愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香

文字の大きさ
6 / 11

第6話 選ばれる覚悟

しおりを挟む

 公爵邸に戻ると、夜はすでに深かった。

 馬車を降りた瞬間、冷たい空気が頬に触れる。
 それなのに、胸の内は不思議と温かかった。

「疲れただろう」

 セドリック様が、外套を私の肩にかける。

「いえ……少し、現実味がなくて」

 正直な気持ちだった。

 舞踏会での出来事。
 婚約者という言葉。
 社交界の視線。

 どれもが、私の人生を一気に塗り替えたはずなのに、
 心は不思議なほど静かだった。

 ――怖くない。

 それが、何よりの変化だった。

「少し、話をしよう」

 セドリック様はそう言って、私を書斎へ案内した。

 柔らかな灯り。
 壁一面の書棚。
 ここもまた、落ち着く場所だった。

「今日の件だが」

 彼は向かいに座り、まっすぐ私を見る。

「君に、無理をさせたつもりはない」

「分かっています」

 私は首を振った。

「……むしろ、救われました」

 婚約者だと告げられた瞬間。
 私は、逃げたいとは思わなかった。

 それが、答えなのだと思う。

「ただ」

 私は言葉を選ぶ。

「一つ、確認させてください」

「何だ」

「私を選んだ理由が……」

 一瞬、喉が詰まる。

「同情や、過去への後悔ではないと」

 セドリック様は、少しだけ目を細めた。

「君は、私を買い被りすぎだ」

 低く、静かな声。

「そんな曖昧な感情で、人生を差し出すほど、私は軽くない」

 彼は立ち上がり、私の前に来る。

「私は、君を欲しいと思った」

 はっきりと。

「昔から、そして今も」

 心臓が、強く脈打つ。

「だが、君の人生を壊してまで手に入れるつもりはなかった」

 彼は続ける。

「だから待った。身を引いた」

 指先が、私の顎にそっと触れる。
 視線が、逃げ場を失うほど近い。

「今は違う」

 囁くように言う。

「君は、自分で選んだ。私は、それを受け取っただけだ」

 胸の奥が、熱くなる。

「……逃げ道は、ありますか」

 気づけば、そんなことを聞いていた。

 彼は一瞬、驚いたように目を瞬かせ、
 それから、静かに首を横に振った。

「ない」

 きっぱりと。

「だが、閉じ込めるつもりもない」

 彼の手が、私の手を包む。

「選び続けてほしい」

 低く、真剣な声。

「私を」

 その言葉に、全てが腑に落ちた。

 ――ああ。この人は、私を縛らない。

 だからこそ、逃げ場がないのだ。

「……はい」

 私は、小さく頷いた。

「選びます」

 セドリック様の瞳が、わずかに揺れた。

「では」

 彼は、深く息を吸う。

「改めて言おう」

 私の手を取り、額に触れるほど近づいて。

「リュシエンヌ」

 低く、確かな声。

「私の婚約者になってほしい」

 答えは、もう決まっていた。

「――はい」

 その瞬間、彼は私を強く抱きしめた。

 けれど、激しくはない。
 壊れ物を扱うような、慎重な腕。

「……ありがとう」

 耳元で、そう呟く。

 胸に額を預けると、
 彼の心音が、はっきりと聞こえた。

 規則正しく、落ち着いた鼓動。

 ――この人の隣なら。

 そう思った時、
 彼は、そっと私を離した。

「今夜は、ここまでだ」

 名残惜しそうに、しかし理性的に言う。

「君が疲れているのも分かっている」

 少しだけ、残念に思っている自分に気づいて、私は驚いた。

「……おやすみなさい」

「おやすみ」

 部屋へ戻り、ベッドに横になる。

 外套の代わりに、
 彼の気配が、まだ身体に残っている気がした。

 伯爵夫人だった頃。
 私は、役割として抱かれていた。

 でも今は違う。

 選ばれ、選び返した先にある夜。

 その予感に、胸が静かに高鳴る。

 ――明日からは、もう。

 私は、一人ではない。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

第一王子様が選んだのは、妹ではなく私でした!

睡蓮
恋愛
姉妹であるクレアとミリア、しかしその仲は決していいと言えるものではなかった。妹のミリアはずる賢く、姉のクレアの事を悪者に仕立て上げて自分を可愛く見せる事に必死になっており、二人の両親もまたそんなミリアに味方をし、クレアの事を冷遇していた。そんなある日の事、二人のもとにエバー第一王子からの招待状が届けられる。これは自分に対する好意に違いないと確信したミリアは有頂天になり、それまで以上にクレアの事を攻撃し始める。…しかし、エバー第一王子がその心に決めていたのはミリアではなく、クレアなのだった…!

『婚約破棄された公爵令嬢は、王と交わらない道を選ぶ』

ふわふわ
恋愛
婚約者である王太子アルベルトから、一方的に婚約破棄を告げられた公爵令嬢エレノア。 だが彼女は、涙も復讐も選ばなかった。 「婚約は、役目でしたもの。終わったのなら、それで結構ですわ」 王宮を去ったエレノアは、領地に戻り、 干渉しない・依存しない・無理をしない ただそれだけを軸に、静かに領地運営を始める。 一方、王となったアルベルトもまた、 彼女に頼らないことを選び、 「一人の判断に依存しない国」を作るための統治に身を投じていた。 復縁もしない。 恋にすがらない。 それでも、二人の選択は確かに国を安定へと導いていく。 これは、 交わらないことを選んだ二人が、 それぞれの場所で“続けられる世界”を完成させる物語。 派手なざまぁも、甘い溺愛もない。 けれど、静かに積み重なる判断と選択が、 やがて「誰にも壊せない秩序」へと変わっていく――。 婚約破棄から始まる、 大人のための静かなざまぁ恋愛ファンタジー

「これは私ですが、そちらは私ではありません」

イチイ アキラ
恋愛
試験結果が貼り出された朝。 その掲示を見に来ていたマリアは、王子のハロルドに指をつきつけられ、告げられた。 「婚約破棄だ!」 と。 その理由は、マリアが試験に不正をしているからだという。 マリアの返事は…。 前世がある意味とんでもないひとりの女性のお話。

白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。 「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」 そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。 ——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。 「最近、おまえが気になるんだ」 「もっと夫婦としての時間を持たないか?」 今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。 愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。 わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。 政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ “白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!

平手打ちされたので、婚約破棄宣言に拳でお答えしました

Megumi
恋愛
婚約破棄を告げられ、婚約者に平手打ちされた——その瞬間。 伯爵令嬢イヴの拳が炸裂した。 理不尽に耐える淑女の時代は、もう終わり。 これは“我慢しない令嬢”が、これまでの常識を覆す話。

婚約破棄ありがとう!と笑ったら、元婚約者が泣きながら復縁を迫ってきました

ほーみ
恋愛
「――婚約を破棄する!」  大広間に響いたその宣告は、きっと誰もが予想していたことだったのだろう。  けれど、当事者である私――エリス・ローレンツの胸の内には、不思議なほどの安堵しかなかった。  王太子殿下であるレオンハルト様に、婚約を破棄される。  婚約者として彼に尽くした八年間の努力は、彼のたった一言で終わった。  だが、私の唇からこぼれたのは悲鳴でも涙でもなく――。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

「無理をするな」と言うだけで何もしなかったあなたへ。今の私は、大公家の公子に大切にされています

葵 すみれ
恋愛
「無理をするな」と言いながら、仕事も責任も全部私に押しつけてきた婚約者。 倒れた私にかけたのは、労りではなく「失望した」の一言でした。 実家からも見限られ、すべてを失った私を拾い上げてくれたのは、黙って手を差し伸べてくれた、黒髪の騎士── 実は、大公家の第三公子でした。 もう言葉だけの優しさはいりません。 私は今、本当に無理をしなくていい場所で、大切にされています。 ※他サイトにも掲載しています

処理中です...