【8話完結】勇者の「便利な恋人」を辞めます。~世界を救うより、自分の幸せを守ることにしました~

キノア9g

文字の大きさ
5 / 8

第5話:代わりのいない存在

しおりを挟む

 月明かりだけが照らす執務室に、書類をめくる乾いた音が響いていた。
 エリアスは眉間に軽く皺を寄せ、魔導師団の予算申請書にペンを走らせていた。
 深夜二時。
 以前の冒険者生活であれば、この時間はガウルの装備の修繕か、明日の朝食の下ごしらえに追われていた頃だ。
 だが今は違う。
 この残業は、誰かの尻拭いではなく、国を守るための建設的な業務だ。疲労はあるが、そこには確かな充実感があった。

「……で、いつまでそこに立っているんですか?」

 エリアスは顔を上げず、ペンを走らせたまま言った。
 窓際のカーテンが揺れる。
 そこには、闇に紛れるようにして侵入した男――ガウルが立っていた。
 衛兵の目を盗み、結界の綻びを狙ってここまで来たのだろう。腐っても勇者、その身体能力と隠密スキルだけは一流だ。
 もっとも、エリアスが結界の一部をあえて『緩めて』いなければ、即座に黒焦げになっていただろうが。

「……気づいてたのか」

 ガウルが低い声で唸る。
 エリアスはふっ、と鼻で笑い、ようやくペンを置いた。

「魔力感知を常時展開していますから。あなたの荒っぽい魔力なら、百メートル手前からわかりますよ。……不法侵入ですね。憲兵に突き出されたいのですか?」
「ふざけんな。俺と話す時間をくれねえお前が悪いんだろ」

 ガウルがツカツカと歩み寄ってくる。
 執務机を挟んで、二人は対峙した。
 ガウルは昼間の騒ぎで泥だらけだった服を少し整えてはいたが、それでもエリアスの清潔な執務室には異物でしかなかった。
 その目には、焦りと、執着と、そして「まだ自分には権利がある」という傲慢な光が宿っていた。

「エリアス。昼間のはなんだ。あの他人行儀な態度は」
「事実、他人ですから」
「嘘つくな! 俺とお前の仲だろ! 五年だぞ!? 五年間も一緒にいたんだ、今さら他人になれるわけねえだろ!」

 ガウルが机をバンと叩く。
 インク瓶が微かに揺れたが、エリアスは眉一つ動かさない。

「五年。……そうですね、長い時間でした。私があなたに搾取され続けていた期間としては」
「搾取? 人聞きの悪いこと言うなよ。俺たちはパートナーだっただろ。俺が戦って、お前が支える。それで上手くいってたじゃねえか」
「上手くいっていたのは、あなただけです」

 エリアスは冷ややかに告げた。
 ガウルは言葉に詰まり、そして苛立ったように髪を掻きむしった。

「わかった、悪かったよ! 謝ればいいんだろ? 『便利屋』扱いして悪かった。お前がいないと不便で仕方ねえよ。飯も不味いし、服も臭え。これで満足か? 気が済んだら戻ってこい」

 ガウルは手を差し出した。
 それが、彼なりの最大限の譲歩であり、愛の表現なのだろう。「お前が必要だ」と言ってやれば、エリアスは喜ぶと信じているのだ。

 エリアスは、その差し出された手を見つめ――そして、深く溜息をついた。

「……ガウル。あなたは本当に、何もわかっていないんですね」

 エリアスは立ち上がった。
 椅子が引かれる音が、静寂の中で大きく響いた。

「私が欲しいのは、謝罪でも、必要とされることでもありません。……『対等な尊重』です。でも、あなたにはそれが永遠に理解できない」
「だから、わかってるって! お前の魔法はすげえよ! 認めてやる!」
「あなたにわかるわけがない」

 エリアスが拒絶の言葉を紡いだ瞬間、ガウルの理性が飛んだ。
 ガウルは机を乗り越え、エリアスの腕を掴み上げた。

「いい加減にしろよ! 意地張ってんじゃねえ! 本当は戻りたいんだろ!?」
「離してください」
「離さねえ! お前は俺のことが好きなんだ! いつだって、嫌がりながらも最後は受け入れてたじゃねえか! 体は正直なんだよ!」

 ガウルはエリアスを引き寄せ、無理やり唇を奪おうとした。
 かつては、この強引さに絆されてきた。
 「愛されているからこその独占欲だ」と、自分を騙してきた。
 だが今は、ただの暴力にしか感じられなかった。

 生理的な嫌悪感が、背筋を駆け上がる。

「――触るな!!」

 ドォン!!
 
