37 / 66
37、救いの手
しおりを挟む酷い嵐の夜だった。
こんな日はさすがに、フィアリスの住処にも誰も尋ねては来ない。日課の魔法陣への力の注入は村長に見張られていて、村長に会った以外では一人で過ごしていた。
(すごい雷と……雨だ)
まるで空の上で誰かが怒っているみたいだな、とフィアリスは膝を抱えて、雨音に耳をすませていた。
「……下さい、お待ち下さい!」
誰かの怒鳴り声のようなものが聞こえるが、気のせいだろう。こんな天候の中を誰が外に出るというのか。
しかし、その声は確かにこちらに近づいてくるようで、思わずフィアリスは腰を浮かせた。
「どうかお待ちを、侯爵様!」
何か揉め事でも起こったのだろうか、とフィアリスは雨に打たれるのも構わず、外へと足を踏み出した。
誰かが立っている。
背が高くて、身なりが良い男だ。今までフィアリスが見たどんな人より、身分が高そうだった。そう言えば、こうしゃくさま、とか聞こえたけれど、きっと聞き違いだろう。侯爵なんて人がこんな村の、こんな奥に、こんな嵐の中やって来るはずがないもの。
男の後ろから追いかけてきたのは村長だった。
「この子供だな」
「……っ」
村長が険しい顔をして歯噛みをしている。フィアリスは目をぱちくりさせるだけだ。
「お前は、名を何という」
話しかけられてるのが自分だと気づくのに、フィアリスはかなり長い時間を要した。
「え、ええと、フィアリス、です」
わけがわからないまま、フィアリスは一応お辞儀をする。
「何故この子供に全て押しつけた? 何故お前達はこの子供からあらゆる自由を奪い取る権利があると思ったのだ?」
稲光に時折姿が浮かび上がる。とてつもなく厳しい目をした人だった。
「お言葉ですが侯爵様、地下に迷宮が出たのでございます。我々の生活が脅かされていたのです。他に方法がなく……」
「嘘を言うな」
睨みつけられ、村長は反抗的な目つきをしながらも言葉を飲み込む。
「迷宮が現れた場合は、リトスロードに訴え出ろと領内には通達しているはずだ。ここは我がリトスロード侯爵領の中である。勝手な真似は領主である私が許さない。お前はウェイブルフェン公爵家と通じていたそうだな」
「領主様……!?」
フィアリスは仰天して、すぐに地面に伏せた。いくら学のないフィアリスでも、ここが誰の領地内にある村なのかくらいは知っている。
リトスロード侯爵様。領地を守るためにいつも飛び回っていて、領民の信頼厚い領主様。
フィアリスにとっては雲の上の存在だ。
「立ちなさい、フィアリス。お前の身は私が引き取る。一緒に来るんだ」
地面を打つ激しい雨音の中、またしても信じられない台詞を聞いたフィアリスは、返事もできずに呆然と膝をついたまま目の前の偉丈夫を見上げた。
「それはなりません、侯爵様!」
悔しげに顔を歪めた村長が、恐れも知らず侯爵に詰め寄る。もうこうなっては失うものもないというのと、侯爵家へのお門違いな憎しみが彼を大胆にさせているらしかった。
「このたった一人の子供のために、村人を皆死に追いやるつもりなのですか! このフィアリスが出てしまえば、凶悪な魔物が放たれてしまうのですぞ!」
「……フィアリスよ、事情は聞いている」
侯爵は腰にはいた剣を鞘から抜いて、手にした。洗い流されつつはあるが、刀身にはぬらぬらとした赤い血がついている。村長が「ひっ」と悲鳴をあげた。
「お前をここに連れてきた魔術師は斬った。この男も斬り捨てるか?」
「い、いいえ、領主様……。どうか、村長様にお慈悲を……」
フィアリスはあまりの展開に思考がついていかないながらも、どうにか理解しようと苦労しながら口を動かした。自分ごときが意見をするなど恐れ多いが、発言する許可を得られたなら気持ちは伝えなければならない。
「私はこの村の誰も恨んではおりません。食べ物を与えてもらいましたし、命を奪われはしませんでした。彼らへの罰を望んでいません」
侯爵は手にした剣をおさめずに、目をわずかに細めた。
こんな生意気な口をきいてしまっては、斬り捨てられるのは自分の方になるかもしれない、とフィアリスは内心ひやひやした。
でも、村長のことも誰のことも憎んでいないのは事実であったし、目の前で斬られるなんて気の毒で見ていられなかったのだ。侯爵の気迫を見ていると、すぐにでも村長に向かって剣を振り下ろしそうだった。
自分は大して何も損なわれていないのだ。世話もしてもらっていた。誰も死んでほしくはない。
「魔物を片付ければいいだろう。お前達はここで待っていろ」
侯爵は数歩歩いて、村長の方を振り向いた。
「必ずここで待て。その子供を隠したり、逃げたりしたらどうなるかわかっているな? 村長、お前は数々の法を侵している。処分は追って伝える」
そうして侯爵は、フィアリスの住んでいた洞の中へと姿を消した。
あそこは魔法陣で封印がしてあるから、入れないはずなんだけど、とフィアリスが首を傾げていると、轟音が聞こえて地面が少し揺れた。侯爵が陣を破った音のようだった。
「いくら……侯爵でも、あいつの相手など……出来ないはずだ……!」
進退きわまった村長はすっかり顔色をなくし、目をひんむきながらも口の中でぼそぼそと悪態をつき続けていた。
フィアリスといえば、雨の中村長と一緒にずぶ濡れになりながら、ぽかんとして立ち尽くしている。
地下の深いところから、わずかにしか感じないが確かに振動が伝わってきていた。
そうしてどれほど待っていただろう。さほど長くはかからなかったように思う。
死んでしまうに決まっている、と村長は願いをこめて口走っていてが、侯爵は入った時と同じようにしっかりとした足取りで洞から出てきた。
「魔物は倒した」
「……まさか……!」
村長は腰を抜かした。濡れそぼった髪が顔に張り付き、座り込むその姿はいつもより小さく見える。
「当分魔物は湧かぬ。後の調査は家のものを使わせる」
力を使った名残りなのか、剣にはめられている青い魔石が、キラキラとまだ輝いていた。
(あれが魔石なんだ。とても綺麗だ。初めて見た)
フィアリスは場違いにもその美しいものに感動した。
「フィアリス、来なさい」
そう言いながら、侯爵は村長の横を足早に通り抜けていく。座る村長には一瞥もくれない。村長もあらぬところを見上げて放心している。
フィアリスは弾かれたように足を動かした。侯爵があんまり早く歩くので、ついていくにはほとんど走らなければならなかった。
雨は幾分小降りになってきている。
村の中を歩いていると、興味本位で家からのぞいていた顔がさっと引っこんでいくのが見えた。
村を抜けたところに、見たことのない変わった黒い馬が繋がれもせずおとなしく主人のことを待っている。熾火のような、燃えているかのような赤い目をした馬である。
戸惑っていると、侯爵に手をつかまれ、馬上へ引き上げられた。侯爵の前に座らされる。
「どこへ行くのですか?」
「リトスロードの館だ。お前に……」
それまで、作り物のように変化がなかった侯爵の顔に、初めて感情らしいものが浮かんだ。
深い、苦しみが。
「お前に、頼みたいことがある」
馬はふわりと浮いて、空を駆け始めた。眼下の村がどんどん離れて、小さくなっていく。
自分はあの洞で朽ち果てるのだと思った。
どんなに助けを求めて叫んでも、救われることはなかった。けれど、差し伸べた手をつかんでくれたのは、思いも寄らぬ人だった。
40
あなたにおすすめの小説
呪われ竜騎士とヤンデレ魔法使いの打算
てんつぶ
BL
「呪いは解くので、結婚しませんか?」
竜を愛する竜騎士・リウは、横暴な第二王子を庇って代わりに竜の呪いを受けてしまった。
痛みに身を裂かれる日々の中、偶然出会った天才魔法使い・ラーゴが痛みを魔法で解消してくれた上、解呪を手伝ってくれるという。
だがその条件は「ラーゴと結婚すること」――。
初対面から好意を抱かれる理由は分からないものの、竜騎士の死は竜の死だ。魔法使い・ラーゴの提案に飛びつき、偽りの婚約者となるリウだったが――。
何も知らない人間兄は、竜弟の執愛に気付かない
てんつぶ
BL
連峰の最も高い山の上、竜人ばかりの住む村。
その村の長である家で長男として育てられたノアだったが、肌の色や顔立ちも、体つきまで周囲とはまるで違い、華奢で儚げだ。自分はひょっとして拾われた子なのではないかと悩んでいたが、それを口に出すことすら躊躇っていた。
弟のコネハはノアを村の長にするべく奮闘しているが、ノアは竜体にもなれないし、人を癒す力しかもっていない。ひ弱な自分はその器ではないというのに、日々プレッシャーだけが重くのしかかる。
むしろ身体も大きく力も強く、雄々しく美しい弟ならば何の問題もなく長になれる。長男である自分さえいなければ……そんな感情が膨らみながらも、村から出たことのないノアは今日も一人山の麓を眺めていた。
だがある日、両親の会話を聞き、ノアは竜人ですらなく人間だった事を知ってしまう。人間の自分が長になれる訳もなく、またなって良いはずもない。周囲の竜人に人間だとバレてしまっては、家族の立場が悪くなる――そう自分に言い訳をして、ノアは村をこっそり飛び出して、人間の国へと旅立った。探さないでください、そう書置きをした、はずなのに。
人間嫌いの弟が、まさか自分を追って人間の国へ来てしまい――
冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる
尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる
🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟
ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。
――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。
お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。
目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。
ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。
執着攻め×不憫受け
美形公爵×病弱王子
不憫展開からの溺愛ハピエン物語。
◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。
四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。
なお、※表示のある回はR18描写を含みます。
🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。
🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。
僕は彼女の代わりじゃない! 最後は二人の絆に口付けを
市之川めい
BL
マルフォニア王国宰相、シャーディル侯爵子息のマシューは軍の訓練中に突然倒れてしまう。頭を打ったはずが刺されたとお腹を押さえ、そしてある女性が殺された記憶を見る。その彼女、実は王太子殿下と幼馴染で…?!
