愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香

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第7話 取り返しのつかない差


 ギルベルト・アルヴェール伯爵は、理解できずにいた。

 ――なぜ、こうなった。

 執務室の机に並ぶのは、断りの書簡ばかり。
 融資の拒否。
 契約更新の見送り。
 舞踏会への招待状は、ついに一通も届かなくなった。

「……馬鹿な」

 拳を握りしめる。

 伯爵家は、名門だ。
 多少の不調があっても、ここまで露骨に切り捨てられるはずがない。

「伯爵様」

 執事が、重い声で告げる。

「本日、最後の取引先からも返答がありました」

 ギルベルトは、嫌な予感を覚えながら顔を上げた。

「……ヴァレンシュタイン公爵家が、全面的に支援を引き上げたそうです」

「――なに?」

 血の気が、引いた。

 公爵家は直接の後ろ盾ではなかった。
 だが、影響力は別格だ。

 公爵が距離を置いたと分かった瞬間、
 周囲は一斉に“安全策”を取ったのだ。

「……あの男の差し金か」

 歯ぎしりする。

 頭に浮かぶのは、舞踏会で見た光景。
 セドリック・ヴァレンシュタインの腕に、自然に収まるリュシエンヌの姿。

 守られる女。
 選ばれた女。

「……ふざけるな」

 彼女は、自分の妻だった。
 だから、戻るはずだった。

 少し反省を見せれば。
 少し優しくすれば。

 ――その甘い考えが、今になって喉を締めつける。

「伯爵様……」

 執事が、躊躇いがちに言う。

「屋敷の維持費ですが、このままでは……」

「分かっている!」

 声を荒げてから、はっとする。

 かつてなら、この状況を冷静に整理し、最善策を提示したのは――

「……リュシエンヌ」

 名前を口にした瞬間、
 胸の奥が、鈍く痛んだ。

 彼女は、屋敷を回していた。
 帳簿を管理し、使用人を統率し、
 社交界では人脈を築いていた。

 自分は、何をしていた?

 “癒し”を求めて、
 目の前の心地よさに逃げただけだ。

「伯爵様!」

 今度は、慌てた声。

 扉が開き、マルグリットが飛び込んでくる。

「聞いてないわ! 支払いが止まってるって……私の実家からも、援助はできないって……」

 その姿を見て、
 ギルベルトは初めて、はっきりと悟った。

 ――この女は、何も持っていない。

 癒しでも、助けでもない。
 ただ、不安を増やす存在だ。

「……少し、静かにしてくれ」

「なによ、それ!」

 マルグリットの声が甲高くなる。

「私は、伯爵夫人になるはずだったのよ!?」

「……その話は、もう終わりだ」

 冷たく言い放つと、彼女は言葉を失った。

「君は、帰るといい」

「な……」

「これ以上、君を守る余裕はない」

 その瞬間、マルグリットの顔に浮かんだのは、愛ではなく――恐怖だった。

「……ひどい」

 そう呟いて、彼女は走り去った。

 残された執務室で、
 ギルベルトは椅子に崩れ落ちる。

 ――すべてを、間違えた。

 その数日後。

 正式な通達が届いた。

 伯爵位の一部権限停止。
 領地経営の監査。

 理由は明白だった。
 財政管理の不備。
 信頼失墜。

「……終わった」

 紙を握り潰しながら、彼は小さく呟いた。

 その頃。

 ヴァレンシュタイン公爵邸では、穏やかな朝が流れていた。

「……新聞、ですか?」

 私――リュシエンヌは、差し出された紙面に目を落とす。

 そこには、簡潔な記事。

 アルヴェール伯爵家、経営不安。

 名前を見ても、
 胸は、ほとんど動かなかった。

「……もう、遠い人ですね」

 そう言うと、セドリック様は静かに頷いた。

「ああ」

「……私、冷たいでしょうか」

「いいや」

 彼は、私の肩に手を置く。

「君は、前を向いているだけだ」

 それだけで、十分だった。

 窓の外には、穏やかな光。
 未来は、確かにこちら側にある。

 ――失った者と、選び取った者。

 その差は、もう二度と、埋まらない。




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