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第8話:幸せの形
しおりを挟む季節が二つほど巡った頃。
『聖域』の魔導師団に、奇妙な名物が誕生していた。
「……あの、師団長。ここの書類の決裁をお願いしたいのですが」
「ああ、そこに置いておいてくれ」
「は、はい! 失礼します!」
若い騎士が、逃げるように執務室を出て行く。
エリアスはペンを止め、ため息をついて背後の「影」を振り返った。
「ガウル。殺気を漏らすなと言っているでしょう。部下が怯えています」
執務室の隅、直立不動で控えていた男――ガウルが、喉の奥で小さく唸った。
かつての黄金の鎧はない。代わりに身につけているのは、魔導師団の制服である漆黒の軍服だ。
だが、その佇まいは騎士というより、主人の足元で獲物を狙う猛獣のそれに近かった。
顔の右半分から首筋にかけて、赤黒いケロイド状の火傷痕が這っている。あの魔竜戦の名残だ。
「……あいつ、エリアスを見る目が気に入らねえ」
「ただの業務連絡です」
「いや、違う。お前のうなじを見てやがった。……眼球をくり抜いてやろうか」
ガウルは瞳孔が開いた虚ろな目で、本気で呟いた。
嫉妬深いなどというレベルではない。エリアスの視界に入る男すべてを排除すべき障害物と見なしている。
「ダメに決まっているでしょう。……伏せ」
「!」
エリアスが短く命じると、ガウルの表情がぱあっと明るくなった。
彼は即座に膝をつき、エリアスの腰に抱きついた。
「いい子にしてたら、俺を見てくれるか? 捨てないでくれるか?」
「ええ。だから大人しくしていなさい」
ガウルは恍惚とした表情で、エリアスの太腿に頬を擦り付けた。火傷でひきつれた皮膚が衣擦れの音を立てる。
その姿は、完全に飼い主に依存しきった狂犬だ。
かつて、「俺を敬え」とふんぞり返っていた男の自我は、炎の中で完全に焼き尽くされていた。
「仕事に戻りますよ、ガウル『二等兵』」
「御意、マイ・マスター」
ガウルは弾かれたように立ち上がり、再び石像のように背後に控えた。
勇者の称号も、聖剣も、財産も失った彼は今、エリアスの「私設護衛」兼「下っ端団員」として飼われている。
給料はすべて借金返済に消える事実上の無給労働だが、彼にとってはどうでもいいことだった。
エリアスのそばで呼吸ができる。それだけで、今の彼には十分すぎる報酬なのだ。
◇◇◇
その日の夕方。
仕事を終えた二人は、王都の一角にあるエリアスの屋敷(シグルド公爵が手配した職務官舎)に帰宅した。
以前の安宿とは比べ物にならないほど広いキッチンで、ガウルは袖をまくり上げていた。
「今日はシチューにする。この前、市場の婆さんに美味くなるコツを聞いてきたんだ」
ガッ、ダン、と少し乱暴な音が響く。
ガウルは魔法が使えない。
後遺症で感覚の鈍った右手をかばいながら、不器用に包丁を動かしている。
「……あ」
不意に、ガウルの右手が煮立った鍋の縁に触れた。
ジュッ、と肉が焼ける嫌な音がする。
だが、ガウルは「あ」と声を上げただけで、眉一つ動かさなかった。
「ガウル、火傷が!」
エリアスが慌てて駆け寄る。
「ん? ああ、平気だ。熱くもねえよ」
ガウルは赤くただれた皮膚を見て、へらりと笑った。
「あの時の炎に比べれば、こんなの……撫でられてるみてえなもんだ。それに……」
「それに?」
「傷が増えるたびに、生きてるって気がするんだ。お前のために動いてるって、実感できる」
エリアスは言葉を失った。
ガウルの価値観は、根本から壊れてしまっていた。
痛みは「献身の証」であり、傷は「愛の勲章」。
そんな歪んだ論理で、彼は嬉々として自分を削っている。
「……バカな人。手を出して」
エリアスはガウルの手を引き、治癒魔法をかけた。
淡い光が傷を癒やす。ガウルはその光を、うっとりと見つめていた。
「できたぞ、エリアス」
一時間後。
テーブルに並べられたのは、野菜の大きさが不揃いで、少し焦げ臭いシチューと、硬そうなパン。
見た目は悪い。けれど、湯気だけは温かい。
「……いただきます」
エリアスはスプーンで一口運び、咀嚼した。
味は濃いし、ニンジンは少し生煮えだ。
だが、不器用なガウルが、痛みに耐えながら作った味だ。
「……美味しいですよ」
「本当か!? 役に立ったか!? 俺、すごいか!?」
ガウルが身を乗り出してくる。
その必死な様子は、ブレスに飛び込んだ時の「見てくれ!」という叫びと重なった。
ただ、今は死に向かうためではなく、生きてエリアスを喜ばせるために叫んでいる。
「ええ。すごいですよ。……いい子です」
