侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます

muku

文字の大きさ
3 / 66

3、キスの思い出

しおりを挟む
 * * *

 叩扉の音に、中から応じる声があった。

 フィアリスは部屋の中に入る。机に向かっていたエヴァンが振り向いた。机に置かれた明かりに、彼の顔が照らされている。
 書き物をしていたようだが、その横には食べかけのシードケーキの皿が置いてあった。

 やっぱり好物なんだなぁ、とフィアリスは頬を緩ませる。早速食べてくれているのが嬉しくてたまらない。

「どうかしましたか」
「君があんまり心配するんで、安心させるために顔を見せに来たよ」

 からかわれたと感じたのか、エヴァンはむっとしている。フィアリスはそんなエヴァンの隣に立った。

 エヴァンと一緒に勉強をした机。
 調度品はほとんど変わらないが、エヴァンの方は成長して外見が著しく変化していた。幼かった彼には大きすぎた机が、今は程良い。

 十八か、と改めてフィアリスはしみじみ思う。

「成人おめでとう。やはり大人の仲間入りをすると、気持ちは違うものかな?」
「別に、変わりません」

 彼の二人の兄も成人をして家を出た。エヴァンも一応は子供扱いされなくなり、次の人生への一歩を踏み出すことになるのだ。

 父であるジュードからエヴァンの話を聞くことは少ない。魔法の才能がどのくらいだとか、今はどんな訓練をしているかとか、フィアリスから報告することはあっても、息子の将来についてはジュードの口から語られることはなかった。

 家族同様の付き合いはしていても家族ではないし、所詮自分は単なる家庭教師である。つっこんだ話はしないように心がけている。

「リトスロード家は社交界に顔を出すことはほとんどないから、成人しても貴族同士の付き合いはあまりないけど……」

 かなり「特殊」な貴族であるリトスロード侯爵家は普段、他家との付き合いらしい付き合いがないので、そういう意味では楽でもある。
 長男と次男は荒れ地を離れた、領民が多く住む地を任されていた。長男はいずれ爵位を継ぎ、次男が彼を補佐すると聞いている。三男であるエヴァンは一体、どんな仕事を与えられるのだろうか。

「ああ、そういえば」

 フィアリスは手を叩く。

「成人したなら、君もいずれ妻をもらうことも考えなくちゃならないだろうね」

 二人の兄はとうに結婚しているのだ。子供もいる。エヴァンに婚約者がいるという話は聞かないが、候補などはいるのだろう。もっとも、この家に嫁ぐとなるとかなりの勇気と適正のある女性でなくてはならないが。何せ「あの侯爵家」だ。人々は畏怖と畏敬をこめてリトスロードの名を口にする。

「妻はいりません」

 エヴァンはきっぱりと言う。

「いりませんって、そういうわけにはいかないじゃないか」
「いらないと言ったら、いらないんです」

 ふむ、とフィアリスは両腕を組んで考える。
 まだ十八だから無理もないかもしれない。そう簡単に想像ができないのだろう。まあ、彼は男だし、そう急がなくてはならないわけではない。

「奥方がいて、協力して生きていかなくてはならないもの。君もいつかは結婚するんだ」
「女などいなくても平気です」
「そうは言うけどね、エヴァン」
「父上も独り身ではないですか」
「……君のお父上は、一度妻を迎えている」

 わざわざ言うまでもなくエヴァンだってよく知っていることだ。侯爵は妻を――エヴァンの母を、病で亡くしていた。

「以降はずっと独身です。別に、妻など必要ないということでは?」

 いやに意固地である。こういうところは、父子そっくりだ。
 侯爵には後妻を迎えてはと進言する者もいたのだが、聞き入れられはしなかった。フィアリスとしてもそれが良いと賛成しているのだが、本人にその気がないならどうにもならない。当然だが、侯爵家では侯爵の言うことが絶対なのである。

「あなたは私に、結婚してほしいんですか?」

 じっと、エヴァンがこちらを見上げてくる。その瞳には何か、平素と異なる特別な色があった。
 フィアリスはエヴァンの手をとって、両手で包む。

 ――大きな手だ。いつの間に、こんなに大きくなってしまったんだろう。

 体は確かに、すっかり大人になりつつある。
 何度もこの手をこうして包んだ。小さくて幼い、温かい手だった。
 今は少し冷えているし、フィアリスの手よりも大きくてごつごつしている。

「うん。エヴァン、私はね、君に幸せになってほしいんだよ。良い妻をもらって、家庭を築いて……リトスロードの男として生きるのは楽ではないだろうけれど、それなりに楽しく立派に生活してほしいんだよ」
「あなたは?」
「え?」

