イトムシ    〜 幼少期〜

夜束牡牛

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ヌー・シャテル1

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○○○○○

 翌朝、キイトは庭の茂みの中で目を覚ました。
 ひんやりとした土に、青々とした夏草。頭上ではセミが鳴きはじめている。

 キイトは、セミを驚かさないようにして、茂みを出た。
 服は水気を吸いしっとりとしている。茂みを振り返るが、そこはいつもの庭、淡いの植物が身を寄せ合う一角だ。
 しかしキイトは、はっきりと昨夜のことを覚え、さらに理解していた。
 自分は、夜の楽園へと招かれたのだ。きっと、イトムシならば行ける場所なのだろう。『歓迎』のようなものだ――。キイトはそう解釈すると、そのまま庭で軽く運動をし、水盤で身を清め、窓から自室へと戻った。
 
 服を着替えていると、腕の痣と目が合い、ぎょっとした。
 ナナフシに言われたせいか、それが大きな目玉に見えてきたのだ。

(ナナフシが余計な事を言うから、本当に目玉模様に見えてきた……。なんだか威嚇してる生き物みたいで嫌だな)

 キイトは顔をしかめ、半袖の上から夏用の長袖の上着で痣を隠すと、食堂へと向かった。

 小石丸館での炊事、洗濯等の家事は、宮から通いで来る使用人たちが担当している。 
 ただ、それらを担当している使用人たちを、キイトは直接見たことがない。
 どうやら使用人たちは、姿を見せないように言いつけられているらしく、確認できたのは、灰色のスカートの裾や、忍ばせた足音ばかり。
 これは師の人間嫌いが影響しているのだろう。しかし、使用人たちは、キイトは別と考えてくれているのが伺えていた。

 使用人たちの小さな気遣い。
 食器の後ろに隠され、『わたしをお食べ』と、砂糖で書かれた焼き菓子を見つけ、ナナフシと集めたセミの抜け殻が、いつの間にかクルミの殻でお茶会を開き、清潔な洋服の袖から、飛び出す飴玉を拾い上げるたび、キイトの孤独は紛れた。

 今朝も、ひっそりと用意されてあった朝食の脇には、折り紙で折られた桃色の蝶が止まっていた。
 一人きりで食べ終わると御加水をのみ、蝶を摘まんで洗面所へと向かう。
 歯を磨きながら、赤い糸をどう師に渡そうか考えた。
 渡せば必ず、いつ奪ったのか問われるだろう。
 イトムシ同士は目を見て感情を理解し合うので、絶対に嘘を付けない。すぐに見抜かれてしまう。さらに、昨夜の楽園を話すべきか、それもかなり悩んだ。なんせ、師との会話自体が、一つの厳しい鍛錬のようなものだ。

 りりん、りりん

 玄関の鈴が鳴らされる。客人だ。
 キイトは口をゆすぎ、耳を澄ませた。
 師からは客を迎えにいくな、と強く言われていた。それは、師が居留守を使うためで、本当に用のある者は、バーメイスタ副館長のように勝手に入って来る。

 キイトが桃色の蝶を指でつついて、客人が去るのを待っていると、二階から珍しく師が下りて行く足音が聞こえた。
 玄関で会話が聞こえる。

「来い」
「……!」

 唐突な一言を耳に拾い、キイトはパッと玄関へと走った。
 小石丸がキイトを呼んだのだ。
 苛立ちを滲ませる声音が、キイトを急がせる。慌てて出て行けば、玄関で二人の宮使みやづかいと小石丸が待っていた。
 二人の宮使いは、そろいの灰色の宮服に、堅苦しい姿勢。そして、よく似た事務的な眼差しをしている。

(いやだな……。人がまとう灰色は嫌いだ)

 キイトの視線が硬くなった。
 キイトにとって、宮も宮使いも、良い思い出がない。
 堅苦しい灰色は、宮臣みやおみを思い出させる。そのせいか、キイトの目に、灰色の男達は皆おなじに見えた。
 ただ、いま目の前に立つ二人のうち一人は、眼鏡をかけている。それだけは何となく目に止まり、キイトはちらりと視線を投げた。
 そこへと小石丸が、キイトを見ずに指示をくだした。

「宮へ行く。後は聞け」
「……」

 そう言い放つと、師は一人でさっさと外へと出ていった。馬のいななきが聞こえる。
 宮使いが、あまりにも少ない師弟の会話に、互いにチラリと目を交わした。
 一人は小石丸を追い駆け出て行き、一人は丁寧にキイトへとお辞儀をした。どうやら、この残された眼鏡の男が、キイトの担当らしい。

「おはようございます、キイト様。馬車は二台用意してあります。どうぞ、こちらの馬車へお乗りください」
「おはようございます」

 キイトは、手を組み挨拶を返す。 
 キイトがイトムシの挨拶をすると、目鏡を掛けた男は、まるで挑戦するように眉を寄せ、至極真剣にキイトの目を見つめてきた。

(……?)

 なんとなくキイトも見つめ返す。
 
 少し互いに見つめ合った後に、キイトは組んだ指をそっと解くが、男はいまだ動かない。なんだかその真剣な様子に、彼から目を離すのが悪いので、キイトはそのまま男を観察した。

 琥珀色の目に銀蔓の眼鏡、焦げ茶色の髪、高い鼻。少し下がった目尻が、人の良さそうな印象を持たす。
 灰色の宮服をまとうと、それだけで、真面目で融通の利かなそうな印象を相手に与えてしまうが、顔だけ見れば柔和である。

「おい、シャテル」
「おっと!」

 先に行った宮使いに馬車から声を掛けられ、眼鏡の宮使いは慌てた。

「すみません、どうぞキイト様」
「……」

 視線を外した男が、キイトを小石丸とは別の馬車へと促した。
 キイトは素直に彼に従った。
 
 馬車の中で、改めて男が頭を下げてきた。

「ヌー・シャテルと申します。イトムシ・キイト様専従せんじゅうの宮使いとなりました。どうぞよろしくお願い致します。……あの、私を覚えていらっしゃいますか?」
「いえ。目鏡をかけた宮使いさんに会うのは、初めてです。『せんじゅう』って何ですか?」

 再び視線を合わせられ、キイトは首を捻った。

「貴方様専用の宮使いと言う意味です。あ、そうか。眼鏡……では、これでいかがですか?」

 ヌー・シャテルは目鏡を取ると、キイトへと膝を寄せて来た。

(どこかで会っただろうか?)

 目ばかりをじろじろと見られ、居心地が悪い。
 キイトは小窓へと顔を向けた。ヌー・シャテルに悪気は無いようだが、視線が鬱陶しい。
 視線を逃がすと、それに気がついたヌーが、慌てて謝罪をしてきた。

「申し訳ありません。実は私、三年前にキイト様に、ご挨拶へと伺った者です。あの時は大変失礼致しました、私はまだ、イトムシ様の目に慣れておらず、そのためにキイト様に、大変不愉快な思いをさせてしまって」

 ヌーがすまなそうに目を伏せる。

(三年前じゃ、僕はまだイトムシ館だ。宮使い? 勉強を教えてもらった先生じゃないし、たまに来る人かな、わからない)

 宮使いと言う、キイトからすれば地味な役人たちは、重要な記憶としては残ってはいない。まして不快な思いなど思い出せない。

「覚えていません」
「そ、そうですか」

 ヌーが余りにも寂しそうに言うので、キイトは、悪い事をしてしまった気がした。
 手の中で、桃色の蝶がかさりとなる。師に呼ばれ、慌てて持って来てしまったのだ。
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