、この甘く温かい鳥籠の中で、幸せな夢を見ることにしよう。
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