イトムシ    〜 幼少期〜

夜束牡牛

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古い水車2

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(太陽が隠れていたから、追放者は……あの子は大人しかったのかな)

 糸を伝う感覚を思い出し、キイトが手を見つめると、誰かが背後に立った。

「……っ」

 突然の気配に驚き振り返れば、師が暗い空の下、黒い目で自分を見下ろしている。
 慌てて立ち上がった拍子に、肩からヌーの上着が落ちた。
 腕の痣があらわになる。

「小石丸様! お疲れさまです。先ほど無事、追放者を楽園へと送りました」
「……」

 キイトは夜の湖を波立たせ、師へと報告する。
 師の瞳は何かが潜む夜の沼、それでも同種の目だ。イトムシの目だ。視線が交わるだけで嬉しい。

(今回はすぐに送れた。この前のように苦しめなかった。小石丸様の言いつけを守れた)

 少しだけ期待をし、返答を待つ。しかし小石丸は何も答えない、ただキイトを見下ろし、じっとその腕を見ている。

「あの、棘が沢山ある子で……」
「その痣。なぜだ、なぜお前が、眼状紋がじょうもんを持っている」
「……?」

 キイトは師の問いに答えようと、視線をなぞり自分の腕を見た。
 剥き出しの腕に、目玉の痣が浮いている。

「がじょうもんとは何ですか? これは前に」

 キイトが話しながら顔を上げると、目前に、師の鋭い手が両目をえぐろうと迫っていた。

「っ?!」

 カツンッ

 それを遮り一本の矢が飛んできた。

 キイトの鼻先、小石丸の指との間を通り抜け、矢が支柱に刺さった。
 そこへと矢主の緊張感のない声が響く。

「サーセン。ハンパなく手元狂いましたぁー、マジ、サーセン」

 イチヤだ。
 弓を構えたまま、へらへらと謝罪をする彼に、小石丸が視線を動かした。
 キイトは黒い沼が憎悪で溢れるのを見て叫んだ。

「だめっ逃げて! イチヤ!」
「やばっ」

 イチヤは素早く顎を引き、視線をずらそうとしたが、間に合わなかった。
 小石丸の目が素早くイチヤの視線を捕えた。
 交じわる視線。夜の沼。

「っ……」

 イトムシの目が、人間の精神に影響をあたえはじめた。

「っくそ……」
「イチヤ!!」

 キイトがイチヤの意識を繋ぎ止めようと、叫んだ。
 イチヤの手から弓が落ちた、全身が見えない糸に縛られたように、こわばり震えている。瞳孔が開き、汗が噴き出した。それでもイチヤは、小石丸から目を離すことが出来ずにいる。

 小石丸の鋭い声音が、イチヤの両眼に鋭利な糸傷を付けるように発せられた。

「礼儀を知らぬ人間め。お前一人が消えたところで、淡いは何ともないのだ」

 夜の沼が溢れかえり、残虐な炎を灯す。
 イチヤの自由が利かない体とは反対に、バタバタと逃げもがく精神は、夜の沼へと沈められていった。

「あっ……っう」
「イチヤ! 目を逸らして! 誰かっ」

 キイトの叫び声に、異変に気付いた館士兵たちが駆けつけてきた。
 小石丸の目がゆたりと細められる。

(殺さなければいい。それだけだ)

小石丸は、邪魔が入る前にイチヤを廃人にしてしまおうとした。しかしその時、腕に何かが強くぶつかった。

(……?)

 捕えた精神を放り投げ、腕を見ると、キイトが腕にしがみ付いている。
 若い夜の目が波立ち、視線を通し、制止の感情をぶつけてくる。
 幼いイトムシの必死の抵抗は、取るに足らない無作法。
 しかし、小石丸の心臓は跳ねた。
 幼い夜の目ではく、その、両腕の眼状紋が警告を発していた。
 引きしまってはいるが、いまだ頼りない少年の腕。そこに不似合いなほど濃く浮かび上がる眼玉模様。それが、見開き、真っ直ぐに小石丸を見ている。



 『気ヲ付ツケロ、オ前ヨリ強イイトムシダゾ』


「っ!」

 小石丸の心臓が早鐘を打ち、糸を紡いだ。しかし彼はその糸を使わずに飲み込むと、素手でキイトを殴りつけた。
 幼いイトムシに危険を感じ、本能で糸を紡いだなど、小石丸は認めたくなかった。

 キイトの必死の制止により、小石丸の視線から解放されたイチヤは、膝を付き、石畳へとえずいた。まるで、体の中に沼が注がれたように、重たく寒く、気分が悪い。震えが止まらない。石畳に着いた手が沼に沈み始める……。

「大丈夫かイチヤ! くそっ、しっかりしやがれ、この根性なしの猫舌野郎! 館士兵だろ!」

 イチヤの耳に、菊の声が遥か遠くで聞こえる。

(菊さん、励ましてんの? けなしてんの?)

 朦朧もうろうとしていると、バチンと頬を叩かれた。

(痛ってぇ?!)

 痛みに意識が向かい、目前に緑色の目が現れた。瞬きを繰り返すと、夕日のような赤毛も見える。

「……っ」
「そうだ。起きるんだ坊や、甘ったれるんじゃない。私の目を見て、ここまでおいで」

 イチヤは状況を思い出し、夜の目の訓練に習い五感を手繰ると、憎悪の沼を追い出した。
 がんがんと響く頭痛と鼓動のなか、石畳についた自分の手をきつく握り締める。
 よく知る手がもう一つ、自分の背中を支えてくれる。

「もうちょい、さっさと上がって来い馬鹿舌」
「ふっ……」

 沼になんか沈んでない。自分の精神は自分のものだ。
 
 イチヤが顔を上げると、いつも勝気なワッカがいる。背に回されているのは、大きな菊の手だ。
 癖で作る笑顔ではなく、情けなさで口元があがる。

「……撃沈っす。ねーや、にーや、すんません」

 そう弱々しく謝ると、視界に戻ってきた光と色に、イチヤは目を凝らした。
 助けに来た二人が、ほっとしたように息をついた。

「良い子だ。もう大丈夫、さがって休んでな」
「謝ることはねぇよ、一度は沈んどいて損はねぇ。よく頑張った」

 ワッカがイチヤの目を覗き込み、無事を確認し頷くと、菊がイチヤを支え立ち上がった。

 二人は仲間にイチヤを任せると、夜の気配が濃くなるその場を振り返った。
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