 爆発音が部屋を揺らした。
 ガウルの体が、見えない巨人の拳で殴られたように後方へ吹き飛んだ。
 彼は壁に背中を強打し、咳き込みながら床に転がった。

「が、はっ……!? ま、ほう……?」

 ガウルは信じられないものを見る目でエリアスを見上げた。
 エリアスが、自分に攻撃魔法を使った。
 魔王相手にさえ温存し、ガウルを守るためだけに使っていたその力を、ガウルを拒絶するために行使したのだ。

 エリアスは右手を突き出したまま、冷酷な瞳でガウルを見下ろしていた。
 その指先には、風属性の『拒絶障壁(リジェクト・エア)』が渦巻いている。

「二度と、その薄汚い手で私に触れないでください」

 エリアスの声は、氷点下の刃のようだった。

「勘違いしないでください。私はあなたを愛していましたが、それは『勇者として輝くあなた』への憧れでした。……私の尊厳を踏みにじり、ただの道具として扱う男を愛する趣味はありません」

 ガウルはよろよろと立ち上がった。
 プライドを傷つけられた怒りと、予想外の反撃への困惑がない交ぜになっている。

「……なんだよ、それ。俺が変わればいいのかよ。じゃあ優しくしてやるよ。プレゼントだって買ってやる。指輪か? 首飾りか? 何が欲しいんだよ!」

 ガウルが喚いた時、彼の視線がふと、エリアスの左手に吸い寄せられた。
 
 エリアスの左手の中指。
 そこには、見たこともない指輪がはめられていた。
 透き通るような蒼銀(ミスリル)の台座に、高純度の魔石が埋め込まれている。薄暗い部屋の中でも、その指輪は呼吸をするように淡い光を放っていた。

「……おい。なんだ、それ」

 ガウルの声が震えた。
 以前、二人がしていたお揃いの安物の指輪ではない。
 明らかに高価で、そして強力な魔力を帯びた逸品だ。

 エリアスは左手を軽く掲げ、愛おしそうに指輪を見つめた。

「これですか? ……『聖域』の守護公爵、シグルド様からいただいたものです」
「あ? 男からの贈り物だと……?」
「ええ。これは『魔力循環の指輪』。私が無意識に放出してしまう余剰魔力を蓄積し、枯渇時には自動で還元してくれる……国宝級の魔導具です」

 エリアスは、ガウルを射抜くように見据えた。

「シグルド様は、出会って初日に私の魔力枯渇を見抜き、これを下さいました。『君の才能を、疲労などで曇らせてはならない』と」

 その言葉は、ガウルの胸に鋭い杭のように突き刺さった。
 魔力枯渇。
 エリアスがいつも顔色を悪くしていた原因。
 ガウルはそれを「体力がねえな」と笑っていた。
 だが、見ず知らずの男は、瞬時にそれを見抜き、解決策を与えたのだ。

「……俺だって、それくらい……」
「いいえ、あなたにはできません」

 エリアスは断言した。

「あなたは五年間、私に何をくれましたか? 安物の指輪一つと、終わりのない疲労。そして『便利だ』という言葉だけ。……シグルド様は、私に『場所』と『敬意』、そして『力』を下さいました」

