後宮に棲むは、人か、あやかしか

由香

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第三章 血の香る庭

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 後宮の庭は、昼と夜でまったく違う顔を持つ。

 昼は、整えられた美だけがある。
 剪定された枝、数を計算された花、
 水面に揺れる空の色。

 だが夜になると、庭は記憶を取り戻す。

 鈴華は、夜半の庭園に立っていた。

 香袋を身につけていないにもかかわらず、鼻腔を刺す匂いがある。

 ――血。

 今、流れているものではない。
 洗い流され、埋められ、それでもなお、土に染み残った香りだ。

《ここは、記憶の庭だ》

 白燈の声が、風に紛れて届く。

《多くの女が泣き、多くの罪が、ここに置き去りにされた》

 鈴華の足は、無意識に動いていた。

 庭の奥、古い梅の木の下。
 土の色が、ほかよりも濃い場所。

 ――覚えている。

 幼い頃、母に手を引かれ、この庭を通ったことがある。

 そのとき、母は言った。

『下を見てはいけません』

 理由を問う前に、母は、呼び出された。

 二度と、戻らなかった。

《ここで、お前の母は“罪人”とされた》

 白燈の言葉に、鈴華は目を閉じた。

「……母は、何をしたのですか」

《何も》

 即答だった。

《ただ、“見えて”しまった》

 喉が、ひくりと鳴る。

《妃の懐妊は、偽りだった》

 白燈は、淡々と語る。

《それを見抜いた女官がいた》

《あやかしではない。人の嘘を、だ》

「……それが、母」

《そうだ》

 だから、消された。
 怪異に惑わされた女として。

 鈴華の膝から、力が抜けた。

 そのとき、背後で草を踏む音がした。

「……ここで、何をしている」

 振り返ると、凌玄が立っていた。

 月明かりの下、その顔はいつもより硬い。

「立入禁止だ」

「……承知しています」

 鈴華は、ゆっくりと立ち上がる。

「けれど、ここでなければ分からないことがありました」

 凌玄の視線が、梅の木と濃い土に落ちる。

「この庭は、処刑場ではない」

「ええ」

 鈴華は、頷いた。

「“処理場”です」

 空気が、凍りついた。

「後宮で都合の悪い者を、事故や怪異として消すための場所」

 凌玄の眼差しが、鋭くなる。

「証拠は」

「ありません」

 鈴華は、静かに言った。

「だからこそ、怪異が必要だった」

 沈黙。

 凌玄は、低く息を吐いた。

「……お前の母の件か」

 その一言で、胸が締めつけられる。

「ご存じなのですか」

「記録でな」

 彼は、目を逸らした。

「“怪異に惑わされた女官”として処理されている」

 処理。

 人の命に使われる言葉ではない。

「……信じて、いらっしゃったのですか」

 問いは、震えていた。

 凌玄は、しばらく黙っていたが、やがて、口を開いた。

「信じたかった」

 意外な答えだった。

「だが、信じれば死ぬ」

 短い言葉に、この後宮の現実が詰まっている。

《それでも、真実は消えぬ》

 白燈が、静かに言う。

《血は、土に染み、いずれ香りとなって立ち上る》

 風が吹き、梅の花びらが舞った。

 その隙間に、一瞬――女の影が立つ。

「……母、様」

 影は、何も言わない。

 ただ、鈴華を見つめ、ゆっくりと首を横に振った。

《前を見ろ、と言っている》

 白燈が告げる。

《振り返れば、同じ道を辿る》

 鈴華は、涙を耐え、前を向いた。

「……それでも」

 声は、かすれていた。

「見ます」

「人の嘘も、あやかしの真実も」

 凌玄は、その横顔を見ていた。

「……愚かだ」

 だが、その声音には、
 責める響きはなかった。

「一人で見るな」

 彼は、一歩、前に出る。

「……お前は、脆すぎる」

 それは命令ではなく、事実だった。

《二人なら、辿り着ける》

 白燈が、珍しく断言する。

《この後宮の奥に棲むものへ》

 月が、雲に隠れる。

 血の香りは、消えない。

 だが、鈴華の足取りは、わずかに、強くなっていた。



第三章・了






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