3 / 10
第3話 嫌ってなどいない
しおりを挟む翌日、エマは朝から落ち着かなかった。
昨日聞いてしまった言葉が、何度も頭の中を巡る。
――彼女を嫌ったことなど、一度もない。
レオンの低く、少し震えた声。
思い出すたびに胸の奥が熱くなり、同時に不安も湧き上がる。
もし、あれは一時の感情だったら?
もし、誤解だと気づいたから気を遣っているだけだったら?
期待して、また傷つくのが怖かった。
それでも。
逃げるのは、もうやめようと決めた。
「……エマ様?」
侍女のマリアが、支度をしながら心配そうに声をかけてくる。
「少し、緊張されているようですが」
「……ええ。大切な話があるの」
今日は、レオンと話す約束を取り付けていた。
自分から、だ。
手紙を書き、短く「お話したいことがあります」とだけ記した。それだけで、手が震えた。
返事は、すぐに来た。
『承知した。午後、庭園で』
簡潔で、いつも通りの文面。
けれど、その短い言葉の裏に、彼の迷いと覚悟を感じ取ってしまうのは――自意識過剰だろうか。
午後の庭園は、冬を越えたばかりの花々が、控えめに色づき始めていた。
エマは東屋の前で、両手を重ねて待つ。
ほどなくして、足音が聞こえた。
「……待たせてしまったか」
レオンだった。
「い、いえ。今来たところです」
視線が、自然と合う。
昨日よりも、近い距離。
それだけで、心臓がうるさく鳴る。
「……座ろう」
東屋のベンチに並んで腰を下ろす。
沈黙が、落ちる。
気まずい、けれど――逃げない沈黙。
最初に口を開いたのは、エマだった。
「レオン様……昨日のことですが」
言葉が、少し震える。
「私、偶然……お話を、聞いてしまいました」
一瞬、彼の身体が強張った。
「……どこまで」
「……全部、です」
レオンは、目を伏せた。
しばらく、何も言わない。
エマは、深く息を吸い、続ける。
「謝らせてください。私……ずっと、レオン様に嫌われていると思っていました」
「……」
「だから、距離を取ってしまって。話しかけるのも、怖くて……」
言葉にするほど、自分の臆病さが浮き彫りになる。
「ごめんなさい」
小さく頭を下げた、その瞬間――
「謝るのは、俺の方だ」
レオンの声は、はっきりとしていた。
エマは顔を上げる。
「君が嫌っていると思い込んでいた。近づけば、迷惑だと……」
苦笑するように、彼は続けた。
「結果として、君を追い詰めていたとは思わなかった」
胸が、きゅっと締め付けられる。
「……嫌ってなど、いません」
エマは、勇気を振り絞った。
「レオン様を嫌ったことは、一度もありません」
彼の目が、わずかに見開かれる。
「ただ……私は、愛されていないのだと思っていました」
言葉にしてしまえば、もう戻れない。
「婚約者として、必要とされていないのだと……」
震える指先を、ぎゅっと握る。
「……だから、身を引く準備までしていました」
沈黙。
次の瞬間、エマの視界が揺れた。
――抱き寄せられた。
「……そんなこと、させるわけがない」
低く、抑えた声が耳元で響く。
背中に回された腕は、思っていたよりもずっと強く、けれど震えていた。
「君がいなくなることを考えたら……正直、耐えられない」
エマの目から、涙が溢れた。
「……どうして、もっと早く言ってくれなかったの」
「言えるはずがない」
レオンは、少し自嘲気味に笑う。
「嫌われていると思っていた相手に、好意など……」
その言葉に、思わず、くすりと笑ってしまった。
「……同じですね」
「……ああ」
二人で、静かに笑った。
抱きしめられたまま、レオンは言う。
「エマ。改めて、伝えたい」
腕の力が、少し強くなる。
「君を嫌ったことは、一度もない。それどころか……」
言葉が、途切れる。
エマは、彼の胸元に額を預け、続きを待った。
「……ずっと、大切だった」
その一言で、すべてが報われた気がした。
胸の奥に溜まっていた不安や孤独が、音を立てて崩れていく。
「……ありがとうございます」
そう言うと、レオンは少し困ったように息を吐いた。
「礼を言われるようなことではない」
そして、ゆっくりと距離を取る。
名残惜しそうに手を離しながらも、彼の表情はどこか決意に満ちていた。
「これからは、逃げない」
まっすぐ、エマを見る。
「君に誤解させるような態度も取らない。必ず、言葉にする」
胸が、熱くなる。
「……私も」
エマは、小さく頷いた。
「ちゃんと、話します」
風が、二人の間を優しく吹き抜ける。
ぎこちないけれど、確かな距離。
それは、ようやく“婚約者”として並び立てた証だった。
エマは知らない。
この日を境に、レオンの「溺愛」が、誰の目にも明らかになることを。
それが、彼女の想像を遥かに超えるものになることを――。
111
あなたにおすすめの小説
あなたが「いらない」と言った私ですが、溺愛される妻になりました
阿里
恋愛
「君みたいな女は、俺の隣にいる価値がない!」冷酷な元婚約者に突き放され、すべてを失った私。
