私は貴方を許さない

白湯子

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第11章

226話

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傍観者side


闇に沈んだ意識の底で、ユリウスは地を這っていた。


ーーーいや、違う。

ユリウスはすぐにその感覚を否定する。

これは自分の記憶ではない。

これはーーー神蟲の記憶だ。

何年、何十年……いや、何億年という時を超えて。
変わりゆく空を、分裂していく大陸を、芽吹いては枯れゆく森を見つめながら、神蟲はただひたすらに大地を這い続けていた。


世界が自分を見失った後も、世界の感情は神蟲へと流れ込んでいた。
与えられた役目を果たせなかった己に対する失望。
新たな神を創りながらも、それが失敗に終わった嘆き。
それでもあきらめきれず、再び神を生み出してしまう愚かさ。

神蟲は、そのすべてを理解していた。
理解していながらも、神蟲は全てに無関心だった。
感情を持たぬ神蟲の中あるのは、本能と反射ーーーそして、膨大な力のみ。

世界に生きる全ての生命を管理するために創られた神蟲は、ありとあらゆるの生命の構造を知り尽くし、命の誕生と終焉すら意のままに操ることができた。

だが、自分より後に創られた“神”たち――
感情を持つ神と、知能を持つ神。
その二柱の存在だけは、神蟲の管理の力が及ばず、またその生態も理解できなかった。

やがて神蟲は、最後の神――“人間”の営みを観察するために、森の奥深くから這い出し、時折人里におりるようになった。

見れば見るほどに、人間という存在は神蟲にとって、あまりにも奇妙で不可解だった。
ひとつの個体として完成されていた自分とは違い、人間は不完全で、脆く、矛盾に満ちている。

それでも彼らは、神蟲にも、世界にも、決して創れぬ“何か”を育んでいた。

名をつけるならばーーーそれは、愛。

それは神蟲の中には決して存在しないもの。

理解の外にある未知の概念。

神蟲は、光に魅入られ集う羽虫の如く、その”愛”へと惹かれていった。

1度だけ番を作った事がある。
だが、同じ個体の神を創り出す力を世界から与えられなかったため、それは見た目だけは神蟲だが中身は全く別の生物となり、すぐに亡くなってしまった。

それにより愛に対する興味が加速する。

それは何であるのか。
どのようにして生まれてくるのか。

それは、目で見ることができるのか。

それは、手で触れることができるのか。

それは、口で食むことができるのか。

ーーー知りたい。

そう望んだ神蟲は、本能と反射が赴くまま。
事切れる寸前のその人間に、初めて“手”を伸ばす。














「僕が神蟲を喰ったんじゃない。神蟲が僕を喰ったんだ。」





―――――――――

――――――

―――




「―――っ!?」


ハッと意識を取り戻すと、ユリウスは薄暗い洞窟の中に居た。
湿った岩肌の匂いが鼻を刺し、ひんやりとした空気が肌を撫でていく。


「ここは……」


洞窟の入り口から差し込む朝日が、やけに眩しい。
目を細めながら身を起こすと、身体の上に見慣れない毛皮が掛けられていることに気付いた。
黒く、柔らかく、そして暖かい。
ユリウスの身体をすっぽり包めるほどの大きさーーーおそらく、熊の毛皮だろう。

どうしてこんなものが、と訝しんでいると、洞窟の入口にひとりの人影が現れた。
逆光に照らされ、その顔は見えない。
だが、朝日を受けて輝く長い白髪に、ユリウスの目は自然と奪われた。
まるで真珠ような淡い光。

それは、昨夜、ユリウスに矢を放った人物であった。

あの時は闇の中で分からなかったが、そのシルエットからして、相手が女性であることが分かった。

突然、ガラガラ…!と乾いた音が洞窟内に響く。
それは女性が手にしていた木の枝を無造作に地面へ落とした音だった。
その音に、ぼんやりしていたユリウスの意識が現実に引き戻される。


「さっき見せた火を出してみろ。」


低く、ぶっきらぼうな声だった。

ユリウスが呆けたように瞬き返すと、彼女は苛立たしげに舌打ちをした。


「魚を焼くんだ。早くしろ。」


そう言うと彼女は、洞口近くに腰を下ろし、手にした串を地面に突き立てていく。
串には銀色の鱗を光らせる川魚が何匹も刺さっていた。
きっと、彼女が背にある弓で仕留めてきたのだろう。

