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4、不意打ち
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「今の私を見てくれませんか」
「……そうだね、すまない」
現在のエヴァンと向き合わなくては。過去に意識を飛ばしてばかりではいけない。
思い出を胸の奥に沈めようと強く目をつぶってからまた目を開けると、エヴァンがこちらを見つめていた。
「毎晩頬を差し出すのなんて、わずらわしかったでしょう」
「とんでもないよ! 私は君に懐かれて嬉しかったんだから。途中からは君がおやすみのキスをするのを私が待っていたくらいだし……あ、いや、何でもない」
フィアリスは顔を赤らめて手を振った。
いつしか自然とおやすみのキスの習慣はなくなってしまって、もの寂しさを感じながら寝床に横たわっていたなんて話は口にできない。
頼られているとか愛されているとか、そういうことの証に感じて、あの頬の口づけを、寝る前の楽しみにしていたのだ。
「そんなの、いくらでもやってあげますよ」
「え?」
エヴァンの腕がのびた。その手がフィアリスの襟をつかんで、強く引き寄せる。
全くの不意打ちだった。
されるがままのフィアリスの唇に、エヴァンの唇が重ねられた。
フィアリスは大きく目を見開く。
温かくて、柔らかい感触。
数秒が、随分長く感じられた。
そのうち手の力が緩められて、ゆっくりとフィアリスが身を引いた。エヴァンの視線はフィアリスに向けられたままである。今し方触れ合ったばかりの形の良い唇に、つい目がいってしまう。
「ええと……」
首を傾げて、フィアリスは己の頬を指さした。
「頬はこっちなんだけど、エヴァン」
「間違えるわけないでしょ」
弟子は少し呆れている。
いや、それはそうなのだが。だとしたら今の事故――口付けをしてしまったのだから事故と呼んでもいいだろう――が起きた理由がわからない。
間違いでなかったとしたら。
「……からかってる?」
「からかってなどいません」
強い口調に、フィアリスは不安を覚えた。この先の台詞は聞かない方がいいかもしれない。
ここで会話を切り上げて、部屋を出て行くべきかもしれない。
そうでないと、厄介なことになりそうだ。
だが足を動かす前に、エヴァンが口を開いてしまった。
「好きなんです、フィアリス。あなたが」
あまりにも真っ直ぐな視線が、フィアリスに突き刺さった。
ここまで真摯な彼の表情を見たのは初めてかもしれない。
フィアリスは眉を曇らせた。
困ったな、と心中呟く。
長いこと一緒にいたから、エヴァンの言葉に偽りがないことがわかってしまう。そして、この子の全てを知ったつもりでいたくせに、秘めた気持ちに気がつかなかった自分の鈍さにうんざりした。
フィアリスは苦笑する。
「聞かなかったことにしよう、エヴァン」
そう言うしかない。彼の気持ちを受け取るわけにはいかないのだから。
「私は本気です」
何と返していいものか、と悩んでフィアリスは沈黙する。
夜の館の濃密な静寂が、部屋の中にも染みこんできていた。あんまり静かなので、広い建物の中にいるのは自分とエヴァンの二人きりなのではないかと錯覚するほどだ。
静けさは何の助けにもならなかった。
いまいち気持ちの整理ができない。何せさっきまで小さな頃を思い出していた相手から、不意に唇を奪われて告白されたのだ。
とはいえ自分は年長者で彼の教師でもあるのだから、言うべきことは言わなければならない。
「……あのねエヴァン。君はきっと、」
その時、扉を叩く音が静寂を破った。
フィアリスが声をかけて確認すると、ドアを叩いたのは家令のノアだった。
「エヴァン様、失礼します。フィアリスがこちらにいると聞いたのもので」
「うん、今開けよう」
ノアはこのリトスロード家の若き家令だ。細身で、美しい顔をしているが冷たい目をした青年である。いつも皺のない服に身を包み、髪型もすっきりと整えられていた。立ち姿にも隙がない。
口が堅く優秀で、足りないものがあるとすれば、当主同様、愛想だろう。冗談を聞いたところで、笑いもしない。
ただ、死と隣り合わせの地で過ごすのに、にこやかであることは不要だった。能力が高ければそれでいい。
「ジュード様がお呼びです」
主の名を聞いて、何故かうなじの辺りがぞわりとするのをフィアリスは感じた。無意識に首筋に手を当てる。
「ありがとう。すぐに行く」
これで部屋を立ち去る口実ができた。卑怯なようでもあるが、ほっとしたのも事実だ。
フィアリスはエヴァンの方へと振り返る。ノアとフィアリスのやりとりを聞いたエヴァンは、しかめ面をしていた。
「そういうわけで、私は行かなくちゃならないんだ。おやすみ、エヴァン。早く休むんだよ?」
不満が顔にあらわれていて、返事をしない。
扉をそっと閉めたフィアリスは、軽いため息をつくのをこらえきれなかった。
――さあ、大変だ。
泣き虫エヴァンが実はとても頑固であることを、フィアリスはよく知っていたのである。意志が強い。一度言い出すとなかなか曲げない。
今後の展開を想像すると、気が重くなった。
唇を舐めると、甘いシードケーキの味がした。
「……そうだね、すまない」
現在のエヴァンと向き合わなくては。過去に意識を飛ばしてばかりではいけない。
思い出を胸の奥に沈めようと強く目をつぶってからまた目を開けると、エヴァンがこちらを見つめていた。
「毎晩頬を差し出すのなんて、わずらわしかったでしょう」
「とんでもないよ! 私は君に懐かれて嬉しかったんだから。途中からは君がおやすみのキスをするのを私が待っていたくらいだし……あ、いや、何でもない」
フィアリスは顔を赤らめて手を振った。
いつしか自然とおやすみのキスの習慣はなくなってしまって、もの寂しさを感じながら寝床に横たわっていたなんて話は口にできない。
頼られているとか愛されているとか、そういうことの証に感じて、あの頬の口づけを、寝る前の楽しみにしていたのだ。
「そんなの、いくらでもやってあげますよ」
「え?」
エヴァンの腕がのびた。その手がフィアリスの襟をつかんで、強く引き寄せる。
全くの不意打ちだった。
されるがままのフィアリスの唇に、エヴァンの唇が重ねられた。
フィアリスは大きく目を見開く。
温かくて、柔らかい感触。
数秒が、随分長く感じられた。
そのうち手の力が緩められて、ゆっくりとフィアリスが身を引いた。エヴァンの視線はフィアリスに向けられたままである。今し方触れ合ったばかりの形の良い唇に、つい目がいってしまう。
「ええと……」
首を傾げて、フィアリスは己の頬を指さした。
「頬はこっちなんだけど、エヴァン」
「間違えるわけないでしょ」
弟子は少し呆れている。
いや、それはそうなのだが。だとしたら今の事故――口付けをしてしまったのだから事故と呼んでもいいだろう――が起きた理由がわからない。
間違いでなかったとしたら。
「……からかってる?」
「からかってなどいません」
強い口調に、フィアリスは不安を覚えた。この先の台詞は聞かない方がいいかもしれない。
ここで会話を切り上げて、部屋を出て行くべきかもしれない。
そうでないと、厄介なことになりそうだ。
だが足を動かす前に、エヴァンが口を開いてしまった。
「好きなんです、フィアリス。あなたが」
あまりにも真っ直ぐな視線が、フィアリスに突き刺さった。
ここまで真摯な彼の表情を見たのは初めてかもしれない。
フィアリスは眉を曇らせた。
困ったな、と心中呟く。
長いこと一緒にいたから、エヴァンの言葉に偽りがないことがわかってしまう。そして、この子の全てを知ったつもりでいたくせに、秘めた気持ちに気がつかなかった自分の鈍さにうんざりした。
フィアリスは苦笑する。
「聞かなかったことにしよう、エヴァン」
そう言うしかない。彼の気持ちを受け取るわけにはいかないのだから。
「私は本気です」
何と返していいものか、と悩んでフィアリスは沈黙する。
夜の館の濃密な静寂が、部屋の中にも染みこんできていた。あんまり静かなので、広い建物の中にいるのは自分とエヴァンの二人きりなのではないかと錯覚するほどだ。
静けさは何の助けにもならなかった。
いまいち気持ちの整理ができない。何せさっきまで小さな頃を思い出していた相手から、不意に唇を奪われて告白されたのだ。
とはいえ自分は年長者で彼の教師でもあるのだから、言うべきことは言わなければならない。
「……あのねエヴァン。君はきっと、」
その時、扉を叩く音が静寂を破った。
フィアリスが声をかけて確認すると、ドアを叩いたのは家令のノアだった。
「エヴァン様、失礼します。フィアリスがこちらにいると聞いたのもので」
「うん、今開けよう」
ノアはこのリトスロード家の若き家令だ。細身で、美しい顔をしているが冷たい目をした青年である。いつも皺のない服に身を包み、髪型もすっきりと整えられていた。立ち姿にも隙がない。
口が堅く優秀で、足りないものがあるとすれば、当主同様、愛想だろう。冗談を聞いたところで、笑いもしない。
ただ、死と隣り合わせの地で過ごすのに、にこやかであることは不要だった。能力が高ければそれでいい。
「ジュード様がお呼びです」
主の名を聞いて、何故かうなじの辺りがぞわりとするのをフィアリスは感じた。無意識に首筋に手を当てる。
「ありがとう。すぐに行く」
これで部屋を立ち去る口実ができた。卑怯なようでもあるが、ほっとしたのも事実だ。
フィアリスはエヴァンの方へと振り返る。ノアとフィアリスのやりとりを聞いたエヴァンは、しかめ面をしていた。
「そういうわけで、私は行かなくちゃならないんだ。おやすみ、エヴァン。早く休むんだよ?」
不満が顔にあらわれていて、返事をしない。
扉をそっと閉めたフィアリスは、軽いため息をつくのをこらえきれなかった。
――さあ、大変だ。
泣き虫エヴァンが実はとても頑固であることを、フィアリスはよく知っていたのである。意志が強い。一度言い出すとなかなか曲げない。
今後の展開を想像すると、気が重くなった。
唇を舐めると、甘いシードケーキの味がした。
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