『人間嫌いの狐王に、契約妻として嫁いだら溺愛が止まりません』

由香

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第8話 選ぶ夜、逃げ場はない

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 夜は、思ったよりも早く訪れた。

 城の灯がひとつ、またひとつと落とされていく中、紗夜は自室で膝を抱えていた。
 昼間の出来事が、何度も脳裏を巡る。

 ――番だ。

 あの言葉。
 迷いなく、逃げ場を塞ぐように告げられた声。

 (……考える時間をくれると言ったのに)

 胸の奥が、ひどく騒がしい。

 去る覚悟は、してきた。
 それでも、彼の隣にいる自分を想像してしまう。

 そのとき。

 空気が、変わった。

 ――熱い。

 理由もなく、肌が火照る。
 甘い香が、どこからともなく漂ってくる。

「……なに……?」

 立ち上がろうとして、足元がふらついた。

 その瞬間、扉が開く。

「……来るな!」

 叫ぶより早く、強い腕に抱き止められた。

「……動くな」

 低く掠れた声。
 狐王だった。

 いつもと違う。
 息が荒く、金色の瞳が、はっきりと揺れている。

「王……?」

「……近づくなと言ったはずだ」

 言葉とは裏腹に、抱く腕は緩まない。

「俺の……発情期だ」

 その言葉に、紗夜は息を呑んだ。

「本来なら、人の気配など遮断する。……だが」

 狐王は、深く息を吸う。

「おまえの匂いが、強すぎる」

 尾が、はっきりと紗夜を囲い込む。
 逃げ道は、完全に塞がれた。

「……怖いか」

「……少し」

 正直に答えると、狐王は僅かに眉を寄せた。

「だが、触れない」

 断言だった。

「選ぶ前に、奪う気はない」

 それが、彼なりの誠実さだと、紗夜は理解してしまう。

「……王は、ずるいです」

「知っている」

 短く返され、思わず笑ってしまいそうになった。

 狐王は、紗夜を寝台に座らせ、自らはその前に膝をつく。
 視線が、自然と絡む。

「今夜が、期限だ」

「……はい」

「去るなら、止める」

「……」

「残るなら」

 狐王は、一瞬言葉を切った。

「全てを捧げる」

 それは、王の言葉ではなかった。
 一匹の狐の、切実な宣言。

 胸が、苦しいほど鳴る。

「……私は、人間です」

 紗夜は、震える声で言った。

「寿命も、力も、何もかも違う」

「知っている」

「それでも……?」

「それでもだ」

 即答だった。

「短いなら、なおさら離せない」

 その瞳に、迷いはなかった。

 ――ここまで、想われて。

 それでも去るのは、逃げではないのか。

「……選びます」

 紗夜は、深く息を吸う。

「私は……ここに、残ります」

 その瞬間。

 狐王の理性が、はっきりと揺れた。

「……言ったな」

 立ち上がり、ゆっくりと距離を詰める。

「今の言葉、取り消しはきかない」

「……はい」

 額が、触れる。
 吐息が、混じるほど近く。

 それでも、唇は触れない。

「……番だ」

 囁きが、胸に落ちる。

 狐王の尾が、優しく、しかし確実に絡む。

「今夜は、これ以上はしない」

「え……?」

「約束だ」

 苦しげに笑う。

「……次は、逃げられない」

 その言葉に、紗夜の心臓が跳ねた。

 抱き寄せられ、胸に顔を埋められる。
 鼓動が、重なる。

「……眠れ」

 低い声が、子守歌のように響く。

「朝になれば、もう迷わせない」

 その夜。

 紗夜は、狐王の腕の中で眠った。

 触れられないまま。
 それでも、確かに抱かれて。

 ――選んだのは、自分だ。

 そう、何度も胸の中で繰り返しながら。

 夜明けは、もうすぐだった。




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