「さっさと動け」とでも言わんばかりに鋭い視線を向けられ、ユリウスは慌てて焚き火の準備に取りかかった。













❖❖❖❖


焚き火の炎が、パチパチと小気味よい音を立てる。
その前で、二人は黙々と魚にかぶりついていた。

香ばしい匂いが空腹をさらに刺激し、ユリウスの咀嚼が止まらない。
焼き立ての白身はふっくらとして、皮はほどよく焦げ、噛むたびに旨味が染み出してくる。
その温かさが、餓えた体の奥までじんわりと染みわたっていった。


「……うまい……」


思わず、ぽつりと呟いていた。
久しぶりの、まともな食事だった。

その美味しさに、ユリウスは込み上げてくるものを堪えきれず、静かに目頭を押さえる。
たった一尾の焼き魚が、こんなにも人の心を癒すものだとは思わなかった。


「……。」


ふと視線を上げると、彼女もまた、黙って魚にかぶりついていた。
大男のように胡坐をかき、豪快にがつがつと食らいつくその様は、どこか野生的で、しかし妙に絵になる。

年はおそらくユリウスと同じか、少し上だろう。
顔のほとんどは長い前髪に隠れているが、髪の隙間から覗くすっと通った鼻筋、形のよい口元、しなやかな顎のライン。そして翡翠色の切れ長の瞳が、彼女が整った容姿の持ち主であることを物語っていた。

物心ついた頃から、村一番の美人と謳われた妹のゾフィーと暮らしていたユリウスは、世間の「美人」というものにはある程度、免疫があるつもりだった。

なのに——

どうしてだろうか。
ユリウスの胸は、妙にざわついていた。
息苦しいほどに鼓動が高鳴り、風邪でもないのに顔に熱が帯びる。
理由はわからない。
ただ、何かが心の奥をかき乱していた。

その時、不意に彼女が口を開いた。


「外に出たら、川も魚も…大地そのものが蘇ってた。」


唐突な言葉に、ユリウスの心臓がどきりと跳ねる。
彼女は魚を噛み千切りながら、言葉を続けた。


「その上、昨日までゴロゴロいたはずの化け物共が、一人もいなかった。」


骨を嚙み砕く音が、焚火の爆ぜる音と重なる。
魚を平らげた彼女は、焚き火の揺らめく炎の向こうからじっとユリウスを見据えた。


「お前……何か知ってるか?」


長い睫毛に縁どられた翡翠色の瞳が、炎の赤を宿して揺らめく。
彼女の視線はどこまでも鋭く、まるで相手の心を射抜くようだった。


「え、えっと……ぼ、僕は……」


ユリウスは言葉を詰まらせた。
喉の奥が乾き、目が泳ぐ。

言うべきか、黙るべきか——その狭間で思考が激しく渦を巻く。

真実を話したところで、信じてもらえるとは限らない。
場合によっては彼女の警戒を強めてしまう可能性だってある。
最悪、彼女の背の弓が再び自分に向けられてしまうだろう。

けれど——なぜだろう。

ユリウスは、彼女にだけは、嘘をつきたくないと思った。

焚き火の揺らめきに照らされながら、ユリウスはゆっくりと目を伏せ、そして静かに、これまでの経緯を紡ぎ始めた。












❖❖❖❖


「……なるほどな。」


ユリウスが話を終える頃には、二人は魚を平らげていた。


「信じて…くれるの?」


ユリウスの言葉に、彼女は頷く。


「人間が化け物になる世界だ。1人ぐらい神もどきの力を持った奴が出てきても不思議じゃない。…それに」


切れ長の翡翠色の瞳が、焚火越しにユリウスの瞳をとらえる。


「お前の目の色にも納得がいく。」

「ー!あ、…ご、ごめん…」


彼女の言葉に、ユリウスは咄嗟に目を伏せた。


「……何故謝る?」
「いや、だって…気持ち悪いじゃないか。こんな目。」


神蟲の色だとしても、所詮は虫——。

北も南も、人間は金色の髪に翡翠色の瞳と決まっている。
進化した彼らが、ユリウスの瞳を見て悲鳴を上げた記憶は、まだ鮮明に残っていた。


「……昔、聞いたことがある。」
「え?」
「山を下りて森を抜けたら、青い海が広がっていると。」


彼女はユリウスの瞳をじっと見つめた。


「きっと、お前の瞳みたいに美しいんだろうな。」
「―っ、」


その言葉に、ユリウスの胸の奥が不意に高鳴った。
初めての感覚に戸惑い、うまく言葉を紡げないユリウスは、焦りを誤魔化すように話題を強引に変えた。


「き、君はどうしてここに?」
「ここが、俺の家だからだ。」


彼女はぶっきらぼうな声で淡々と答える。
生まれつき白髪だった彼女は、北国の民から「悪魔の子」として迫害を受けていた。
幼い頃に村を追い出され、この洞窟でひとりで暮らしてきたという。
山が噴火したときも洞窟の奥にいたおかげで助かり、それ以降は弓でひとつであの地獄を生き延びてきたらしい。


「同じ人間なのに、迫害するなんて…」



憤るユリウスに、彼女は無機質な声で言った。


「向こうの気持ちもわかる。自分と違うものは、恐ろしくて気味が悪いだろう。」
「でも、君は僕の目を美しいって言ってくれたじゃないか。」
「それは…」
「君も同じだ。君の髪は真珠みたいに美しい。」
「真珠?」


首をかしげる彼女に、ユリウスは必死に説明した。
貝から採れる宝石で、淡い光を帯びた色合いのこと——高価で、めったに目にできないということも付け加えた。
ユリウスが拙い説明を終えると、彼女は黙って自分の髪の一房をつまみ、視線を落とした。


「……。」


会話が途切れ、僅かな沈黙が流れる。
耐えきれなくなったユリウスが、ぎこちなく口を開いた。


「これから……君はどうするの?」
「別に。前と変わらない。」


その言葉に、ユリウスの胸が痛んだ。
人の温かさを知らぬまま生き続けるーーーそれがどれほど寂しいことか。

しばし考えた末、ユリウスは夢物語のような発想に辿り着いてしまった。


「そうだ、自分で人間の国を創ればいいんだ。」
「………は?」


勢いのまま、ユリウスは語りだす。
この力があれば、迫害が存在しない理想の国が作れるはずだ。誰もが安心して生きられる場所を——と。ユリウスは興奮混じりに説明した。


「だから、君も一緒に——」
「勘違いするな。」


冷たい声を発した次の瞬間、彼女は素早い動きで手にしていた魚の串を、ユリウスの喉に突きつけた。


「俺がお前を殺さなかったのは、火が使えるお前に利用価値があったからだ。魚を分け与えたのも、対価を支払っただけ。勝手に仲間意識を持つな。」


彼女の言葉にユリウスはショックを受けた。
ユリウスが描く理想の国には、当たり前のように彼女が居たからだ。


「でも、このままじゃ君はずっと一人だ。」
「だからなんだ?人間と群れるぐらいなら、死んだ方がマシだ。」
「人は一人じゃ生きられない。どんなに強くても、いつか心が壊れてしまう。」
「はっ、偉そうに言うが、ただお前が一人でいたくないだけだろ。」


その一言に、ユリウスははっと息を吞んだ。
図星ーーー胸の奥を突かれたような痛みが走る。


「そ、そうかもしれない…でも、僕はーー君に、人と生きる幸せを知って欲しい。」
「……ちっ、自惚れ野郎が。」


片目だけ見えた翡翠の瞳が、怒りで濃い色を帯びる。


「お前のくだらない妄想を俺に押し付けるな…!」


叫ぶと同時に、彼女はユリウスの首根っこを掴み、片手で投げ飛ばした。
地面に叩きつけられ、息が詰まる。
成人男性である自分が、まるで子供のように放り投げられたことに、ユリウスは呆然とした。


「失せろ、甘ったれ。そのムカつくツラを二度と俺の前に見せるな。」


鋭い眼差しのまま、彼女は弓を構え、矢をつがえる。
焚火の光が、彼女の頬に鋭い影を落とした。


「待ってくれ!話を――」


言い終わらぬうちに矢が放たれた。
風を裂く音。
ユリウスは咄嗟に身をかわしたが、矢は頬をかすめ、鮮血が一筋流れ落ちた。


「次は当てる。」


もう一度弓を引く姿に、ユリウスは声を張上げる。


「ま、また来るから!絶対に!」
「二度と来るな!」


彼女の怒声を背に受け、ユリウスはそのまま必死に走って逃げ出した。
蘇った森の中を走り抜け、やがて洞窟が見えなくなると、足を止める。

肩で息をしながら、ふと思い出したように呟いた。


「……あ、名前……聞くの忘れちゃったな……」


頬を拭うと、傷はもう跡形もなく消えていた。











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