 フィアリスはまばたきをした。

「その、あなたが描く私の幸せな未来の中で、あなたはどこにいるんですか?」
「…………」

 どこにいる?
 そんなことは、考えもしなかった。フィアリスが考えているのはエヴァンの幸せだけだ。その光景の中に、自分の姿はなかった。

 だって、当然じゃないか。いつまでも教え子にひっついていく教師がどこにいる?
 エヴァンと自分は近いうちに離ればなれになるのだ。それは至極当然のことだ。
 エヴァンが幸福に暮らしている頃。

 その時自分は、どこにいるんだろう? こうしてずっと、この館に住み続けるのだろうか。――それを、「あの人」は許してくれるだろうか。
 それとも、別れはもっと早く……。

「あなたは私から離れていくんですか? フィアリス」

 エヴァンは奇妙な質問をした。

「そりゃあ、ずっとはそばにいないよ。君はもう成人したし、護衛兼教師の私の役目は終わりつつある。君はとても優秀な教え子だった。もうほとんどのことは教えたよ」

 学院に通うのとは違って、修了証書などは出す予定はないが、もうその時機と言ってよかった。数学も地理も歴史も外国語も、マナーも常識も、フィアリスが学んだことは大方教え込んだのだ。素地は出来上がり、今後彼が独自に学んでいこうとするのに何の不足もないだろう。

 エヴァンが教え子を卒業し、フィアリスも教師を卒業する。
 寂しいけれど、何事もそうやって、変わっていってしまうものなのだ。
 エヴァンは考えこむように目を伏せた。そんな彼の手を離して、フィアリスは頭を撫でる。

「エヴァン、さあ、君もあんまり夜更かししないで寝るだよ」
「……何度も言っていますが、まだ子供扱いしてますね」
「君が可愛いからいけないんだ」

 笑いながらフィアリスはエヴァンのつむじを見下ろした。ふわふわとした髪を撫でるのをやめられない。
 どうも今夜は久方振りに会ったせいか、エヴァンが小さかった頃のことをよく思い出す。

 この子は小さい時分、酷く繊細で、眠りにつけないことが多かった。そういう時は魔法でほどよく温めたミルクを与えて、そばに座らせ、頭を撫でてやったのだ。
 怖い夢を見たとか、なんだか悲しくて眠れないとか、すがりついてきた幼いエヴァン。

「あ、そうだ、覚えてる?」

 いつしか小さなエヴァンは眠る前にちょっとした儀式を欠かさないようになった。よく眠れるおまじないだ。

「毎晩、君は私の頬にキスをして寝ていたね。いつからか、やらなくなってしまったけど」

 早くに母親を亡くして、父親もあんなに厳しい人だから、拠り所がなかったのだろう。甘える相手がほしかったのかもしれない。
 というところまで考えて、我に返った。

 当時から十年以上経っている。こんな話をされたって、エヴァンはあまり覚えていないだろうし、不愉快なだけだろう。
 怒らせたいわけではなかったけれど、自分のことばかり考えて思い出に浸りすぎていたかもしれないと反省する。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

呪われ竜騎士とヤンデレ魔法使いの打算

てんつぶ
BL
「呪いは解くので、結婚しませんか?」 竜を愛する竜騎士・リウは、横暴な第二王子を庇って代わりに竜の呪いを受けてしまった。 痛みに身を裂かれる日々の中、偶然出会った天才魔法使い・ラーゴが痛みを魔法で解消してくれた上、解呪を手伝ってくれるという。 だがその条件は「ラーゴと結婚すること」――。 初対面から好意を抱かれる理由は分からないものの、竜騎士の死は竜の死だ。魔法使い・ラーゴの提案に飛びつき、偽りの婚約者となるリウだったが――。

何も知らない人間兄は、竜弟の執愛に気付かない

てんつぶ
BL
 連峰の最も高い山の上、竜人ばかりの住む村。  その村の長である家で長男として育てられたノアだったが、肌の色や顔立ちも、体つきまで周囲とはまるで違い、華奢で儚げだ。自分はひょっとして拾われた子なのではないかと悩んでいたが、それを口に出すことすら躊躇っていた。  弟のコネハはノアを村の長にするべく奮闘しているが、ノアは竜体にもなれないし、人を癒す力しかもっていない。ひ弱な自分はその器ではないというのに、日々プレッシャーだけが重くのしかかる。  むしろ身体も大きく力も強く、雄々しく美しい弟ならば何の問題もなく長になれる。長男である自分さえいなければ……そんな感情が膨らみながらも、村から出たことのないノアは今日も一人山の麓を眺めていた。  だがある日、両親の会話を聞き、ノアは竜人ですらなく人間だった事を知ってしまう。人間の自分が長になれる訳もなく、またなって良いはずもない。周囲の竜人に人間だとバレてしまっては、家族の立場が悪くなる――そう自分に言い訳をして、ノアは村をこっそり飛び出して、人間の国へと旅立った。探さないでください、そう書置きをした、はずなのに。  人間嫌いの弟が、まさか自分を追って人間の国へ来てしまい――

冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる 🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟 ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。 ――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。 お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。 目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。 ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。 執着攻め×不憫受け 美形公爵×病弱王子 不憫展開からの溺愛ハピエン物語。 ◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。 四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。 なお、※表示のある回はR18描写を含みます。 🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。 🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。

僕は彼女の代わりじゃない! 最後は二人の絆に口付けを

市之川めい
BL
マルフォニア王国宰相、シャーディル侯爵子息のマシューは軍の訓練中に突然倒れてしまう。頭を打ったはずが刺されたとお腹を押さえ、そしてある女性が殺された記憶を見る。その彼女、実は王太子殿下と幼馴染で…?! マシューは彼女の調査を開始、その過程で王太子と関わりを持ち惹かれていくが、記憶で見た犯人は父親だった。 そして事件を調べる内、やがてその因縁は三十年以上前、自分と王太子の父親達から始まったと知る。 王太子との関係、彼女への嫉妬、父親…葛藤の後、マシューが出した結末は――。 *性描写があります。

【完結】異世界はなんでも美味しい!

鏑木 うりこ
BL
作者疲れてるのよシリーズ  異世界転生したリクトさんがなにやら色々な物をŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”(๑´ㅂ`๑)ŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”うめー!する話。  頭は良くない。  完結しました!ありがとうございますーーーーー!

わからないから、教えて ―恋知らずの天才魔術師は秀才教師に執着中

月灯
BL
【本編完結済・番外編更新中】魔術学院の真面目な新米教師・アーサーには秘密がある。かつての同級生、いまは天才魔術師として名を馳せるジルベルトに抱かれていることだ。 ……なぜジルベルトは僕なんかを相手に? 疑問は募るが、ジルベルトに想いを寄せるアーサーは、いまの関係を失いたくないあまり踏み込めずにいた。 しかしこの頃、ジルベルトの様子がどうもおかしいようで……。 気持ちに無自覚な執着攻め×真面目片想い受け イラストはキューさん(@kyu_manase3)に描いていただきました!

辺境の酒場で育った少年が、美貌の伯爵にとろけるほど愛されるまで

月ノ江リオ
BL
◆ウィリアム邸でのひだまり家族な子育て編 始動。不器用な父と、懐いた子どもと愛される十五歳の青年と……な第二部追加◆断章は残酷描写があるので、ご注意ください◆ 辺境の酒場で育った十三歳の少年ノアは、八歳年上の若き伯爵ユリウスに見初められ肌を重ねる。 けれど、それは一時の戯れに過ぎなかった。 孤独を抱えた伯爵は女性関係において奔放でありながら、幼い息子を育てる父でもあった。 年齢差、身分差、そして心の距離。 不安定だった二人の関係は年月を経て、やがて蜜月へと移り変わり、交差していく想いは複雑な運命の糸をも巻き込んでいく。 ■執筆過程の一部にchatGPT、Claude、Grok BateなどのAIを使用しています。 使用後には、加筆・修正を加えています。 利用規約、出力した文章の著作権に関しては以下のURLをご参照ください。 ■GPT https://openai.com/policies/terms-of-use ■Claude https://www.anthropic.com/legal/archive/18e81a24-b05e-4bb5-98cc-f96bb54e558b ■Grok Bate https://grok-ai.app/jp/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%A6%8F%E7%B4%84/

美丈夫から地味な俺に生まれ変わったけど、前世の恋人王子とまた恋に落ちる話

こぶじ
BL
前世の記憶を持っている孤児のトマスは、特待生として入学した魔法術の学院で、前世の恋人の生まれ変わりであるジェラード王子殿下と出会う。お互い惹かれ合い相思相愛となるが、トマスの前世にそっくりな少女ガブリエルと知り合ったジェラードは、トマスを邪険にしてガブリエルと始終過ごすようになり… 【現世】凛々しく頑強なドス黒ヤンデレ第一王子ジェラード✕健気で前向きな戦争孤児トマス   (ジェラードは前世と容姿と外面は同じだが、執着拗らせヤンデレ攻め) 【前世】凛々しく頑強なお人好し王弟ミラード✕人心掌握に長けた美貌の神官エゼキエル   (ミラードはひたすら一途で献身的溺愛攻め) ※前世の話が、話の前半で合間合間に挟まります ※前世は死に別れます ※前世も現世も、受け攻め共に徹頭徹尾一途です

処理中です...