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四十三話 甲斐国 潜入
しおりを挟む重治は、この年の終わり雪が深くなる前に、今では体の一部と言ってもいい三人の忍びの兄弟たちと共に、信濃の国を目指して安土を立った。
重治の目指す目的地は、真田荘と呼ばれる真田昌幸の納める土地である。
その街は、真田家一門の出身地であり、真田家の当主の屋敷もその場所に存在していた。
重治が、武田勝頼に接触するために、最も有効、可能性が高いと判断したのが、現在の真田家当主、昌幸への接触であった。
昌幸の正室の岳父、尾藤頼忠は、現在は羽柴秀長の家臣として織田家に仕えている。
その関係を利用して、勝頼の側近である昌幸に近づくというのが、重治の第一の策となる。
「……寒い‥‥ねェ‥‥」
「あと少しですよ。‥‥ほら、あそこに見える街が、目的の地、真田の庄です」
伊蔵が、遠くに霞む街を指差し重治を励ました。
その遠く霞む街は、とても街と呼ぶには烏滸がましいほどで、重治には村の間違いだろうと思わせるような規模の小さいものであった。
今年の冬は、例年になく雪は少なめである。
しかし、現代育ちの重治にとって、防寒具一つない当時の出で立ちでの信州路の寒さは、相当こたえていた。
「ふうぅ‥‥ダウンぐらいは、持ってくればよかった……」
「?‥‥」
持ってこれる筈のないダウンジャケットを懐かしく、また恨めしく思い出す重治であった。
「あのぉ、すみません!」
「‥‥‥‥」
「あのぉ‥‥」
「……」
「あ……」
「……」
体が凍えるような思いのなか漸く真田の庄に着いた重治たちではあったが、着いた重治たち一行を出迎えたのは、余所者を絶対的に拒絶する、冷たい突き刺さるような視線を向ける街人たちであった。
「‥‥ううぅ、寒うぅ‥‥。どうしよう、伊蔵‥‥」
「そうですねぇ‥‥」
多種多様の情報を甲斐から集めていた伊蔵ではあったが、肝心要の最終目的地、真田屋敷の場所が見つからない。
街の住人の冷たい視線が、寒さを更に寒く感じさせていた。
「‥‥どうかなさいましたか‥‥」
天の助けか配剤か、はたまた作者の意図した事か。
困り果てていた重治たちに、突然、声をかける者があらわれた。
「!…………………………」
重治は、かけられた声のする方を振り向いた。
振り向いた。
振り向いた。
振り向いた。
しかし、続いての動きが、まるで嘘のように全くない。
まるで凍りついたかのように、まばたき一つしない重治は、その声の主を見た瞬間、全ての活動を停止させていた。
「どうかなさいましたか??」
その声の主は、活動を停止させた重治を見て、少し近づきながら、声をかけ直した。
「………………」
「‥‥申し訳ありません。私たちは、真田様のお屋敷を訪ねてまいった者ですが、どうにも、初めての土地なもので、どちらに向かえば良いのか、判りかねておりました」
「そうでしたか、それは、お困りで‥‥。ちょうど、私も、お屋敷の方に向かいます。宜しければ、ご一緒に……」
「………………」
「‥‥それは有り難い。是非ともご同行させてくだされ」
凍りついた頼りない主、重治に代わり、伊蔵がその声の主の少女に話しかけた。
『運命の出会い』
もし、この世にその様なものがあるとしたならば、この時の重治の出会いは、まさしく、その運命の出会いだと言えるだろう。
この時、重治が出会った美しい少女は、このあと重治の運命に、深く深く複雑に絡まっていく。
しかし今は、物語上、先の話しは無しにして、重治たちには、真田屋敷に到着してもらおう。
少女に案内されて着いたその屋敷は、武田家側近を務める、一門の統領の住まうには相応しくない質素な、周りの屋敷に比べてみても、とりわけ大きいと言える物ではなかった。
「何者じゃ!!」
その屋敷で殺気を込めて、重治を出迎えてくれたのは、将来、美男子確定!
