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第2章 スパダリ修行は夜も忙しい!?〜嫉妬と媚薬と婚約騒動〜
第16話:スパダリ見習い、覚悟を決める
しおりを挟むエリス王女による「媚薬騒動」から、一ヶ月が経過した。
季節は完全に夏へと移り変わっていた。
王都の社交界では、一つの噂がまことしやかに囁かれていた。
『ロズタリア王国の王女が、オルディス公爵の不興を買い、強制送還された』と。
詳細は伏せられているが、公爵家がロズタリア王国に対して巨額の賠償金を請求し、さらに貿易協定を有利な条件で改定させたという事実は、貴族たちを震え上がらせるのに十分だった。
――オルディス公爵、シリル・ヴァン・オルディスを怒らせてはいけない。
――特に、彼の側にいる「筆頭補佐官」には、指一本触れてはいけない。
それが、社交界の新たな常識となりつつあった。
◇◇◇
公爵邸、執務室。
俺、リアン・アークライトは、山積みの書類を整理しながら、首元のボタンをきっちりと留め直した。
暑い。
外はセミが鳴くほどの陽気だというのに、俺はハイネックの長袖シャツを着ている。
理由は単純。一ヶ月前にシリル様につけられたキスマーク……ではなく「所有印」が、まだ完全に消えていないからだ。
いや、正確には「消えかけるたびに上書き更新される」からだ。
(師匠の独占欲、留まることを知らないな……)
俺はため息をついた。
あの一件以来、シリル様の過保護ぶりは加速していた。
どこへ行くにも一緒。会議中も隣。食事も一緒。
寝る時はもちろん同じベッド(俺の部屋は実質、物置になった)。
屋敷の使用人たちは、そんな俺たちの関係を「見て見ぬふり」してくれているが、その視線が生暖かい。
「リアン、暑くないかい?」
執務机に向かっていたシリル様が、顔を上げて微笑んだ。
涼しげなアイスブルーの瞳が、俺を気遣うように細められる。
「暑いです。誰のせいだと思ってるんですか」
「フッ、君が不用意に隙を見せるのが悪いんだよ」
「隙なんて見せてません! 寝てる時に不意打ちは卑怯です!」
俺が抗議すると、シリル様は楽しそうに笑い、手招きをした。
「こっちへおいで。冷やしてあげる」
「……仕事中ですよ」
「休憩だ。ほら」
逆らっても無駄だと知っている俺は、大人しく彼の元へ歩み寄った。
シリル様は俺の腰を引き寄せ、またしても自分の膝の上に座らせた。
この体勢、完全に定着してしまった。
公爵家の当主が執務中に成人男性を膝に乗せているなんて、絵面がおかしいと思うのだが、誰も突っ込んでくれない。
「じっとして」
シリル様の手が俺の首筋に触れる。
ひんやりとした魔力が流れ込み、体感温度がすっと下がった。
氷属性の魔法による、人間クーラーだ。
「わぁ、涼しい……。さすが師匠、魔力制御が完璧ですね」
「君専用だからね。……うん、今日も可愛い」
シリル様はついでとばかりに、俺の首筋に鼻を押し当てて深呼吸した。
最近、この「リアン吸い」が彼の日課になっている。
「あの、師匠。さっきから執事長がドアの隙間から見てますよ」
「放っておけ。それより、今夜の予定だが」
「はい?」
「新しいレストランのシェフを呼んである。君の好きな魚料理だそうだ」
シリル様は俺の耳元で甘く囁いた。
「二人きりで、ゆっくり食事を楽しもう」
「……またですか? 先週もやりましたよね、キャンドルライトディナー」
「君と一緒なら毎日でも足りない」
甘い。砂糖を吐きそうなほど甘い。
俺は照れ隠しに、シリル様の頬をむにっと摘んだ。
「太りますよ、俺」
「構わない。ぷにぷにしている方が抱き心地がいい」
「うわぁ……」
ダメだ、この人。完全に激甘フィルターがかかっている。
でも、その甘やかしが心地よくて、俺も自然と彼の肩に頭を預けてしまっていた。
◇◇◇
午後。
来客があった。
領地経営に関する陳情に来た、地方の伯爵だ。
俺は筆頭補佐官として、シリル様の斜め後ろに控えた。
「――というわけで、当地方の治水工事に、ぜひ公爵家のご支援を……」
「ふむ」
シリル様は書類に目を通しながら、冷徹な「公爵の顔」で話を聞いている。
隙のない、完璧な立ち居振る舞い。
さっきまで俺にデレデレしていた人物と同一人物とは思えない。
伯爵は緊張した面持ちで説明を続けていたが、ふと視線を俺に向けた。
「おや、そちらにいらっしゃるのは……もしや、噂の筆頭補佐官殿ですか?」
「は、はい。リアン・アークライトと申します」
俺が一礼すると、伯爵は興味深そうに俺をじろじろと見た。
「ほほう、お噂はかねがね。若くして公爵閣下の懐刀を務められるとは、さぞ優秀な……それに、見目麗しい」
伯爵の視線が、少しだけいやらしく俺の顔から体を舐めた――その瞬間。
