後宮に棲むは、人か、あやかしか

由香

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第四章 人を喰うのは誰か

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 凌玄が後宮に入ったのは、信じるものを持たぬためだった。

 信じれば、足をすくわれる。
 期待すれば、裏切られる。
 情をかければ、死ぬ。

 それが、この場所の理だった。

 だから彼は、感情を切り捨てた。
 怪異を否定し、人の罪のみを追った。
 ――それが、最も合理的で、安全な生き方だと。

 だが。

 鈴華と関わるようになってから、その理が、音を立てて崩れ始めていた。

「……この帳簿は、どこから?」

 凌玄は、書庫の奥で問いかけた。

 夜更けの文書庫。
 灯りは最小限。
 ここにいるのは、鈴華と彼だけだ。

「母の名があった記録です」

 鈴華は、静かに答える。

 彼女の前に並ぶのは、後宮の事故死・失踪・怪異記録。

 共通点があった。

 ――いずれも、“見えてはならぬものを見た者”だ。

「これは……偶然ではない」

 凌玄は、認めざるを得なかった。

「後宮には、“見えすぎる女”を排除する仕組みがある」

「ええ」

 鈴華は、頷く。

「そして、それをあやかしの仕業にしてきた」

 凌玄は、歯を食いしばった。

「……人が、人を喰っている」

 吐き捨てるように言う。

《やっと気づいたか》

 白燈の声が、灯籠から滲む。

《だがな、人はいつも“怪物”を外に作りたがる》

《自分の手が汚れていると、認められぬからだ》

 凌玄は、灯籠を睨んだ。

「ならば、お前たちは何だ」

《鏡だ》

 白燈は、即答する。

《欲と罪を、映すだけの存在》

《喰っているのは、我らではない》

 そのとき、遠くで鐘の音が鳴った。

 ――異変。

 凌玄は、即座に剣に手をかける。

「来い」

 鈴華を庇うように前に出る。

 二人が向かった先は、翠苑と呼ばれる離宮だった。

 人気のない、忘れられた場所。

 そこで、女官が一人、座り込んでいた。

「……助けて」

 女官の目は虚ろで、唇が、何かを呟いている。

「鏡が……あの方が、呼んで……」

 鈴華の胸が、ざわついた。

「慧妃様の……?」

 女官は、頷いた。

「生きているって……迎えに来るって……」

 凌玄は、女官の肩を掴む。

「誰が、そう言った」

 女官は、怯えたように首を振る。

「……誰も」

 その瞬間、背後の空気が歪んだ。

《来るぞ》

 白燈の声と同時に、闇が、形を持つ。

 ――女の姿。

 だが、顔がない。

「……あやかし?」

 凌玄が、低く呟く。

《否》

 白燈の声は、断定的だった。

《これは、“寄せ集め”だ》

《切り捨てられた感情が、形を得ただけ》

 女の形をしたそれは、叫び声のような沈黙を放つ。

 触れれば、心を喰われる。
 恐怖と後悔を、際限なく。

「下がれ!」

 凌玄が剣を抜く。

 だが、刃はすり抜けた。

《人が生んだものは、人の理では斬れぬ》

 鈴華は、一歩、前に出た。

「……あなたは」

 声は、震えていたが、逃げなかった。

「誰かに、名前を呼んでほしかっただけ」

 女の影が、揺れる。

「……帰りたかっただけ」

 鈴華は、そっと続けた。

「生きていた証を、誰かに、見てほしかった」

 沈黙。

 やがて、影は崩れ、霧のように消えた。

 残ったのは、静まり返った夜と、泣き崩れる女官。

「……なぜ、消えた」

 凌玄の声は、低かった。

《喰われる前に、理解されたからだ》

 白燈が言う。

《人は、理解されぬとき、怪物になる》

 凌玄は、剣を収めた。

 震える指先を、誰にも見せないように。

「……俺は、間違っていた」

 小さく、だが確かに言った。

 鈴華は、何も言わなかった。

 ただ、その隣に立つ。

《人を喰うのは、誰か》

 白燈が、静かに問いを置く。

《あやかしか。人か》

 答えは、もう、二人の胸にあった。

 後宮に棲む怪物は、
 いつも――
 人の形をしている。



第四章・了






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