マシューは彼女の調査を開始、その過程で王太子と関わりを持ち惹かれていくが、記憶で見た犯人は父親だった。
そして事件を調べる内、やがてその因縁は三十年以上前、自分と王太子の父親達から始まったと知る。
王太子との関係、彼女への嫉妬、父親…葛藤の後、マシューが出した結末は――。
*性描写があります。
【完結】異世界はなんでも美味しい!
鏑木 うりこ
BL
作者疲れてるのよシリーズ
異世界転生したリクトさんがなにやら色々な物をŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”(๑´ㅂ`๑)ŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”ŧ‹”うめー!する話。
頭は良くない。
完結しました!ありがとうございますーーーーー!
わからないから、教えて ―恋知らずの天才魔術師は秀才教師に執着中
月灯
BL
【本編完結済・番外編更新中】魔術学院の真面目な新米教師・アーサーには秘密がある。かつての同級生、いまは天才魔術師として名を馳せるジルベルトに抱かれていることだ。
……なぜジルベルトは僕なんかを相手に?
疑問は募るが、ジルベルトに想いを寄せるアーサーは、いまの関係を失いたくないあまり踏み込めずにいた。
しかしこの頃、ジルベルトの様子がどうもおかしいようで……。
気持ちに無自覚な執着攻め×真面目片想い受け
イラストはキューさん(@kyu_manase3)に描いていただきました!
辺境の酒場で育った少年が、美貌の伯爵にとろけるほど愛されるまで
月ノ江リオ
BL
◆ウィリアム邸でのひだまり家族な子育て編 始動。不器用な父と、懐いた子どもと愛される十五歳の青年と……な第二部追加◆断章は残酷描写があるので、ご注意ください◆
辺境の酒場で育った十三歳の少年ノアは、八歳年上の若き伯爵ユリウスに見初められ肌を重ねる。
けれど、それは一時の戯れに過ぎなかった。
孤独を抱えた伯爵は女性関係において奔放でありながら、幼い息子を育てる父でもあった。
年齢差、身分差、そして心の距離。
不安定だった二人の関係は年月を経て、やがて蜜月へと移り変わり、交差していく想いは複雑な運命の糸をも巻き込んでいく。
■執筆過程の一部にchatGPT、Claude、Grok BateなどのAIを使用しています。
使用後には、加筆・修正を加えています。
利用規約、出力した文章の著作権に関しては以下のURLをご参照ください。
■GPT
https://openai.com/policies/terms-of-use
■Claude
https://www.anthropic.com/legal/archive/18e81a24-b05e-4bb5-98cc-f96bb54e558b
■Grok Bate
https://grok-ai.app/jp/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%A6%8F%E7%B4%84/
美丈夫から地味な俺に生まれ変わったけど、前世の恋人王子とまた恋に落ちる話
こぶじ
BL
前世の記憶を持っている孤児のトマスは、特待生として入学した魔法術の学院で、前世の恋人の生まれ変わりであるジェラード王子殿下と出会う。お互い惹かれ合い相思相愛となるが、トマスの前世にそっくりな少女ガブリエルと知り合ったジェラードは、トマスを邪険にしてガブリエルと始終過ごすようになり…
【現世】凛々しく頑強なドス黒ヤンデレ第一王子ジェラード✕健気で前向きな戦争孤児トマス
(ジェラードは前世と容姿と外面は同じだが、執着拗らせヤンデレ攻め)
【前世】凛々しく頑強なお人好し王弟ミラード✕人心掌握に長けた美貌の神官エゼキエル
(ミラードはひたすら一途で献身的溺愛攻め)
※前世の話が、話の前半で合間合間に挟まります
※前世は死に別れます
※前世も現世も、受け攻め共に徹頭徹尾一途です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる