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第七章:椿は鋼に咲く、忠誠の銃声とともに――女帝と三将軍のプロトコル
第135話:断絶の翼、絶交のペンダント
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公平会と平等会の模擬戦が明日に控えているというのに、学園ではもう一つのニュースでもちきりだ。
「え? 公平会の会長が平等会の副会長の『お母さん』なの? 嘘!」
「本当よ。『お母さん』って呼んでるところをいろんな人に見られているらしい」
「いやいや、年が合わないし、そもそもあの人体は男でしょ。どうやって産むのよ」
リディアとモリアの関係は、あの王様ゲーム以来大きく変わった。今まで甘えられなかった分、したように、その勢いは止まらない。
「ねね、お母さんにお弁当作ってもらったの。このウサギリンゴ、かわいいでしょう?」
同級生に弁当を自慢するほどにはしゃいでいる。
「へえ……ケティヤさんがそんなことするなんて……」
彼女の友達は何とかフォローしようとするが、本人はまったく隠す気がない。
「あんな男漁りしかしないババアはお母さんじゃありません。モリアさんこそ私のお母さんです。あ、お母さん—! お昼ご飯一緒に食べましょう!」
通りすがりのモリアを見つけると、リディアはすぐさま駆け寄った。以前とは別の意味でべったりだ。
「あらあら、リディアちゃんは甘えんぼさんね」
『お母さん』という呼び声に、口元がほころぶ。母のポジションに大変満足しているモリアだった。
「ダメですか?」
上目遣いで目をうるうるさせたリディアは、早くも甘え方をマスターしているようだ。
「ダメじゃないわ。ええ、だって『お母さん』ですもの。いらっしゃい。食事の後はお母さんの膝枕で、子守唄を聞きながら寝かしつけてあげるわ」
「お母さん、大好き!」
学生たちの異様な視線の中、二人は仲良く腕を組んで学校の中庭へ向かった。
*
「あの……これはどういうことですか?」
中庭でいつも集まるメンバーの一人、ミリアムが真っ先に目の前の異常事態にツッコミを入れた。
「娘ができるくらい、そんなにはしゃいじゃいけませんわ?」
リディアの口元のソースを拭いながら、モリアの態度は一切変わらない。
「え~、魔王様の娘? なるほど、お父さん似か」
アスモデウスはリディアの胸を見て感想を述べた。するとモリアは当然のようにトッピングのレモンを搾り、その汁をアスモデウスの目へと放った。
「きゃあああ!」 見事に命中。
「あらあら、お口で召し上がるのよ。目で食べるなんてみっともないわ。ふふふ」
「ガルルルル……」
ベリアルは今までにないほどリディアを敵視している。いつも自分がモリアの一番の妹分として可愛がられる立場が奪われたからだ。対抗するかのように、自分の口元にもソースを付けた。
「姉さん、ベルも……」
「ああもう、汚いでしょう」
拭いてくれる人はいたが、それはモリアではなくミリアムだった。
「天使の施しはいらない! ベルは姉さんがいいデース!」
それを言い残すと、ベリアルは影に溶け込むように消えた。
「ミリリン、目が痛いの。拭いて、拭いて~。その後『痛いの痛いの飛んでいけ』して」
「あー、もうー、子供の歳でもないでしょ。悪魔ってみんなそんな感じなんですか」
「静かにしてください。いい子は寝る時間ですわ」
モリアは人差し指を口に当て、「シー」の姿勢を取った。その膝で眠るリディアは周りの騒ぎに一切影響されず、ただモリアの太ももの柔らかさを枕に深い眠りに落ちている。
「はいはい、わかりました。私、ちょっとベリアルさんを探してきます。アスモデウス様、ティッシュをあげますから、ご自分で拭いてください。それと、いい加減調子に乗って行動しないでください」
ミリアムはそう言いながら、先に温湿布をアスモデウスの目に当て、冷たいティッシュを彼女の手に置いた。
「湿布が冷めてからティッシュで拭くように。いいですね?」
「ありがとう、ミリリン♪ 愛してる! 結婚して♡」
「レモンの残りはまだありますよ、アスモデウス様」
「すみません、調子に乗りました~」
アスモデウスの手当が終わり、ベリアルを探そうとするミリアムに、モリアは意味深な言葉を送った。
「悪魔は大体嘘つき。悪魔の言葉を信じた人は、最後には何もかも騙し取られ、魂の一滴も残さずしゃぶり尽くされます。ですが……悪魔の愛は嘘じゃないわ。彼女たちが堕天したのは罪からではなく、愛からです。だから、彼女の愛を信じて」
「その言葉も嘘ですか?」
「そうかもしれませんわ。ふふふ。邪魔したわ、いってらっしゃい」
モリアの言葉が気にかかるが、ミリアムはベリアルを探すことを優先した。
*
「ベリアルさん! どこですか? 戻らないと、食後のデザートは全部アスモデウス様に食べられちゃいますよ!」
校舎の中、ミリアムはリディアへの対抗心で「家出」したベリアルを探していた。しかし、ここには暴食の悪魔の姿はない──代わりにいたのは……
「随分と悪魔たちと親しいですね、第八位大天使(アークエンジェル)、ミリアム・エクスコミュニカ」
眼鏡をかけた金髪の青年が、いつの間にか彼女の背後に立っていた。
(背後を取られた!)
ミリアムは生前、聖女でありながら優秀な戦士でもあった。その声に反応し、武器の旗を手に戦闘態勢に入る。
「平等党会長、ガヴェイン・セラフ……」
(なぜ私の天使の正体を知っている? それにアスモデウス様たちが悪魔だということも……)
ミリアムは眼前の男が普通の人間とは思えなかった。彼が放つ力の圧はアスモデウスと同等、いやそれ以上。しかし、それは悪魔の気配ではない──神々しいもの、ミリアムと同種のものだ。
「聞け、我が真名はガブリエル、神のメッセンジャーである。頭が高い、ひざまずけ」
ガブリエルの言葉に、ミリアムの体は屈服するように跪いた。これが上位天使の証だった。
「ぐっ……!」
ミリアムの心は折れていないが、体は命令に逆らえない。必死に頭を上げようとするが、言霊の影響でそれも許されない。地面に映るのは六枚の翼の影。
(翼の数からして、少なくとも第三位・座天使(ソロネ)……天使階級の詐称は重罪だ。ましてや四人しかいない熾天使(セラフィム)なら尚更。本物のガブリエル……!)
「よい姿勢だ。だがこれでは話し辛い。顔を上げることを許す」
ガブリエルの言葉で、ミリアムを縛る力が解かれた。解放された彼女は大きく息を吸い、目にはまだ戦う意思が燃えている。
「悪魔にはあんなに親切なくせに、同じ天使でありながらトップである私にそんな目つきとはね。せっかく私のおかげで天使としての生を受けられたというのに」
「!?」
「いやいや、噓じゃないよ。悪魔と違って天使は正直なものだ。確かにあなたを復活させたのはラファエルだが、私の承認がなければ、あなたはあの時すでにこの世から消え去っていた。もっと感謝されるべきだと思うが」
「私は忘れない……聖女として火炙りの刑に処せられた時、神は私を見捨てたことを。私は火に焼かれ死んだ。私を助けたのは神ではない、アスモデウス様だ!」
「愚かな」
ガブリエルは手を顔に当て、失望したように首を振る。
「神はあなたに試練を与えられた。天使になるために、最も過酷な状況でも神を信じる心を保てるかをね。しかしあなたは試練を乗り越えられなかった。神への信仰を捨て、悪魔の甘言に唆され、地獄の蜘蛛(ジョロウグモ)に堕ちた。嘆かわしい。しかし……私はあなたが命の最後まで戦士の誇りを捨てず勇ましく散ったことに可能性を感じた。だから、もう一度チャンスを与えたというのに。まさか、まだ悪魔とつるんでいるとは」
「なにが試練だ! 人の人生をなんだと思っている!」
旗を槍のように振りかざし、ミリアムは果敢にガブリエルへ突撃する。その渾身の一撃は、ルキエルの時のように「神の領域」に阻まれた。ガブリエルは逆に片手でミリアムの首を締め上げる。
「人は神を信じる器にすぎない。神魔大戦後、天界と地獄は人間界不干渉条約を結んだ。だが、私たちは別に人間界を諦めたわけじゃない──代理戦争だ。人間が私たちの代わりに人間界を支配すれば、それは私たちが支配したも同然。まあ、その前にまず人間を神の忠実な僕にしなければならないがね。わざわざ聖剣を与えたのに……実に無能」
ガブリエルはそのままミリアムの首を捻り折ろうと、指先にさらに力を込めた。
「かっ……」
ミリアムは苦しみながらも、喉を締め付けられて悲鳴すらあげられない。もはやその命は風前の灯火だった。
その時、彼女の影からデースサイズが鋭く現れ、ガブリエルの腕へ斬りかかる。慌ててミリアムを放すガブリエル。一瞬遅ければ腕ごと切り落とされるところだったが、手袋だけがかすられるですんだ。
しかし、その手袋は一瞬で黒き炎に包まれ、全身へ広がろうとする。ガブリエルは素早く手袋を捨てた。
捨てられた手袋は瞬く間に黒炎に焼き尽くされ、灰となった。
「パイセンいじめんな、殺すデース」