パキィッ。
シリル様が持っていた万年筆が、真っ二つに折れた。
インクが飛び散る。
「ひっ!?」
伯爵が悲鳴を上げた。
俺も驚いてシリル様を見た。
シリル様は、能面のような無表情で、折れた万年筆をゴミ箱に捨てた。
「……手が滑りました。続けて?」
「い、いえ、あの……」
「伯爵。貴殿の目は、どこについているのですか?」
絶対零度の声。
室温が十度くらい下がった気がする。
「私の補佐官を見る必要はない。資料を見なさい。……それとも、その目玉は飾りですか?」
「も、申し訳ございません!!」
伯爵はガタガタと震え上がり、脂汗を流して平伏した。
完全に萎縮している。
俺は慌ててフォローに入った。
「閣下、伯爵も悪気があってのことでは……」
「黙っていなさい、リアン。……害虫が寄ってくる」
シリル様は小声で呟き、俺の前に体を入れて視線を遮った。
過保護すぎる。
これでは仕事にならない。
でも、彼が怒っている理由は「俺を不躾に見られたから」だ。
その独占欲が、以前のように怖く感じることはもうなかった。むしろ、愛されている証拠だと思ってしまう自分がいる。
(……俺も大概、毒されてるな)
俺は苦笑しつつ、新しい万年筆をシリル様に手渡した。
指先が触れ合うと、シリル様の怒気がふっと緩むのが分かった。
この猛獣使いができるのは、世界で俺だけなのだ。
◇◇◇
その日の夜。
仕事を終えた俺たちは、バルコニーで月を見ながらワインを飲んでいた。
夜風が心地よい。
シリル様は上機嫌で、俺の左手をいじっている。
薬指には、あの日もらった「誓いの指輪」が光っていた。
「……リアン」
「はい」
「後悔していないか?」
唐突な問いかけに、俺はシリル様を見た。
彼は真剣な眼差しで、俺を見つめていた。
「君は、本当なら普通の結婚をして、家庭を持つはずだった。……私の我儘で、その未来を奪ってしまったこと、恨んでいないか?」
ああ、この人は。
どこまでも強引なくせに、根本的なところでは臆病なんだ。
俺がいなくなることを、まだ心のどこかで恐れている。
俺はグラスを置き、シリル様の手を両手で包み込んだ。
「師匠。俺の夢、覚えてますか?」
「……スパダリになりたい、だろう?」
「はい。可愛い奥さんをもらって、その人を世界一幸せにするのが夢でした」
俺は微笑んだ。
「でも、気づいたんです。『可愛い奥さん』の定義って、性別は関係ないなって」
「……は?」
「だって、師匠は可愛いですよ。俺がいないとダメダメだし、すぐ嫉妬するし、甘えん坊だし。……世界一、手のかかるお姫様です」
シリル様が絶句した。
顔がみるみる赤くなっていく。
「き、君ね……。私を『可愛い』などと言うのは、世界広しといえども君だけだぞ」
「事実ですから。……だから、俺は後悔してませんよ」
俺は指輪に口づけをした。
「俺は、師匠という『世界一可愛いパートナー』を守り、支え、幸せにするスパダリになります。……形式はちょっと違いますけど、夢は叶いましたから」
俺が言うと、シリル様はしばらく呆然としていたが、やがて顔を手で覆って肩を震わせた。
「……くっ、ふふ……」
「笑わないでくださいよ。俺は本気なんですから」
「いや、参ったな。……君には敵わない」
シリル様は顔を上げ、蕩けるような笑顔を見せた。
「君がスパダリを目指すなら、私はその愛を一身に受ける『溺愛される側』に甘んじるとしようか。……ただし」
彼の瞳が、妖しく光った。
「ベッドの上では、どちらが『スパダリ』か……たっぷりと教えてあげるけどね」
「うっ」
シリル様が立ち上がり、俺をお姫様抱っこで抱え上げた。
軽々と。
やっぱり、フィジカルでは勝てない。
「さあ、夜の修行の時間だ。今日は新しい『技』を試そうと思っている」
「ちょ、待ってください! 明日も早いんですよ!?」
「大丈夫。君が起きられないなら、私が着替えさせて、ご飯も食べさせてあげるから」
「そういう問題じゃなくて!」
俺の抵抗も虚しく、俺は寝室へと連れ去られた。
重厚な扉が閉まる。
これから始まるのは、甘くて、激しくて、とろけるような「夜のスパダリ修行」。
俺の体力が続くか心配だが、まあいい。
この人の腕の中が、今の俺にとって一番安心できる「帰る場所」なのだから。
俺はシリル様の首に腕を回し、観念して目を閉じた。
幸せなため息が、夜の闇に溶けていった。
――スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!
その結果、俺は幼馴染の「最愛の半身」として、一生溺愛されることになりました。
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