けれど、旅の途中で出会った辺境伯エリオット様は、私の凍った心をゆっくりと溶かしてくれた。
彼の領地で、私は初めて「必要とされる」喜びを知り、やがて彼の妻として迎えられる。
一方、王都では元婚約者の不実が暴かれ、彼の破滅への道が始まる。
かつて私を軽んじた彼が、今、私に助けを求めてくるけれど、もう私の目に映るのはあなたじゃない。
地味令嬢の私ですが、王太子に見初められたので、元婚約者様からの復縁はお断りします
阿里
恋愛
子爵令嬢の私は、いつだって日陰者。
唯一の光だった公爵子息ヴィルヘルム様の婚約者という立場も、あっけなく捨てられた。「君のようなつまらない娘は、公爵家の妻にふさわしくない」と。
もう二度と恋なんてしない。
そう思っていた私の前に現れたのは、傷を負った一人の青年。
彼を献身的に看病したことから、私の運命は大きく動き出す。
彼は、この国の王太子だったのだ。
「君の優しさに心を奪われた。君を私だけのものにしたい」と、彼は私を強く守ると誓ってくれた。
一方、私を捨てた元婚約者は、新しい婚約者に振り回され、全てを失う。
私に助けを求めてきた彼に、私は……
今さら遅いと言われる側になったのは、あなたです
阿里
恋愛
夜会で婚約破棄された私は、すべてを失った――はずだった。
けれど、人生は思いもよらない方向へ転がる。
助けた騎士は、王の右腕。
見下されてきた私の中にある価値を、彼だけが見抜いた。
王城で評価され、居場所を得ていく私。
その頃、私を捨てた元婚約者は、転落の一途をたどる。
「間違いだった」と言われても、もう心は揺れない。
選ばれるのを待つ時代は、終わった。
侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい
花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。
ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。
あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…?
ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの??
そして婚約破棄はどうなるの???
ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。
愛のない白い結婚や契約結婚を疑っていた私が、完璧な夫と「本当の意味で」結ばれるまでのお話
ぜんだ 夕里
恋愛
しがない子爵令嬢のイヴが政略結婚で嫁いだのは、誰もが憧れる完璧な大公爵アダマン様。
しかし彼は、お世継ぎはコウノトリが運んでくると本気で信じている、とてつもなく純粋な人だった!
追放された養女令嬢は、聖騎士団長の腕の中で真実の愛を知る。~元婚約者が自滅する横で、私は最高に幸せになります~
阿里
恋愛
「お前のような無能な女、私の格が下がるのだよ」
最愛の婚約者だったはずの王子に罵られ、雨の夜に放り出されたエルナ。
すべてを失った彼女が救われたのは、国の英雄である聖騎士団長・レオナードの手によってだった。
虚飾の社交界では見えなかった、本当の価値。
泥にまみれて子供たちを笑顔にするエルナの姿に、レオナードは心を奪われていく。
「君の隣に、私以外の居場所は作らせない」
そんな二人の裏側で、エルナを捨てた王子は破滅へのカウントダウンを始めていた。
地味令嬢と嘲笑された私ですが、第二王子に見初められて王妃候補になったので、元婚約者はどうぞお幸せに
阿里
恋愛
「君とは釣り合わない」――そう言って、騎士団長の婚約者はわたしを捨てた。
選んだのは、美しくて派手な侯爵令嬢。社交界でも人気者の彼女に、わたしは敵うはずがない……はずだった。
けれどその直後、わたしが道で偶然助られた男性は、なんと第二王子!?
「君は特別だよ。誰よりもね」
優しく微笑む王子に、わたしの人生は一変する。
さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~
阿里
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」
婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。
けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。
セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。
「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。
――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる