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第4話 静かに、崩れていく
しおりを挟む王都は、噂が生き物のように巡る場所だ。
誰が何をしたか。
誰が誰を嫌ったか。
そして――誰が“切り捨てられたか”。
婚約破棄の翌日。
王都の朝は、いつもより騒がしかった。
「聞いた?エルヴェイン公爵令嬢の件」
「ええ……まさか、あの形で婚約破棄とは」
「でも、おかしくない?追放もされていないし……」
「それどころか、昨日の夜、公爵家の紋章付き馬車が王城を出たのを見たわ」
茶会。市場。騎士団の詰所。
噂は、あっという間に形を変えながら広がっていく。
――“何かがおかしい”。
その違和感だけが、共通していた。
*
「……最近、視線が冷たい気がしないか?」
王太子アルフォンスは、苛立ちを隠そうともせず言った。
執務室。
机の向かいには、聖女マリエルが座っている。
「そ、そんなこと……」
彼女は困ったように微笑んだが、指先は落ち着きなく絡まっていた。
「気のせいですよ、殿下。きっと……あの方の同情を引く演技が――」
「もういい」
アルフォンスは、苛立たしげに手を振った。
婚約破棄は、完璧だったはずだ。
貴族たちの前で、悪役令嬢を断罪し、聖女を守る王太子――
喝采される未来を、確かに思い描いていた。
それなのに。
「……どうして、誰も祝辞を言いに来ない」
静かすぎる。
あまりにも。
いつもなら、我先にと擦り寄ってきた貴族たちが、距離を取っている。
――まるで、触れてはいけないものを見るように。
「エルヴェイン家が……動いているのか?」
その名を口にした瞬間、マリエルの肩がびくりと跳ねた。
「だ、大丈夫です。あの方は、もう……」
「“もう”、何だ?」
アルフォンスの視線が、鋭くなる。
マリエルは、言葉に詰まった。
*
一方、その頃。
エルヴェイン公爵邸では、いつもと変わらぬ朝が流れていた。
「……これ、美味しいです」
私がそう言うと、給仕の手が一瞬止まる。
「ありがとうございます、リリアーナ様!」
料理長が、必要以上に深く頭を下げた。
「……あ、あの……」
「お気になさらず。今日の献立は、あなたの好みに合わせていますので」
好みに合わせて。
そんなこと、お願いした覚えはない。
けれど、言葉にする前に――
「全部、覚えてるんだよ」
後ろから、ユリウス兄様の声。
「君が昔、どんな料理を残して、どんな時に笑ったか」
「……それは……」
「屋敷の人間はね、意外と記憶力がいい」
意味深な微笑み。
「特に、“大切にされた記憶”については」
胸が、少しだけ苦しくなる。
私は、何もしていない。
そう思っていた。
でも――
私が思うより、ずっと多くの人が、私を覚えていた。
*
王城では、静かな異変が続いていた。
ある貴族が、王太子の招待を理由をつけて断った。
ある騎士団が、訓練協力を延期した。
ある魔導師が、研究資料の提供を取り下げた。
どれも、表向きは“正当な理由”。
だが、積み重なれば――無視できない。
「……エルヴェイン家に、問い合わせを」
アルフォンスの命令に、側近が顔を曇らせた。
「それが……返答は、“現在、公爵令嬢の静養を優先するため、対外的な接触は控える”とのことで……」
静養。
その言葉に、アルフォンスは唇を噛んだ。
――守られている。
それも、徹底的に。
*
「……最近、街が騒がしいですね」
庭園で、私がそう言うと。
「そう?」
セラフィーナ義姉様は、何事もないようにお茶を口にした。
「春は、よく噂が芽吹くものですから」
にこり、と優雅な微笑み。
その裏に、何があるのか――
私は、まだ知らない。
「外出は……控えた方がいいでしょうか」
「いいえ」
即答だった。
「堂々としていなさい」
そして、静かに続ける。
「あなたは、何も悪いことをしていない」
その一言が、胸に染みる。
「それに……」
義姉様は、遠くを見る。
「今、あなたに近づく人間は――本心で、あなたを知りたい者だけ」
選別は、もう始まっている。
私が気づかないうちに。
*
王太子は、まだ理解していなかった。
自分が“何を失ったのか”を。
そして――
何もしていない少女が、すでに王都の中心で、“触れてはいけない存在”になりつつあることを。
噂は、やがて確信へ変わる。
――エルヴェイン家に逆らうな。
――そして、その中心にいる“彼女”を敵に回すな。
私は、まだ知らない。
この静けさが、嵐の前触れだということを。
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