愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香

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第6話 選ばれる覚悟


 公爵邸に戻ると、夜はすでに深かった。

 馬車を降りた瞬間、冷たい空気が頬に触れる。
 それなのに、胸の内は不思議と温かかった。

「疲れただろう」

 セドリック様が、外套を私の肩にかける。

「いえ……少し、現実味がなくて」

 正直な気持ちだった。

 舞踏会での出来事。
 婚約者という言葉。
 社交界の視線。

 どれもが、私の人生を一気に塗り替えたはずなのに、
 心は不思議なほど静かだった。

 ――怖くない。

 それが、何よりの変化だった。

「少し、話をしよう」

 セドリック様はそう言って、私を書斎へ案内した。

 柔らかな灯り。
 壁一面の書棚。
 ここもまた、落ち着く場所だった。

「今日の件だが」

 彼は向かいに座り、まっすぐ私を見る。

「君に、無理をさせたつもりはない」

「分かっています」

 私は首を振った。

「……むしろ、救われました」

 婚約者だと告げられた瞬間。
 私は、逃げたいとは思わなかった。

 それが、答えなのだと思う。

「ただ」

 私は言葉を選ぶ。

「一つ、確認させてください」

「何だ」

「私を選んだ理由が……」

 一瞬、喉が詰まる。

「同情や、過去への後悔ではないと」

 セドリック様は、少しだけ目を細めた。

「君は、私を買い被りすぎだ」

 低く、静かな声。

「そんな曖昧な感情で、人生を差し出すほど、私は軽くない」

 彼は立ち上がり、私の前に来る。

「私は、君を欲しいと思った」

 はっきりと。

「昔から、そして今も」

 心臓が、強く脈打つ。

「だが、君の人生を壊してまで手に入れるつもりはなかった」

 彼は続ける。

「だから待った。身を引いた」

 指先が、私の顎にそっと触れる。
 視線が、逃げ場を失うほど近い。

「今は違う」

 囁くように言う。

「君は、自分で選んだ。私は、それを受け取っただけだ」

 胸の奥が、熱くなる。

「……逃げ道は、ありますか」

 気づけば、そんなことを聞いていた。

 彼は一瞬、驚いたように目を瞬かせ、
 それから、静かに首を横に振った。

「ない」

 きっぱりと。

「だが、閉じ込めるつもりもない」

 彼の手が、私の手を包む。

「選び続けてほしい」

 低く、真剣な声。

「私を」

 その言葉に、全てが腑に落ちた。

 ――ああ。この人は、私を縛らない。

 だからこそ、逃げ場がないのだ。

「……はい」

 私は、小さく頷いた。

「選びます」

 セドリック様の瞳が、わずかに揺れた。

「では」

 彼は、深く息を吸う。

「改めて言おう」

 私の手を取り、額に触れるほど近づいて。

「リュシエンヌ」

 低く、確かな声。

「私の婚約者になってほしい」

 答えは、もう決まっていた。

「――はい」

 その瞬間、彼は私を強く抱きしめた。

 けれど、激しくはない。
 壊れ物を扱うような、慎重な腕。

「……ありがとう」

 耳元で、そう呟く。

 胸に額を預けると、
 彼の心音が、はっきりと聞こえた。

 規則正しく、落ち着いた鼓動。

 ――この人の隣なら。

 そう思った時、
 彼は、そっと私を離した。

「今夜は、ここまでだ」

 名残惜しそうに、しかし理性的に言う。

「君が疲れているのも分かっている」

 少しだけ、残念に思っている自分に気づいて、私は驚いた。

「……おやすみなさい」

「おやすみ」

 部屋へ戻り、ベッドに横になる。

 外套の代わりに、
 彼の気配が、まだ身体に残っている気がした。

 伯爵夫人だった頃。
 私は、役割として抱かれていた。

 でも今は違う。

 選ばれ、選び返した先にある夜。

 その予感に、胸が静かに高鳴る。

 ――明日からは、もう。

 私は、一人ではない。




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