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第9話 選ばれた未来
しおりを挟む鐘の音が、澄んだ空に響き渡った。
白い石造りの大聖堂。
その扉の前で、私は静かに息を整える。
「緊張している?」
隣に立つセドリック様が、低く問いかけた。
「少しだけ」
正直に答えると、彼は小さく頷く。
「それでいい」
そう言って、私の手を包む。
「緊張は、逃げたい気持ちではない。大切にしたい証だ」
その言葉に、胸の奥がほどけていく。
――大切にしたい。
かつての私は、
誰かにとっての「便利な存在」でしかなかった。
尽くし、支え、黙って隣に立つ。
それが妻だと、疑いもしなかった。
でも今は違う。
扉が、ゆっくりと開かれる。
差し込む光の中、
参列者たちの視線が集まった。
ざわめきはない。
あるのは、祝福の静けさだけだ。
一歩、また一歩。
長い通路の先で、
セドリック様が私を見つめている。
その眼差しは、揺るがない。
――この人は、私を疑わない。
その事実が、何よりの支えだった。
祭壇の前に立つ。
司祭の声が、厳かに響く。
「互いを、生涯の伴侶として受け入れますか」
「はい」
彼の声は、迷いがなかった。
「はい」
私も、はっきりと答える。
指輪が、そっと指に嵌められる。
冷たいはずの金属が、
不思議と温かく感じられた。
「誓いの口づけを」
セドリック様は、私の顎にそっと手を添える。
ゆっくりと距離が縮まり、
唇が、静かに触れた。
歓声は上がらない。
代わりに、深い感動の息遣いが満ちる。
――これで、終わりではない。
彼の言葉が、脳裏に蘇る。
そう。
これは、始まりだ。
*
式の後、控え室で一息ついたとき。
侍女が、ためらいがちに告げた。
「……奥様。奥様にお会いになりたいという方が」
名を聞くまでもなかった。
「お通しください」
扉が開き、そこに立っていたのは、元夫――ギルベルトだった。
かつての華やかさはない。
服装は整っているが、どこか疲れ切った顔をしている。
「……おめでとう」
絞り出すような声だった。
「ありがとうございます」
私は、穏やかに答える。
沈黙。
彼は、視線を落としたまま言った。
「……君が、こんなふうに笑うとは思わなかった」
私は、少し驚いた。
自分が笑っていることに、気づいていなかったからだ。
「私は、ずっと同じでした」
静かに告げる。
「変わったのは、環境です」
彼の肩が、わずかに震えた。
「……俺は、間違っていた」
「そうですね」
否定もしない。
「でも」
私は続ける。
「後悔は、あなたが抱えるものです。私のものではありません」
はっきりと、線を引く。
彼は、何も言えなかった。
そのとき、扉が再び開く。
「――私の妻に、何か用でも?」
セドリック様だった。
その一言で、空気が決定的に変わる。
ギルベルトは、顔を上げ、深く頭を下げた。
「……失礼しました」
彼は、それ以上何も言わずに去っていった。
その背中を、私は見送らなかった。
「……会わせてしまって、すまない」
セドリック様が言う。
「いいえ」
首を振る。
「終わらせるために、必要でした」
彼は、私を見つめ、ゆっくりと微笑んだ。
「強くなったな」
「最初からです」
少しだけ、冗談めかして言う。
「気づいてもらえなかっただけで」
彼は、低く笑った。
「それは、私の落ち度だ」
そして、真剣な声になる。
「だが、もう二度と見落とさない」
夜。
祝宴が終わり、
私たちは、公爵邸の寝室にいた。
窓の外には、星が瞬いている。
「……不思議です」
ベッドの縁に座りながら、私は呟いた。
「こんなにも、安心している」
セドリック様は、私の隣に腰を下ろす。
「安心は、信頼から生まれる」
そう言って、私の手を取る。
「私は、君を信じている」
胸が、いっぱいになる。
「……私もです」
彼は、私の額にそっと口づけた。
「ようやく、迎えに来られた」
囁く。
「長い遠回りだった」
私は、彼の胸に額を預ける。
「でも」
小さく笑う。
「だからこそ、今があります」
彼の腕が、私を包み込む。
強くも、優しくもある抱擁。
「――これからは、共に歩こう」
「はい」
迷いはない。
誰かに選ばれる人生ではなく、
互いに選び合う人生を。
私は、この人と共に生きていく。
それが、私の――
選ばれた未来だ。
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