それはミリアムが探し続けていたベリアルだった。彼女自身より巨大なデースサイズを構え、背後には黒き六翼が広がる。ガブリエルの神々しい翼とは違い、深淵のオーラを漂わせている。
「腐敗の王がいつから番犬にジョブチェンジしたのかな? 影に隠れるとは、卑怯なことを」
焦りの表情一つ見せず、ガブリエルは新しい手袋を付け直した。
「ベルは戦闘能力ならてめえに負けないデース。喰われたくなけりゃさっさと消えろデース」
「黙れ悪魔。その娘は私の部下だ。地獄は天界の内政に干渉する権利はない。戻れ、ミリアム・エクスコミュニカ。お前はこっち側の者だ」
「違う! 私は――」
「あの悪魔の仲間になるつもりか? バカな奴、騙されていることにすら気づいていないのか。おっと、武器を構えるなよ、私はまだ何もしていないから」
狡猾な笑みを浮かべ、ガブリエルは攻撃を仕掛けようとするベリアルを牽制した。
「あの悪魔にとって、お前は単なる契約者に過ぎない。それを勘違いして『友達』になったつもりでいる姿は滑稽以外の何物でもない」
「でたらめを言うな! アスモデウス様は私を友達だと思ってここまでしてくれた。代償を求めず、100年も私のくだらない復讐に付き合ってくれた。私のために涙まで流してくれた!」
アスモデウスと一緒に撮った写真が入ったペンダントを力強く握りしめ、ミリアムは叫んだ。
「ならば、お前とパイモン、一人しか選べないなら、彼女はどっちを選ぶ?」
「それは……」
言葉が喉に貼りつき、一歩も前へ出てこなかった。ミリアムは答えを薄々感じていた。だけど心では認めたくなかった。
「自分で自分を誤魔化すな。お前は彼女の何万年という時間の中の、ちょっと特別な契約者に過ぎない。たかが百年、彼女にとっては瞬きにしかならない。しかし、パイモンと彼女は生まれながらの付き合いだ。比べること自体が身の程知らずだ」
「……」
「惑わせるなデース! 店長はパイセンのこと特別に思ってるデース! でなきゃ代償も取らず、新しい契約者も探してないデース!」
ベリアルは必死にフォローするが、戦闘は得意でも論戦は弱い。ガブリエルが作り出した流れを止められない。
(知ってた……アスモデウス様は私の初めての友達、私の一番の親友。だけど、アスモデウス様は違う。彼女は魅力的で友達はたくさんいる。地獄でいた時に知ったことじゃないか。だけど……)
モリアはアスモデウスにとって特別だった。百年しか彼女と一緒にいないミリアムですらわかる。モリアと一緒にいる時のアスモデウスは一番楽しそうで、二人の間に遠慮や壁は全くない。アスモデウスが悩んでいた時、自分ではなくモリアに相談した。彼女が本当に心を許す相手は……自分じゃない
その落差に、ミリアムはずっと目を背けてきたが、これ以上誤魔化すのは無理だ。
「悪魔と人間は所詮、狼と羊と同じだ。食うか食われるかだけ。お前が感じた友情は、悪魔がお前の魂を食うための餌に過ぎない。傷が浅いうちに関係を断つべきだ」
ガブリエルはミリアムの心の揺れを見逃さず、追い打ちをかける。
「もし、お前を救ってくれたアスモデウスに恩義を感じるなら、お前をもう一度復活させたラファエルと天界にも恩義があるとは思わないか? お前が不夜城で百年の間に犯した罪――悪魔の元では永遠に贖うことはできない」
「ガブリエル!」
ベリアルはただ見ていることしかできない。彼女には今のミリアムの心を動かす力がない。ギザギザの歯が怒りでぶつかり合い、いらだたしい音を立てている。
「これはこれは怖い。狂犬に噛まれないうちに退散するか。ミリアム・エクスコミュニカ、私が目をかけたあなたなら、きっと正しい判断ができるでしょう」
ガブリエルは姿を消した。残されたのは、ミリアムとアスモデウスの関係に生じた大きな亀裂だった……