エリアスが頭を撫でてやると、ガウルは涙ぐんで震え出した。
たったそれだけのことで、彼は救われたような顔をするのだ。
その時、玄関のベルが鳴った。
ガウルの表情が一瞬で『獣』に戻る。
殺気すら帯びた目で、扉の方を睨みつけた。
「……チッ。誰だ。エリアスとの時間を邪魔する奴は……殺す」
「出ますよ。シグルド様かもしれません」
「なおさら殺す」
ガウルが低い唸り声を上げ、立ち上がろうとした時だった。
カチャリ、と鍵の開く音がして、ドアが優雅に開かれた。
「やあ。近くまで来たのでね。美味しいワインが手に入ったから、エリアス君と飲もうと思ってね」
◇◇◇
現れたのは、やはりシグルドだった。
合鍵を持っている家主の特権を行使し、悪びれもなく入室してくる。
「失せろ! エリアスの視界に入るな!」
ガウルが吠え、エリアスを背に隠すように立ちはだかった。
だが、シグルドは涼しい顔で苦笑するだけだ。
「相変わらずだね。……いや、以前よりタチが悪くなったかな」
シグルドはリビングに入ってくると、ガウルの首元に視線を釘付けにした。
そこには、首輪のように黒い革紐のチョーカーが巻かれている。
中央には、エリアスの魔力が込められた安物の青い石。
ガウルはそれを、かつての聖剣以上に大切そうに身につけていた。
「……なるほど。『首輪の誓い』というわけか」
シグルドは複雑そうに呟いた。
目の前の男は、もう勇者ではない。
プライドも尊厳も捨て、ただ一人の主人に飼われることを選んだ、幸福な狂人だ。
「君が幸せなら、私は何も言うことはないよ。……ただ、少し悔しいがね」
シグルドは帰り際、すれ違いざまにガウルの耳元で囁いた。
「もし彼がまた君を苦しめたら、今度こそ私が檻に入れて遠くへやるからね」
その瞬間、ガウルの喉から威嚇の声が消えた。
本能的な恐怖で身を強張らせ、ガタガタと震えながらエリアスの背後に隠れる。
「い、嫌だ……! エリアス、俺を渡さないでくれ……! 俺は、お前のものだろ!?」
「ええ。渡しませんよ」
エリアスが淡々と答えると、ガウルは安堵のため息をつき、シグルドが去った後のドアに向かって、ようやく小さな声で「二度と来るな」と吠えた。
そしてすぐにエリアスにすがりつく。
「消毒だ。あいつの匂いを消させろ」
「はいはい」
ガウルはエリアスをソファに押し倒し、執拗に首筋に鼻を押し付け、深呼吸を繰り返した。
◇◇◇
夜が更けて。
寝室のベッドで、二人は身を寄せ合っていた。
情事の余韻が残る中、ガウルはエリアスの手を両手で包み込み、拝むように額に当てている。
「……エリアス。俺、役に立ってるか?」
「ええ」
「邪魔じゃないか? もう、いらないって言わないか?」
毎晩の儀式のように、ガウルは問いかける。
その言葉には、底知れぬ恐怖が滲んでいた。
一度捨てられたというトラウマは、一生消えないだろう。だからこそ、この依存関係は永遠に続くのだ。
「言いませんよ。……こんなに手のかかる『駄犬』、私以外に飼いならせませんから」
エリアスが少し意地悪く言うと、ガウルは嬉しそうに目を細めた。
罵倒すら、今の彼には愛の言葉だ。
「ああ、そうだ。俺の飼い主はお前だけだ。……一生、離さないでくれ」
ガウルはエリアスの左手――シグルドから貰った指輪がまだはめられている薬指――に、恭しく口づけを落とした。
嫉妬はある。だが、それ以上に「エリアスが身につけているもの」すべてへの崇拝が勝っていた。
「……ガウル」
「ん?」
「喉が渇きました。お茶を」
「御意、マスター。……すぐに!」
ガウルはベッドから飛び起き、全裸のままキッチンへと向かった。
火傷でひきつれた足を引きずり、それでも転がるように急いで駆けていく。
タタン、ズズッ、と歪な足音が廊下に響く。
彼は世界で一番不格好に、けれど世界で一番幸せそうに走っていく。
エリアスは枕に顔を埋め、深いため息をついた。
かつて、自分は勇者の「便利な恋人」だった。
けれど今は、狂った元・勇者の「絶対的な神」だ。
その重さは、時々息が詰まるほどだけれど。
「……仕方ないですね」
やがて戻ってきたガウルが差し出したお茶は、やはり少し渋くて、温度も微妙だった。
けれどエリアスは、それを残さず飲み干した。
「……ごちそうさま。ガウル」
「おう! 明日も、明後日も、死ぬまで俺が淹れてやるからな!」
ガウルはエリアスの腰に抱きつき、その温もりを確かめるように強く、強く腕を回した。
重くて、痛くて、歪な愛。
けれどそれは、二人にとっては紛れもない「幸せの形」だった。
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