 勝てない。
 ガウルは直感した。
 武力でも、財力でもなく、「エリアスをどう扱ったか」という一点において、自分はそのシグルドという男に完敗している。

「この指輪は、ただの装飾品ではありません。私が私らしくあるための、守り刀です。……あなたのくれた指輪は、ただの足枷でした」

 エリアスの言葉が、トドメとなった。
 足枷。
 二人の思い出が、絆の証が、エリアスにとっては拘束具でしかなかったという事実。

「……そ、そんなわけ……ねえだろ……」

 ガウルは後ずさった。
 認められない。認めてしまえば、自分はこの五年間、最愛の相手を自分の手で殺し続けていたことになる。
 
「俺は……俺は、勇者だぞ……! 世界を救ったんだ……!」
「ええ。あなたは世界を救いました。……ですが、たった一人の恋人さえ幸せにできなかった」

 エリアスは杖を振り上げた。
 その先端に、強力な転移魔法の光が収束していく。

「お帰りください、元・勇者様。今のあなたは、見ていて哀れです」

「待て! エリアス、待っ――」

 ガウルの叫びは、閃光にかき消された。
 強制転移(テレポート)。
 視界が歪み、ガウルの体は執務室から弾き出された。

               
 ◇◇◇

 ドサッ!!
 ガウルが放り出されたのは、宿屋の裏手のゴミ捨て場だった。
 生ゴミの臭いが鼻をつく。
 泥だらけの地面に這いつくばり、ガウルは咳き込んだ。

「……は、はは……魔法で、追い出しやがった……」

 震える手を見る。
 何も掴んでいない。
 エリアスの腕の感触も、温もりも、何一つ残っていない。

 脳裏に焼き付いているのは、蒼銀の指輪をはめたエリアスの、あの冷ややかな目。
 そして、聞いたこともない男の名前を口にする時の、少しだけ誇らしげな表情。

「シグルド……シグルド……!」

 ガウルは地面を拳で殴りつけた。
 痛みが走るが、胸の奥の激痛に比べれば蚊に刺された程度だ。

 怒りではない。
 屈辱でもない。
 これは――喪失感だ。

 エリアスは、もうガウルのものではない。
 誰かのものになりかけている。いや、もう心は彼の方を向いている。
 
「嫌だ……」

 ガウルは呻いた。
 勇者のプライドも、世間体もどうでもよかった。
 ただ、強烈な欠落感が彼を襲っていた。
 
 自分の半身をもぎ取られたような感覚。
 便利だから? 楽だから?
 違う。
 エリアスが隣にいることが「当然」すぎて、それが「幸せ」だと気づかなかっただけだ。
 失って初めて、その空白の巨大さに圧殺されそうになる。

「俺の、エリアスだ……渡さねえ……誰にも……」

 ガウルの瞳から、理性の光が消えていく。
 代わりに宿るのは、どろりとした暗い炎。
 それは勇者が持つべき正義の輝きではなく、自分の欲しいものをなりふり構わず奪い取ろうとする、餓えた獣の目だった。

「取り戻す……絶対に……」

 ゴミ捨て場の闇の中で、落ちぶれた勇者は妄執を呟き続けた。
 彼に残された道は、もう「正攻法」ではなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結 一気読み推奨】片想いの相手が「そろそろ恋愛したい」と言ったので、用済みの俺はニートになることにしました。

はぴねこ
BL
 高校生の頃、片想いの親友に告白した。  彼はノンケだったから玉砕して友人関係も終わるものだと思っていた。  もしかすると気持ち悪いと軽蔑される覚悟までしていたのに、彼は「今は恋愛をしている時間がないんだ」と自分の夢を語ってくれた。  彼は会社を興した祖父のことをとても尊敬していて、自分も起業したいと熱く語ってくれた。  そして、俺の手を握って「できれば親友のお前には俺の右腕になってほしい」と言われた。  同性愛者の俺のことを気持ち悪いと遠ざけることもせずに、親友のままでいてくれた彼に俺は感謝して、同じ大学に進学して、大学の頃に彼と一緒にゲームを作成する会社を起業した。  あれから二十年間、本当に二人三脚で駆け抜けてきた。  そして、昨年売り出したVRMMOが世界的に大ヒットし、ゲーム大賞を取ったことを祝うパーティーで親友が語った言葉に俺の覚悟も決まった。 「俺もそろそろ恋愛したい」  親友のその言葉に、俺は、長年の片想いを終わらせる覚悟をした。  不憫な拗らせアラフォーが”愛”へと踏み出すお話です。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。

キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、 ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。 国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚―― だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。 顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。 過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、 気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。 「それでも俺は、あなたがいいんです」 だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。 切なさとすれ違い、 それでも惹かれ合う二人の、 優しくて不器用な恋の物語。 全8話。

運悪く放課後に屯してる不良たちと一緒に転移に巻き込まれた俺、到底馴染めそうにないのでソロで無双する事に決めました。~なのに何故かついて来る…

こまの ととと
BL
『申し訳ございませんが、皆様には今からこちらへと来て頂きます。強制となってしまった事、改めて非礼申し上げます』  ある日、教室中に響いた声だ。  ……この言い方には語弊があった。  正確には、頭の中に響いた声だ。何故なら、耳から聞こえて来た感覚は無く、直接頭を揺らされたという感覚に襲われたからだ。  テレパシーというものが実際にあったなら、確かにこういうものなのかも知れない。  問題はいくつかあるが、最大の問題は……俺はただその教室近くの廊下を歩いていただけという事だ。 *当作品はカクヨム様でも掲載しております。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー AI比較企画作品

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?

キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。 知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。 今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど—— 「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」 幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。 しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。 これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。 全8話。

処理中です...