今で言うジャニーズ系、美少年であった。
「怪しい奴らめ。痛い目にあいたくなくば、早々に立ち去れぃ!!!」
その少年の言葉とその目からは、この村に入って出会った村人たちと同様に、憎悪と敵意が湧き出ていた。
その少年は、手に持つ刀をさっと引き抜くと、素早く重治の鼻先に剣先をむけた。
「わわわわわわわわぁ!」
重治は、突然に目の前で輝く刀の先に驚いて、腰砕けとなり、無様に尻餅をついた。
運命の出会いがつくりだした、凍えそうな寒ささえも忘れさせる桃源郷の霞の中を宙をも浮かぶ夢心地の世界から、一気に、重治を現実へと引き戻した。
「はっははは」
少年は、重治に明らかなる蔑みの眼差しを向け、高らかに笑ってみせた。
さすがに温厚な重治も、この時ばかりは頭にきた。
すっくと立ち上がると、伊蔵に向けて右手を差し出した。
もちろん、重治のこの行為は、伊蔵が預かる重治の手荷物の中に潜ませた愛刀を寄越せいうジェスチャーである。
伊蔵は、困惑した。
何があろうと主の命令は絶対である。
しかし、今、冷静さを欠いた主の命令が、良いか悪いか判らない伊蔵ではない。
元はといえば、我が主が出会った女性にのぼせ上がった事が発端であり、いつもの主であれば何の問題も発生しなかった筈なのである。
困惑し続ける伊蔵に向けて重治の差し出した指先が、再び愛刀を寄越せと催促をした。
伊蔵の表情が曇った。
重治が刀を要求するということは、相手をとことん叩き伏せるということを表している。
伊蔵が見立てる限り、少年の力量程度の相手ならば、刀などなくとも重治ならば、難なく倒せる相手であった。
伊蔵にとって本当に問題なのは、今、目の前で重治に突っかかる少年が、この屋敷の関係者であるということである。
重治の今回の旅の目的を知る伊蔵にとって、我が主とこの少年がトラブルを起こす事が、決して重治の為にならない事を理解していた。
悩み続けるそんな伊蔵に、三度目の催促を重治がした時であった。
「何を騒いでいるのですか……」
屋敷から女性の声がすると共に、その美しい声に相応しい、清楚で有りながらも気品を備えた女性が、重治たちの前に姿を現わした。
窮地に立たされていた伊蔵にとって、この女性の登場は、天の助けであった。
「‥‥山手殿で、御座いましょうか?」
伊蔵が、その女性に尋ねた。
「母上、下がって‥‥。貴様ら、何者じゃ。この屋敷を真田家当主の館と知って!!………」
その清楚な女性は、その姿からは想像も出来ない行動に出ていた。
重治たちに息巻く、我が息子にゆっくり近づいたかと思うと、大きく腕を振り上げ、少年の頭に力強く拳を振り下ろしたのである。
「痛ぅ!!……」
涙目になった少年は、頭をおさえ恨めしげに母親を睨んだ。
しかし睨まれはずの母親は、どこ吹く風で息子を睨みつけ、自分の後方へと下がらせた。
「息子が、ご無礼を致しました。……山手は、私に御座いますが、‥‥私に、御用か何かおありでしょうか……」
山手殿と呼ばれた女性。それは、昌幸が正室で、尾藤頼忠の娘、重治たちの目的の人物であった。
『もしかして、あの元気印が信繁か……』
女性の登場で毒気を抜かれ、冷静さを取り戻した重治は、想像していた真田幸村との大きなギャップに戸惑いを隠せず、母の影に隠れる少年を注視し続けた。
「……この書状は、お父上の頼忠さまから預かった物です。」
山手殿と呼ばれるその女性は、伊蔵の差し出した書状の表書きをちらりとだけ見て確認をした。
「遠いところ、はるばる御苦労様でした。ここでは、お寒う御座います。どうぞ、こちらの方へ……」
「母上、駄目だ。こいつら、どうみても怪しすぎる。屋敷にいれ……」
母親のきつい拳骨が、少年の頭のてっぺんを再び襲った。
「信繁、あれほど人を見かけで、判断してはならぬと言われているでしょうが……あっ!‥‥」
この言葉は、さすがに重治達には聞こえないようにと配慮はされていたものの、あまりの距離の近さに、その配慮も全く意味を成さない。
すべてが、丸聞こえを悟った母親は、ばつが悪そうに真っ赤な顔をして、下を俯いた。
そんな状況下にある重治たちには、苦笑いをうかべるしかその場を繕う術は見つからなかった。
「‥‥そうですか、父は元気ですか‥‥」
「はい。今頃は、播磨の辺りを羽柴秀長様と走り回っておられると思います」
「‥‥いいんですか?そんな、お話しを武田の者に、おしゃべりになって……」
昌幸夫人、山手が、にっこりと重治に笑いかけた。
重治たちは、屋敷の中に招き入れられ、暖をとるために拵えられた囲炉裏が真ん中にある部屋へと通されていた。
「……単刀直入に申し上げます。お父上の書状にも書かれている通り、真田家ご当主、昌幸様にお会いするべく、こちらにお伺いしたしだいなのです」
精神的に完全に立ち直った?いつもの重治は、一切の駆け引きは止め、相手に問われた事にはすべて答えた。
重治自身に後ろめたさのある部分は、なに一つない。
それどころか、これからの自分の行動が、武田家の命運に関わっていく、そんな予言めいたものさえ重治は感じていた。
長い話しあいの中で、と言っても世間話が中心なのであるが、とにかくもかくにも重治たちは、主である昌幸が、帰宅するまでの間、屋敷での滞在を許された。
