愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香

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第8話 公に示されるもの

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 朝の光が、公爵邸の庭をやわらかく照らしていた。

 窓辺に立ちながら、私は深く息を吸う。
 胸の奥に、かすかな緊張が残っていた。

「大丈夫だ」

 背後から、落ち着いた声がする。

 振り返ると、セドリック様が立っていた。
 今日の彼は、いつにも増して公爵らしい装いだ。

「……皆の前で、正式に発表されるのですよね」

「ああ」

 短く答え、彼は私の前に来る。

「だが、君が何かを証明する必要はない」

 そう言って、私の手を取った。

「今日示されるのは、私の意思だ」

 ――あなたの。

 その言葉が、胸に静かに落ちる。

 午前中に開かれるのは、公爵家主催の小規模な集まり。
 けれど、招かれているのは影響力のある貴族ばかりだ。

 社交界は、こうして“確認”を好む。

「……少し、不思議です」

 歩きながら、私は呟いた。

「結婚は政略だと、ずっと思っていました」

「多くは、そうだ」

 セドリック様は否定しない。

「だが、だからといって感情を無視する理由にはならない」

 広間に足を踏み入れた瞬間、
 視線が一斉にこちらへ向けられた。

 さざめき。
 好奇心。
 そして、探るような沈黙。

 その中心で、セドリック様は一歩前に出る。

「本日はお集まりいただき、感謝する」

 低く、よく通る声。

「皆に紹介したい人物がいる」

 そう言って、私の手を引き寄せる。

「――私の婚約者、リュシエンヌ・アルヴェールだ」

 一瞬、音が消えた。

 次の瞬間、抑えきれないざわめきが広がる。

「……やはり」

「正式に、か」

「公爵がここまで明言するとは……」

 私は、背筋を伸ばした。

 怖さは、不思議とない。
 あるのは、彼の隣に立っているという実感だけだ。

「彼女について、余計な憶測は不要だ」

 セドリック様は続ける。

「私が選び、守る存在である。それ以上でも、それ以下でもない」

 その言葉に、空気がはっきりと変わった。

 ――理解したのだ。

 この婚約は、揺るがないと。

 集まりの後、私は次々に挨拶を受けた。

「おめでとうございます」

「素敵なご縁ですわ」

「……お幸せに」

 そこには、以前のような値踏みの視線はない。
 完全に、“公爵の婚約者”として扱われている。

「……疲れていないか」

 ひと段落した頃、セドリック様が耳元で囁く。

「少しだけ」

「では、抜けよう」

 誰にも異を唱えさせない口調だった。

 回廊を歩きながら、私は小さく息を吐く。

「……もう、後戻りできませんね」

「する気もないだろう」

 彼は、私を見下ろして微笑んだ。

「それに」

 足を止め、真剣な表情になる。

「後戻りする選択肢は、最初から与えていない」

 その言葉に、胸が跳ねる。

「……独占欲、強いですね」

「今さら気づいたのか」

 珍しく、少しだけ口角を上げる。

「君が傷つく可能性を、私は許容しない」

 その断言に、
 胸の奥が、じんわりと熱くなる。

 部屋に戻ると、彼は扉を閉めた。

 外界の音が、すっと遠のく。

「……改めて聞こう」

 彼は、私の前に立つ。

「今日のことで、後悔はないか」

 私は、首を横に振った。

「ありません」

 はっきりと答える。

「初めて、自分で選んだ未来ですから」

 その言葉を聞いた瞬間、
 彼の表情が、わずかに緩んだ。

「ならば、もう一つ」

 低く、穏やかな声。

「これから先、何があっても」

 私の手を、両手で包み込む。

「私は、君の盾になる」

「……はい」

「そして」

 視線が、真っ直ぐに重なる。

「君は、私の帰る場所だ」

 その言葉に、
 喉が詰まり、声が出なかった。

 ただ、ゆっくりと頷く。

 彼は、額に軽く口づけた。
 誓いのような、静かな触れ方で。

「――これで、終わりではない」

 囁く。

「始まりだ」

 窓の外では、
 新しい季節の風が、庭を渡っていた。

 私はもう、迷わない。

 公に選ばれ、公に守られる未来へ。

 その一歩を、確かに踏み出していた。




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