「ベリアルさん……私とモリア、どっちが大事ですか?」
「それは……」
ベリアルは困ったように頭をかきむしった。「ごめん、一人しか選べないなら、ベルは姉さんを選ぶデース」
「そうですね。付き合いの浅い私より、モリアさんの方が大事ですよね。アスモデウス様もきっと同じことを言うに決まっています」
「違う」とは言えない。アスモデウスもきっとベリアルと同じ選択をするだろう。残酷だが、それが事実なのだ。
「ミリリン♪ アルルを見つかった? ごめん、アルルの分のデザートも食べちゃった。でへ♪」
何も知らずにのこのこ現れたアスモデウスは、まだミリアムの異変に気づいていない。
「アスモデウス様、今までお世話になりました」
「なにそれ、まるでこれからいなくなるみたいに。もう~、アスにゃん怒っちゃうぞ♪」
「あなたと絶交させていただきます」
その言葉は青天の霹靂のようにアスモデウスに響いた。
「ちょっと、ミリリン冗談でしょ? アスにゃんの悪ふざけがすぎたのが悪いんだよ。謝るから……」アスモデウスと過ごした百年。不夜城での二人の思いでが、一瞬だけミリアムの胸を刺した。しかし揺るぎなかった。
「さようなら。次に会ったら、敵同士です。これも……いらないですね」
ミリアムはあの大切なペンダントから写真を取り出すと──
チュッ
耳に響く紙が引き裂かれる音。それはミリアムとアスモデウスの友情が断ち切られる音だった。
振り返りもせず去っていくミリアム。そして、写真の破片を必死に拾い集め、涙で顔を洗うアスモデウス。
「え? 公平会の会長が平等会の副会長の『お母さん』なの? 嘘!」
「本当よ。『お母さん』って呼んでるところをいろんな人に見られているらしい」
「いやいや、年が合わないし、そもそもあの人体は男でしょ。どうやって産むのよ」
リディアとモリアの関係は、あの王様ゲーム以来大きく変わった。今まで甘えられなかった分、したように、その勢いは止まらない。
「ねね、お母さんにお弁当作ってもらったの。このウサギリンゴ、かわいいでしょう?」
同級生に弁当を自慢するほどにはしゃいでいる。
「へえ……ケティヤさんがそんなことするなんて……」
彼女の友達は何とかフォローしようとするが、本人はまったく隠す気がない。
「あんな男漁りしかしないババアはお母さんじゃありません。モリアさんこそ私のお母さんです。あ、お母さん—! お昼ご飯一緒に食べましょう!」
通りすがりのモリアを見つけると、リディアはすぐさま駆け寄った。以前とは別の意味でべったりだ。
「あらあら、リディアちゃんは甘えんぼさんね」
『お母さん』という呼び声に、口元がほころぶ。母のポジションに大変満足しているモリアだった。
「ダメですか?」
上目遣いで目をうるうるさせたリディアは、早くも甘え方をマスターしているようだ。
「ダメじゃないわ。ええ、だって『お母さん』ですもの。いらっしゃい。食事の後はお母さんの膝枕で、子守唄を聞きながら寝かしつけてあげるわ」
「お母さん、大好き!」
学生たちの異様な視線の中、二人は仲良く腕を組んで学校の中庭へ向かった。
*
「あの……これはどういうことですか?」
中庭でいつも集まるメンバーの一人、ミリアムが真っ先に目の前の異常事態にツッコミを入れた。
「娘ができるくらい、そんなにはしゃいじゃいけませんわ?」
リディアの口元のソースを拭いながら、モリアの態度は一切変わらない。
「え~、魔王様の娘? なるほど、お父さん似か」
アスモデウスはリディアの胸を見て感想を述べた。するとモリアは当然のようにトッピングのレモンを搾り、その汁をアスモデウスの目へと放った。
「きゃあああ!」 見事に命中。
「あらあら、お口で召し上がるのよ。目で食べるなんてみっともないわ。ふふふ」
「ガルルルル……」
ベリアルは今までにないほどリディアを敵視している。いつも自分がモリアの一番の妹分として可愛がられる立場が奪われたからだ。対抗するかのように、自分の口元にもソースを付けた。
「姉さん、ベルも……」
「ああもう、汚いでしょう」
拭いてくれる人はいたが、それはモリアではなくミリアムだった。
「天使の施しはいらない! ベルは姉さんがいいデース!」
それを言い残すと、ベリアルは影に溶け込むように消えた。
「ミリリン、目が痛いの。拭いて、拭いて~。その後『痛いの痛いの飛んでいけ』して」
「あー、もうー、子供の歳でもないでしょ。悪魔ってみんなそんな感じなんですか」
「静かにしてください。いい子は寝る時間ですわ」
モリアは人差し指を口に当て、「シー」の姿勢を取った。その膝で眠るリディアは周りの騒ぎに一切影響されず、ただモリアの太ももの柔らかさを枕に深い眠りに落ちている。
「はいはい、わかりました。私、ちょっとベリアルさんを探してきます。アスモデウス様、ティッシュをあげますから、ご自分で拭いてください。それと、いい加減調子に乗って行動しないでください」
ミリアムはそう言いながら、先に温湿布をアスモデウスの目に当て、冷たいティッシュを彼女の手に置いた。
「湿布が冷めてからティッシュで拭くように。いいですね?」
「ありがとう、ミリリン♪ 愛してる! 結婚して♡」
「レモンの残りはまだありますよ、アスモデウス様」
「すみません、調子に乗りました~」
アスモデウスの手当が終わり、ベリアルを探そうとするミリアムに、モリアは意味深な言葉を送った。
「悪魔は大体嘘つき。悪魔の言葉を信じた人は、最後には何もかも騙し取られ、魂の一滴も残さずしゃぶり尽くされます。ですが……悪魔の愛は嘘じゃないわ。彼女たちが堕天したのは罪からではなく、愛からです。だから、彼女の愛を信じて」
「その言葉も嘘ですか?」
「そうかもしれませんわ。ふふふ。邪魔したわ、いってらっしゃい」
モリアの言葉が気にかかるが、ミリアムはベリアルを探すことを優先した。
*
「ベリアルさん! どこですか? 戻らないと、食後のデザートは全部アスモデウス様に食べられちゃいますよ!」
校舎の中、ミリアムはリディアへの対抗心で「家出」したベリアルを探していた。しかし、ここには暴食の悪魔の姿はない──代わりにいたのは……
「随分と悪魔たちと親しいですね、第八位大天使(アークエンジェル)、ミリアム・エクスコミュニカ」
眼鏡をかけた金髪の青年が、いつの間にか彼女の背後に立っていた。
(背後を取られた!)
ミリアムは生前、聖女でありながら優秀な戦士でもあった。その声に反応し、武器の旗を手に戦闘態勢に入る。
「平等党会長、ガヴェイン・セラフ……」
(なぜ私の天使の正体を知っている? それにアスモデウス様たちが悪魔だということも……)
ミリアムは眼前の男が普通の人間とは思えなかった。彼が放つ力の圧はアスモデウスと同等、いやそれ以上。しかし、それは悪魔の気配ではない──神々しいもの、ミリアムと同種のものだ。
「聞け、我が真名はガブリエル、神のメッセンジャーである。頭が高い、ひざまずけ」
ガブリエルの言葉に、ミリアムの体は屈服するように跪いた。これが上位天使の証だった。
「ぐっ……!」
ミリアムの心は折れていないが、体は命令に逆らえない。必死に頭を上げようとするが、言霊の影響でそれも許されない。地面に映るのは六枚の翼の影。
(翼の数からして、少なくとも第三位・座天使(ソロネ)……天使階級の詐称は重罪だ。ましてや四人しかいない熾天使(セラフィム)なら尚更。本物のガブリエル……!)
「よい姿勢だ。だがこれでは話し辛い。顔を上げることを許す」
ガブリエルの言葉で、ミリアムを縛る力が解かれた。解放された彼女は大きく息を吸い、目にはまだ戦う意思が燃えている。
「悪魔にはあんなに親切なくせに、同じ天使でありながらトップである私にそんな目つきとはね。せっかく私のおかげで天使としての生を受けられたというのに」
「!?」
「いやいや、噓じゃないよ。悪魔と違って天使は正直なものだ。確かにあなたを復活させたのはラファエルだが、私の承認がなければ、あなたはあの時すでにこの世から消え去っていた。もっと感謝されるべきだと思うが」
「私は忘れない……聖女として火炙りの刑に処せられた時、神は私を見捨てたことを。私は火に焼かれ死んだ。私を助けたのは神ではない、アスモデウス様だ!」
「愚かな」
ガブリエルは手を顔に当て、失望したように首を振る。
「神はあなたに試練を与えられた。天使になるために、最も過酷な状況でも神を信じる心を保てるかをね。しかしあなたは試練を乗り越えられなかった。神への信仰を捨て、悪魔の甘言に唆され、地獄の蜘蛛(ジョロウグモ)に堕ちた。嘆かわしい。しかし……私はあなたが命の最後まで戦士の誇りを捨てず勇ましく散ったことに可能性を感じた。だから、もう一度チャンスを与えたというのに。まさか、まだ悪魔とつるんでいるとは」
「なにが試練だ! 人の人生をなんだと思っている!」
旗を槍のように振りかざし、ミリアムは果敢にガブリエルへ突撃する。その渾身の一撃は、ルキエルの時のように「神の領域」に阻まれた。ガブリエルは逆に片手でミリアムの首を締め上げる。
「人は神を信じる器にすぎない。神魔大戦後、天界と地獄は人間界不干渉条約を結んだ。だが、私たちは別に人間界を諦めたわけじゃない──代理戦争だ。人間が私たちの代わりに人間界を支配すれば、それは私たちが支配したも同然。まあ、その前にまず人間を神の忠実な僕にしなければならないがね。わざわざ聖剣を与えたのに……実に無能」
ガブリエルはそのままミリアムの首を捻り折ろうと、指先にさらに力を込めた。
「かっ……」
ミリアムは苦しみながらも、喉を締め付けられて悲鳴すらあげられない。もはやその命は風前の灯火だった。
その時、彼女の影からデースサイズが鋭く現れ、ガブリエルの腕へ斬りかかる。慌ててミリアムを放すガブリエル。一瞬遅ければ腕ごと切り落とされるところだったが、手袋だけがかすられるですんだ。
しかし、その手袋は一瞬で黒き炎に包まれ、全身へ広がろうとする。ガブリエルは素早く手袋を捨てた。
捨てられた手袋は瞬く間に黒炎に焼き尽くされ、灰となった。
「パイセンいじめんな、殺すデース」
それはミリアムが探し続けていたベリアルだった。彼女自身より巨大なデースサイズを構え、背後には黒き六翼が広がる。ガブリエルの神々しい翼とは違い、深淵のオーラを漂わせている。
「腐敗の王がいつから番犬にジョブチェンジしたのかな? 影に隠れるとは、卑怯なことを」
焦りの表情一つ見せず、ガブリエルは新しい手袋を付け直した。
「ベルは戦闘能力ならてめえに負けないデース。喰われたくなけりゃさっさと消えろデース」
「黙れ悪魔。その娘は私の部下だ。地獄は天界の内政に干渉する権利はない。戻れ、ミリアム・エクスコミュニカ。お前はこっち側の者だ」
「違う! 私は――」
「あの悪魔の仲間になるつもりか? バカな奴、騙されていることにすら気づいていないのか。おっと、武器を構えるなよ、私はまだ何もしていないから」
狡猾な笑みを浮かべ、ガブリエルは攻撃を仕掛けようとするベリアルを牽制した。
「あの悪魔にとって、お前は単なる契約者に過ぎない。それを勘違いして『友達』になったつもりでいる姿は滑稽以外の何物でもない」
「でたらめを言うな! アスモデウス様は私を友達だと思ってここまでしてくれた。代償を求めず、100年も私のくだらない復讐に付き合ってくれた。私のために涙まで流してくれた!」
アスモデウスと一緒に撮った写真が入ったペンダントを力強く握りしめ、ミリアムは叫んだ。
「ならば、お前とパイモン、一人しか選べないなら、彼女はどっちを選ぶ?」
「それは……」
