4 / 5
第四章 人を喰うのは誰か
しおりを挟む
凌玄が後宮に入ったのは、信じるものを持たぬためだった。
信じれば、足をすくわれる。
期待すれば、裏切られる。
情をかければ、死ぬ。
それが、この場所の理だった。
だから彼は、感情を切り捨てた。
怪異を否定し、人の罪のみを追った。
――それが、最も合理的で、安全な生き方だと。
だが。
鈴華と関わるようになってから、その理が、音を立てて崩れ始めていた。
「……この帳簿は、どこから?」
凌玄は、書庫の奥で問いかけた。
夜更けの文書庫。
灯りは最小限。
ここにいるのは、鈴華と彼だけだ。
「母の名があった記録です」
鈴華は、静かに答える。
彼女の前に並ぶのは、後宮の事故死・失踪・怪異記録。
共通点があった。
――いずれも、“見えてはならぬものを見た者”だ。
「これは……偶然ではない」
凌玄は、認めざるを得なかった。
「後宮には、“見えすぎる女”を排除する仕組みがある」
「ええ」
鈴華は、頷く。
「そして、それをあやかしの仕業にしてきた」
凌玄は、歯を食いしばった。
「……人が、人を喰っている」
吐き捨てるように言う。
《やっと気づいたか》
白燈の声が、灯籠から滲む。
《だがな、人はいつも“怪物”を外に作りたがる》
《自分の手が汚れていると、認められぬからだ》
凌玄は、灯籠を睨んだ。
「ならば、お前たちは何だ」
《鏡だ》
白燈は、即答する。
《欲と罪を、映すだけの存在》
《喰っているのは、我らではない》
そのとき、遠くで鐘の音が鳴った。
――異変。
凌玄は、即座に剣に手をかける。
「来い」
鈴華を庇うように前に出る。
二人が向かった先は、翠苑と呼ばれる離宮だった。
人気のない、忘れられた場所。
そこで、女官が一人、座り込んでいた。
「……助けて」
女官の目は虚ろで、唇が、何かを呟いている。
「鏡が……あの方が、呼んで……」
鈴華の胸が、ざわついた。
「慧妃様の……?」
女官は、頷いた。
「生きているって……迎えに来るって……」
凌玄は、女官の肩を掴む。
「誰が、そう言った」
女官は、怯えたように首を振る。
「……誰も」
その瞬間、背後の空気が歪んだ。
《来るぞ》
白燈の声と同時に、闇が、形を持つ。
――女の姿。
だが、顔がない。
「……あやかし?」
凌玄が、低く呟く。
《否》
白燈の声は、断定的だった。
《これは、“寄せ集め”だ》
《切り捨てられた感情が、形を得ただけ》
女の形をしたそれは、叫び声のような沈黙を放つ。
触れれば、心を喰われる。
恐怖と後悔を、際限なく。
「下がれ!」
凌玄が剣を抜く。
だが、刃はすり抜けた。
《人が生んだものは、人の理では斬れぬ》
鈴華は、一歩、前に出た。
「……あなたは」
声は、震えていたが、逃げなかった。
「誰かに、名前を呼んでほしかっただけ」
女の影が、揺れる。
「……帰りたかっただけ」
鈴華は、そっと続けた。
「生きていた証を、誰かに、見てほしかった」
沈黙。
やがて、影は崩れ、霧のように消えた。
残ったのは、静まり返った夜と、泣き崩れる女官。
「……なぜ、消えた」
凌玄の声は、低かった。
《喰われる前に、理解されたからだ》
白燈が言う。
《人は、理解されぬとき、怪物になる》
凌玄は、剣を収めた。
震える指先を、誰にも見せないように。
「……俺は、間違っていた」
小さく、だが確かに言った。
鈴華は、何も言わなかった。
ただ、その隣に立つ。
《人を喰うのは、誰か》
白燈が、静かに問いを置く。
《あやかしか。人か》
答えは、もう、二人の胸にあった。
後宮に棲む怪物は、
いつも――
人の形をしている。
⸻
第四章・了
⸻
信じれば、足をすくわれる。
期待すれば、裏切られる。
情をかければ、死ぬ。
それが、この場所の理だった。
だから彼は、感情を切り捨てた。
怪異を否定し、人の罪のみを追った。
――それが、最も合理的で、安全な生き方だと。
だが。
鈴華と関わるようになってから、その理が、音を立てて崩れ始めていた。
「……この帳簿は、どこから?」
凌玄は、書庫の奥で問いかけた。
夜更けの文書庫。
灯りは最小限。
ここにいるのは、鈴華と彼だけだ。
「母の名があった記録です」
鈴華は、静かに答える。
彼女の前に並ぶのは、後宮の事故死・失踪・怪異記録。
共通点があった。
――いずれも、“見えてはならぬものを見た者”だ。
「これは……偶然ではない」
凌玄は、認めざるを得なかった。
「後宮には、“見えすぎる女”を排除する仕組みがある」
「ええ」
鈴華は、頷く。
「そして、それをあやかしの仕業にしてきた」
凌玄は、歯を食いしばった。
「……人が、人を喰っている」
吐き捨てるように言う。
《やっと気づいたか》
白燈の声が、灯籠から滲む。
《だがな、人はいつも“怪物”を外に作りたがる》
《自分の手が汚れていると、認められぬからだ》
凌玄は、灯籠を睨んだ。
「ならば、お前たちは何だ」
《鏡だ》
白燈は、即答する。
《欲と罪を、映すだけの存在》
《喰っているのは、我らではない》
そのとき、遠くで鐘の音が鳴った。
――異変。
凌玄は、即座に剣に手をかける。
「来い」
鈴華を庇うように前に出る。
二人が向かった先は、翠苑と呼ばれる離宮だった。
人気のない、忘れられた場所。
そこで、女官が一人、座り込んでいた。
「……助けて」
女官の目は虚ろで、唇が、何かを呟いている。
「鏡が……あの方が、呼んで……」
鈴華の胸が、ざわついた。
「慧妃様の……?」
女官は、頷いた。
「生きているって……迎えに来るって……」
凌玄は、女官の肩を掴む。
「誰が、そう言った」
女官は、怯えたように首を振る。
「……誰も」
その瞬間、背後の空気が歪んだ。
《来るぞ》
白燈の声と同時に、闇が、形を持つ。
――女の姿。
だが、顔がない。
「……あやかし?」
凌玄が、低く呟く。
《否》
白燈の声は、断定的だった。
《これは、“寄せ集め”だ》
《切り捨てられた感情が、形を得ただけ》
女の形をしたそれは、叫び声のような沈黙を放つ。
触れれば、心を喰われる。
恐怖と後悔を、際限なく。
「下がれ!」
凌玄が剣を抜く。
だが、刃はすり抜けた。
《人が生んだものは、人の理では斬れぬ》
鈴華は、一歩、前に出た。
「……あなたは」
声は、震えていたが、逃げなかった。
「誰かに、名前を呼んでほしかっただけ」
女の影が、揺れる。
「……帰りたかっただけ」
鈴華は、そっと続けた。
「生きていた証を、誰かに、見てほしかった」
沈黙。
やがて、影は崩れ、霧のように消えた。
残ったのは、静まり返った夜と、泣き崩れる女官。
「……なぜ、消えた」
凌玄の声は、低かった。
《喰われる前に、理解されたからだ》
白燈が言う。
《人は、理解されぬとき、怪物になる》
凌玄は、剣を収めた。
震える指先を、誰にも見せないように。
「……俺は、間違っていた」
小さく、だが確かに言った。
鈴華は、何も言わなかった。
ただ、その隣に立つ。
《人を喰うのは、誰か》
白燈が、静かに問いを置く。
《あやかしか。人か》
答えは、もう、二人の胸にあった。
後宮に棲む怪物は、
いつも――
人の形をしている。
⸻
第四章・了
⸻
10
あなたにおすすめの小説
『雪嶺後宮と、狼王の花嫁』
由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。
巫女として献上された少女セツナは、
封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。
人と妖、政と信仰の狭間で、
彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。
雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【短編】ちゃんと好きになる前に、終わっただけ
月下花音
恋愛
曖昧な関係を続けていたユウトとの恋は、彼のインスタ投稿によって一方的に終わりを告げた。
泣くのも違う。怒るのも違う。
ただ静かに消えよう。
そう決意してトーク履歴を消そうとした瞬間、指が滑った。
画面に表示されたのは、間の抜けたクマのスタンプ。
相手に気付かれた? 見られた?
「未練ある」って思われる!?
恐怖でブロックボタンを連打した夜。
カモメのフンより、失恋より、最後の誤爆が一番のトラウマになった女子大生の叫び。
後宮の幻華 -死にかけ皇帝と胡乱な数日間ー
丹羽 史京賀
キャラ文芸
瞬 青波は大昔に滅んだ王族の末裔で、特殊な術を受け継いでいた。
その術を使い、幼馴染みで今は皇帝となった春霞の様子を見守っていたが、突然、彼に対して術が使えなくなってしまう。
春霞が心配で、後宮で働き始める青波。
皇帝が死にかけているという話を聞くが、相変わらず術は使えないまま……。
焦る青波の前に現れたのは、幽体となった春霞だった!?
こじらせ皇帝×ツンデレ術師=恋愛コメディ
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
『後宮薬師は名を持たない』
由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。
帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。
救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。
後宮が燃え、名を失ってもなお――
彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。
白苑後宮の薬膳女官
絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。
ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。
薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。
静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる