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38、温もり
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荒野に建つリトスロードの館は、フィアリスが夢ですら見たこともないほど大きな建物だった。黒い石で築かれた、優雅な館。貴族の住まいとしては素っ気ない造りではあったのだが、それでもフィアリスにしてみれば驚嘆に値した。
天を駆ける馬にまたがり、地上へと降下する中、館の前に人が立っているのが見える。
それで侯爵は全てを悟ったらしかった。
「間に合わなかったようだな」
そう、ぽつりと呟くのが聞こえた。
地上に降りると、家令の年老いた男が駆け寄って来た。報告するまでもなく、伝わっている。家令は無言で侯爵を見つめると、先に館に入っていった。
「どうなさったのですか」
「妻が亡くなった」
馬からフィアリスを抱いて下ろし、やって来た別の使用人にフィアリスのことを託した。
「雨の中、随分待たせてしまった。この子供を湯で温めて清めてやれ。新しい服も。名はフィアリスだ」
フィアリスはその使用人に連れられて、浴室へと向かった。
館の主の妻がこの世を去り、建物の中は静まり返っていた。
「君はここの瘴気は平気なのかい?」
若い使用人に尋ねられ、フィアリスは黙って頷いた。瘴気とやらが何か知らないが、この辺りには何か人によっては耐えられないものが満ちているそうだ。
「とすると、魔力がかなり強いんだろうね」
使用人はフィアリスの身体を洗ってくれた。今までも湯で清めたことはあるが、名前すら知らない、良い香りのする液体で洗うのは初めてだった。
粗末な服から、素晴らしい手触りの服へと着替えさせられる。
嬉しいとか感動するとかそんなことより、とにかく困惑しかなかった。どうしてここまでのことをしてもらうのかがわからない。
「奥様がお亡くなりになられたのでしょう? 私のような余所者がお屋敷に入りこんで許されるのでしょうか。すぐに出ていった方がいいですか?」
「まあ、そう焦らないで。僕は詳しいことは知らされてないけど、何か事情があるんだろう。君はここにいいなさい。出て行ったら魔物に食われて終わりだよ」
一つわかったのは、侯爵が自分を助けている間に夫人が亡くなったということだった。それを聞いて、フィアリスは血が凍るような思いがした。
どこかの部屋で、長いことフィアリスは一人で待った。
無礼だとは思いつつ、どうしても侯爵と話したいと使用人にお願いをした。この時機にここに連れて来られたのは、深い理由があるはずなのだ。頼みたいことがある、と彼も言っていた。
フィアリスの望みは聞き入れられ、使用人に案内された。
部屋で窓の外を眺め、侯爵は背中を向けている。フィアリスが口を開くまでもなく、侯爵は説明を始めた。淡々とした、感情のこもらない声音で。
「妻は不治の病だった」
魔力が体に毒として作用する難病で、少しずつ内側から石になっていってしまうものだ。
それを聞いて、フィアリスは全てを理解した。
きっとこの方は、噂を聞いたのだ。
癒しの力を持つ者がいるという噂を。
治療法がない中、最後の望みと思って、フィアリスを当てにしてあの村をさがしあててやって来たのだ。
(なんてことだろう……!)
フィアリスは、両手で顔をおおいたくなった。
何故なら、その噂は真実ではないからだった。正確ではない、と言った方がいいかもしれない。
確かに癒すことはできる。が、万病を治す力はなかった。
(この方は、奥様を助けるために、私のところにやって来たんだ。そのせいで死に目にも会えなかった。間に合ったところで私は奥様を助けられない。私なんかがいたために、この方は……。私は助けてもらったのに。あの牢獄から出してもらったのに!)
「お前は行くあてがないのだろう。面倒はうちで見よう。この土地に来ても不調を覚えないほど魔力があるらしい。きっと魔術師になる才能があるだろう。勉強をしなさい。費用は出す。何か望みがあれば言うといい」
「……私のせいでしょうか」
「何だと?」
侯爵がこちらを向いたらしかったが、フィアリスは視線を床に落としていた。
「私がいたせいで妙な噂が広がって、それを領主様が知ってしまい、私を連れに来たのでしょう。私はきっと、奥様をお助けできなかった」
「その可能性の方が大きいと考えていた。お前のせいではない」
「しかし領主様は、私が奥様を救うことを期待していたのですよね? そして私がいなければそもそも、あてにはしなかった。あなたは奥様が亡くなられる時、おそばにいられたはずなんです」
フィアリスは取り乱していた。
自分を助けてくれた人は、自分の助けを必要としてくれていたのだ。自分は必要とされていた。
それなのに、助けられない。
要するに裏切ったのだ、この方の期待を裏切った。
私が存在していたせいで。私が役立たずなせいで……!
「申し訳ありません領主様。私がいなければ……」
「フィアリス」
「どうしよう……! どうしたら……!」
蒼白な顔のフィアリスに歩み寄り、侯爵は抱き締めた。
「お前のせいではないのだ。疲れているようだから、少し休みなさい」
フィアリスは使用人に引き取られて、客間へと向かった。ほとんど客など来ないから、滅多に使われていない部屋だ。それでも掃除は行き届いていて調度品は素晴らしく、小さなフィアリスには身に余るものばかりだった。
ふかふかすぎる寝台に横たわっていても、神経が興奮していて眠れそうになかった。静かではあっても、使用人達はすべきことが多く、忙しそうに立ち働いている。
館の中は悲しみに暮れていて、異物の自分は居心地が悪かった。
悪いとは思いつつも、部屋を抜け出して廊下を歩く。すると、ある部屋の中からすすり泣く声が聞こえてきた。
暖炉があって、立派な絨毯が敷いてあり、明かりが灯っている。広い部屋だがひと気がない。
中に入ってみると、壁際で小さな影が丸まっていた。察するに、ここには誰かがいてあの子を慰めたり声をかけたりしていたのだろう。けれど動かないから、残したまま出て行くしかなかったのだ。
栗色の髪をした、六つか七つといった年の頃の男の子だ。リトスロードの子息だろう。
それにしても、なんて悲しそうなのだろう。こんなに小さくて、震えながら泣いている。ひとりぼっちで悲しみに暮れていて、見てるこちらまで涙がこぼれてしまいそうだ。
「……だいじょうぶ?」
声をかけると、男の子は顔をあげた。涙に濡れた緑の瞳は、宝石のように美しい。
フィアリスは、その子がわずかにでも楽になるようにと抱き締めた。汚れきった自分が触れるのには抵抗があったが、身体の芯まで冷えてしまったこの子には、温もりが必要なのだ。
「名前を、聞いてもいい?」
フィアリスはその子の背中をさすりながら、囁いた。
「エヴァン……」
「私はフィアリスというんだ。エヴァン、君は立派だね。一人でこうして、悲しみに耐えていたんだから……」
今まで、こうやって誰かを抱き締めたことなんてなかった。必死な思いで抱き締められたこともない。
許されるなら、この子を守ってあげたかった。
温かい。
温かさとは、体の表面から伝わるものばかりではなかったのだ。内側から生まれる温かさというものもある。
冷えていたのは自分も同じだ。
生まれて初めて、フィアリスは温もりというものを知った気がした。
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