言葉が喉に貼りつき、一歩も前へ出てこなかった。ミリアムは答えを薄々感じていた。だけど心では認めたくなかった。
「自分で自分を誤魔化すな。お前は彼女の何万年という時間の中の、ちょっと特別な契約者に過ぎない。たかが百年、彼女にとっては瞬きにしかならない。しかし、パイモンと彼女は生まれながらの付き合いだ。比べること自体が身の程知らずだ」
「……」
「惑わせるなデース! 店長はパイセンのこと特別に思ってるデース! でなきゃ代償も取らず、新しい契約者も探してないデース!」
ベリアルは必死にフォローするが、戦闘は得意でも論戦は弱い。ガブリエルが作り出した流れを止められない。
(知ってた……アスモデウス様は私の初めての友達、私の一番の親友。だけど、アスモデウス様は違う。彼女は魅力的で友達はたくさんいる。地獄でいた時に知ったことじゃないか。だけど……)
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その落差に、ミリアムはずっと目を背けてきたが、これ以上誤魔化すのは無理だ。
「悪魔と人間は所詮、狼と羊と同じだ。食うか食われるかだけ。お前が感じた友情は、悪魔がお前の魂を食うための餌に過ぎない。傷が浅いうちに関係を断つべきだ」
ガブリエルはミリアムの心の揺れを見逃さず、追い打ちをかける。
「もし、お前を救ってくれたアスモデウスに恩義を感じるなら、お前をもう一度復活させたラファエルと天界にも恩義があるとは思わないか? お前が不夜城で百年の間に犯した罪――悪魔の元では永遠に贖うことはできない」
「ガブリエル!」
ベリアルはただ見ていることしかできない。彼女には今のミリアムの心を動かす力がない。ギザギザの歯が怒りでぶつかり合い、いらだたしい音を立てている。
「これはこれは怖い。狂犬に噛まれないうちに退散するか。ミリアム・エクスコミュニカ、私が目をかけたあなたなら、きっと正しい判断ができるでしょう」
ガブリエルは姿を消した。残されたのは、ミリアムとアスモデウスの関係に生じた大きな亀裂だった……
「ベリアルさん……私とモリア、どっちが大事ですか?」
「それは……」
ベリアルは困ったように頭をかきむしった。「ごめん、一人しか選べないなら、ベルは姉さんを選ぶデース」
「そうですね。付き合いの浅い私より、モリアさんの方が大事ですよね。アスモデウス様もきっと同じことを言うに決まっています」
「違う」とは言えない。アスモデウスもきっとベリアルと同じ選択をするだろう。残酷だが、それが事実なのだ。
「ミリリン♪ アルルを見つかった? ごめん、アルルの分のデザートも食べちゃった。でへ♪」
何も知らずにのこのこ現れたアスモデウスは、まだミリアムの異変に気づいていない。
「アスモデウス様、今までお世話になりました」
「なにそれ、まるでこれからいなくなるみたいに。もう~、アスにゃん怒っちゃうぞ♪」
「あなたと絶交させていただきます」
その言葉は青天の霹靂のようにアスモデウスに響いた。
「ちょっと、ミリリン冗談でしょ? アスにゃんの悪ふざけがすぎたのが悪いんだよ。謝るから……」アスモデウスと過ごした百年。不夜城での二人の思いでが、一瞬だけミリアムの胸を刺した。しかし揺るぎなかった。
「さようなら。次に会ったら、敵同士です。これも……いらないですね」
ミリアムはあの大切なペンダントから写真を取り出すと──
チュッ
耳に響く紙が引き裂かれる音。それはミリアムとアスモデウスの友情が断ち切られる音だった。
振り返りもせず去っていくミリアム。そして、写真の破片を必死に拾い集め、涙で顔を洗うアスモデウス。
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突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
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カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
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