留守を守る一人の少年の許可だけは、どうしても得る事はできなかったのであるが……。
ここで、この時点で重治にもよく解っていない、肝心要の主、昌幸についての話しを簡単にしよう。
昌幸は、天文16年(1547)武田家重臣、真田幸隆の三男として生まれている。
主家である武田家の人質として、天文22年に7歳で甲斐の晴信(後の信玄)の元へやられる。
晴信は、早くから昌幸の才能を認め、側近にあたる奥近習衆に加えられ、『我が眼』と称して寵愛していた。
その後、晴信の計らいにより晴信の母方、武藤家に養子に入り継ぐことになる。
しかし、長篠合戦にて真田家の嫡男信綱、次男昌輝の二人の討ち死により、昌幸の真田姓への復帰となるのである。
信玄の死後、生い立ちが自分と重なる当主、勝頼の数少ない忠臣として、現在は、上州、上野の地を治めるために赴いていた。
年の瀬を迎え、あと数日で一年の終わりを迎えるというのに、昌幸は屋敷へ戻る事はなかった。
この冬は、例年に比べてかなり暖かいという話しではあったが、重治にとっての真冬の信州の寒さは、信じられない程のものであった。
「あぁ、せめてダウンジャケットが欲しいよなぁ‥‥」
ないものねだりの重治は、この日、ぶらりと村の中を鈍った体をほぐすため、一人、散歩をしていた。
村に来て数日も過ぎると、当主の屋敷に世話になっている居候として、浸透してきていて、出会う人とも気軽に挨拶を交わせるようになってきていた。
「ウリャァ!コーン」
「トゥリヤァ!ココーン」
重治の耳に、どこからか木剣の打ち合う音が響いて届いた。
重治は、聞き耳をたて音に集中すると、音のする方へと歩みを始めた。
村のはずれあたりにまで来ると、そこには広場があり、そこで七人、信繁を入れると、八人の若者がいた。
いや、若者とはいったが、それもまだまだ、見かけは少年と言っても問題ない者たちが、剣術の稽古をしていた。
稽古の最中であるにも関わらず、信繁だけは重治の存在にすぐに気づいたようであった。が、とりわけ隠さなくてはならない秘密事ではないらしく、重治は、完全に無視されたまま、少年達の稽古は続けられていた。
熱の入った少年たちの稽古に重治の血が沸き立った。
稽古に気を取られていた重治は、その時、密かに自分の背後を取られた事実に、全く気づく事はなかったのである。
「‥‥どうですかな、うちの息子の腕まえは?」
突然に、背後からかけられた言葉に、重治は、驚いて後ろを振り向いた。
「‥‥父上!!」
驚いて振り向いた重治の背後からは、信繁の声が大きく響いた。
振り向いた重治の前に立っていた人物は、信繁の言葉からして、真田家当主、昌幸本人に違いなかった。
昌幸は、さほど体が大きい訳でもなく、体格だけで比較するならば、今の重治のならば、はるかに戦国武将らしい体格である。
「父上、お帰りなさいませ」
「……うむ」
重治の眺めるその場所からは、少し距離のあったところで稽古をしていた信繁ではあったが、父親を見つけるや否や、即座に駆け寄ってきたのであろう、声の聞こえたその時には、重治のすぐ横で昌幸から頭を撫でられていた。
「信繁。このお方はなぁ、比類無き強さを持ち、一騎駆けにて、数万の大軍に切り込んで武功を立てるほどの凄いお方じゃ!!」
「……まことに、御座いますか?!」
敬愛する父の言葉であるにも関わらず、疑わしそうに信繁は、重治を頭から足元まで、上から下へ、下から上へと舐め回すように見つめた。
「‥‥‥‥しばらくは、ここにおられる事になろう。しっかりと鍛えてもらえ」
にこにこと、重治が肯定も否定もしないのに昌幸は、勝手に話しを決めつけていた。
重治は、昌幸の言葉から自分の素性をすべて知った上で、自分を受け入れてくれた昌幸の気持ちを知った。
「はじめまして、昌幸様。竹中重治と言います」
重治がにっこりと笑うと、昌幸もまた重治に笑みを返した。
「なんでも、重治様は、お酒もお強いとか‥‥。今宵は、いろいろな話しを伺いながら‥‥」
昌幸は、左手に杯を持ったふりをし、その杯をぐいっと一気に飲み干して、会心の笑みを重治に向けた。
『昌幸様、その情報だけは間違いですよ』
重治は、ぐっと言葉を飲み込んで、否定とも肯定ともとれる曖昧な笑みを返した。
その夜、重治と昌幸は、深夜にいたるまで、合い向かいに座り、酒を酌み交わしながら、包み隠さずに互いの情報を交換しあった。
そんな話しの中から重治は、懸命に情報を集め続けたにも関わらず、全く成果のあがらなかった理由を知る事になる。
重治が、昌幸から得た情報には、現在、勝頼が側近と信じてそばに置くものの大半は、既に他国からの内応に対して承知してしまっており、もし大きな戦が始まれば武田は一気に崩壊してしまうという、武田家の最重要機密まで含まれていた。
もちろん、その他国の名前の中には、徳川家の名前が筆頭に存在していた。
当主である勝頼の疑心暗鬼によって、家臣を遠ざける事により、更に家信の心は遠ざかり、当主で有りながら孤立が深まっていく。
今まで、強い信頼を得ていた昌幸でさえもが、勝頼に目通る事が難しいと言う。武田家の内部崩壊は、重治の想像以上に酷いものとなっていたのである。
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