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第4話 遅すぎる溺愛
しおりを挟むそれは、あまりにもわかりやすい変化だった。
エマは、朝の客間で紅茶を口に運びながら、周囲の視線を一身に浴びていることに気づかないわけにはいかなかった。
「……なぜ、皆さん、そんなにこちらを……?」
控えめに尋ねると、侍女のマリアが苦笑しながら囁いた。
「エマ様。昨日の庭園でのご様子が、すでに噂になっております」
「え……?」
「レオン様が、ずっとお側から離れなかった、と」
思わず、紅茶を吹きそうになる。
「そ、そんな……」
確かに、話し合いのあと、レオンは必要以上にエマのそばを離れなかった。歩くときはさりげなく半歩前に立ち、話しかけられそうになると、静かに視線で牽制する。
――まるで、守るように。
だが、それが噂になるほどだったとは。
「……困ります」
そう呟いたエマの耳元で、マリアが小さく笑った。
「困る、というより……驚いていらっしゃるのでは?」
図星だった。
これまで、距離を置かれてきた時間が長すぎた。その反動が、あまりにも大きい。
昼の社交の席。
エマが椅子に座るより先に、レオンが椅子を引いた。
「……ありがとうございます」
「当然だ」
短い返事。けれど、その視線は、確かにエマだけを追っている。
会話の合間も、レオンは自然に彼女の様子を気にかけた。
「寒くないか」
「飲み物は足りているか」
「疲れていないか」
一つ一つは些細な問いかけだが、これまでになかったことばかりだ。
周囲の貴族たちが、明らかにざわついている。
「……あれが、本当に例の『冷淡な侯爵令息』?」
「別人のようだな」
「婚約者限定、というやつか」
ひそひそとした声が聞こえる。
エマは、恥ずかしさと戸惑いで、どうしていいかわからなくなった。
「レオン様……少し、近すぎます」
小声で言うと、彼は即座に言い返した。
「今までが、遠すぎただけだ」
即答だった。
それ以上、何も言えなくなる。
その日の午後、エマは図書室で資料を探していた。
「エマ」
振り返ると、レオンが扉の前に立っていた。
「……どうなさいました?」
「迎えに来た」
「迎えに……?」
「一人で歩かせるわけがないだろう」
当然のように言われ、心臓が跳ねる。
「……私は、子どもではありません」
「知っている」
レオンは、静かに歩み寄る。
「だが、守りたい相手だ」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
差し出された手を、エマは一瞬だけ迷ってから、そっと取る。
指先が触れ合った瞬間、彼の手がわずかに震えたことに気づいた。
「……緊張、しているのですか?」
「している」
即答だった。
「今さらだが……嫌われていないか、常に不安だ」
エマは、思わず微笑んだ。
「……大丈夫です。もう、逃げませんから」
レオンは、ほんの一瞬、安堵したように目を細めた。
夕方、馬車の前で。
「今日は、ありがとう」
エマがそう言うと、彼は首を横に振る。
「礼を言うのは、俺の方だ」
そして、少し間を置いてから、低く続けた。
「……エマ」
「はい」
「今までの分も含めて……これからは、全力で大切にする」
不器用だが、真剣な言葉。
エマは、胸に手を当て、静かに頷いた。
「……お願いします」
その夜、社交界は一つの結論に達した。
――嫌われ令嬢など、どこにもいなかった。
いたのは、遅すぎるほどに溺愛される、ただ一人の婚約者だけだった。
そしてエマは、ようやく理解する。
これまでの静けさは、拒絶ではなく、臆病な愛情の裏返しだったのだと。
溺愛は、始まったばかり。
この先、彼がどこまで過保護になるのか――それは、まだ誰も知らない。
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