私は貴方を許さない

白湯子

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第11章

225話

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申し訳ございません!
225話の最後の方にお話を追加致しました。
既に225話を読んでくださった方、本当に申し訳ございませんでした!


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傍観者side


日が傾き、長く伸びた影が不気味に岩地を這っていく。


「生きなくちゃ…生きなくちゃ…」


ひび割れた唇でブツブツと呟きながら、ユリウスは気力だけで足を前に動かしていた。
ゾフィーを食べたあの日から、ユリウスは何も口にしていない。
虚ろな目。乾ききった口内。焼けつくような喉の痛み。氷のように冷たい手足。
体は鉛のように重く、骨が軋む音さえ耳に響く気がした。


「ーあっ…!」


岩に躓いたユリウスは、その場にぐしゃりと崩れ落ちた。
立ち上がろうとするが、力が入らない。

どんどん日が沈み、じりじりと迫ってくる夜の闇ともに焦燥感が募る。
早く身を隠さなければ。
このままでは活動し始めた彼らに喰われてしまう。
焦るユリウスよそに、その身体はまるで他人のもののように沈黙し、指先ひとつ動かなかった。


――あぁ、僕はこのまま死ぬのだろうか。


冷たい岩地が容赦なく体温を奪っていく。
霞む視界。緩慢になる思考。
薄れゆく意識の中で、ユリウスの脳裏に浮かぶのは、もう二度と戻れない日々の光景だった。
温かな陽の光に包まれ、家族とともに笑い合いながら、真っ赤に熟れた林檎を収穫していたあの頃。
明日も明後日も当たり前に続くと思っていた幸福が、今や蜃気楼のように遠ざかっていく。


「…神様…」


ひび割れた唇が、声にならない祈りを紡ぐ。
ユリウスは幸せだったあの頃に戻りたいと何度も何度も神に願った。

しかし、空は沈黙を守ったまま。
冷たい岩肌も何一つ語りはしなかった。

なぜ、神は答えてくれないのだろうか。
ユリウスの心に、じわじわと絶望の色が染み込んでいく。
全てがその色に染まりきったとき、彼の命はこの世界から消えてしまうだろう。

あと一滴で、全てが終わる。
だが、その刹那。
掠れた視界の隅で、何かがすばやく横切った。

死に絶えた大地に、ひどく異質な青色。
まるで深い海の底を思わせるような、冷たく神秘的な色彩。
金属のような艶を帯びた小さな肢体。

それは、古くから神の使いだと呼ばれていた昆虫ーーー”神蟲”だった。

神蟲は長い触角を揺らしながら、ユリウスをじっと見つめているように見えた。

人前に姿を現すことなど、ほとんどない神蟲。
かつて人々はこう語った。
「神蟲様は、時折人里に降りて、私たちの様子を見に来てくださるんだよ」と。
ユリウスが神蟲を目にするのは、これが初めてだった。

なぜ、こんなところに?生き物は全てあの溶岩に飲まれたはずでは…?

疑問は浮かんでは消えていく。
だが、ユリウスにとって、それはもはやどうでもよかった。

―――神の使いだからなんだというのだ。

心の奥深くに根ざしていた、固い信仰に亀裂が走る。

もし本当に神がいるのなら――
なぜ、こんな悲劇が起こった?
なぜ、こんなにも残酷な世界を放置している?

一度入ったその亀裂は、もう止まらなかった。

脳裏に、父の言葉が過る。


「神様は、乗り越えられない試練は与えないよ。」


……嘘だ。

どれだけ越えても。
どれだけ祈っても。
神は答えなかった。
いや――最初から、そんなものは存在しなかったのだ。

神なんて、人間が勝手に創り出した幻想だ。
不完全ゆえに、常に不安を抱いた存在だからこそ、人は絶対的な存在を欲した。

愛も、感謝も、憎しみも…
すべてを都合よく投げつけられる、架空の存在を。
安心したい。救われたい。
ただそれだけのために。

こんな…色が珍しいというだけのゴキブリを、神の使いだと崇めるなんて。
人間は、なんと愚かで、滑稽な生き物なのだろうか。

今まで抱いていた信仰心は、音を立てて崩れ去った。
この瞬間から、ユリウスは神の存在を否定したのだ。

力を振り絞り、彼は震える手を伸ばす。
そして、その小さな命を掴み取った。

硬く、冷たく、奇妙に蠢く脚の感触。

ユリウスは、ぐっと握りしめたまま、口元へと運んだ。

ためらいは――なかった。
全ては生きる為。それだけだった。

ユリウスは神蟲を口の中に押し込み、噛み砕いた。
殻が砕け、ぬるりとした苦味が舌に広がる。
胃の奥がきゅっと収縮し、思わず吐き気が込み上げる。
それでもユリウスは胃液とともに飲み込み―――神蟲を胃に落とし込んだ。


「―あぁっ!?」


その瞬間、ユリウスの身体を異変が起きた。
胃が燃えるように熱い。
神蟲の体液が胃壁に染み込み、細胞が強制的に書き換えらているのだ。

熱い、熱い、熱い…!

まるで沸騰しているかのように熱く滾る血液は、どくどくと脈打ちながら、全身を駆け巡る。
その激しさに耐えきれず、どこかの血管が焼き切れ、口や耳や鼻から流れた熱い血が、岩地にポタポタと落ちた。

苦しい苦しい苦しい……!
頭が割れるように痛い!

どんどん自分が自分でなくなる感覚に、ユリウスは恐怖する。

いやだ、やめてくれ。

細胞が次々と書き換えられ、異物のようなパズルのピースがねじ込まれたその瞬間――ユリウスは絶叫し、糸が切れたように崩れ落ちた。


















❖❖❖❖❖


日が沈み、夜の帳が静かに降りた。

力なく冷たい岩地に横たわるユリウスのもとへ、ヨダレを垂らした獣と化け物たちが、じりじりと距離を詰めてくる。

そして、彼らは飢えに突き動かされるまま、一斉にユリウスへと飛びかかった。

その瞬間——。

ユリウスの身体から、青い炎が吹き上がった。
獣も、化け物も、その炎に恐怖した。
あの日。
あの時。
あの瞬間。
火は彼らから全てを奪った。
進化し力を手に入れようとも、彼らの魂に刻まれた火に対する本能的な恐怖だけは、決して消えなかったのだ。

彼らはその炎の前に無力だった。

むくりと起き上がったユリウスが手を一振りすると、あれほど猛々しく燃え盛っていた炎は一瞬で消え失せた。
その光景に唖然としていた周囲の者たちは、ユリウスの瞳を見た瞬間、悲鳴を上げた。

人類はみな、翡翠色の目をしている。それは進化しても変わらない。
だが、ユリウスの瞳はーーー青かった。
あの神蟲のように。

ユリウスは夜空を仰ぎ見た。
今のユリウスに痛みはなかった。
乾きも、空腹も。
残されていたのは、ただひとつ——深い、深い絶望だけだった。

周囲の者たちに目もくれず、ユリウスは力の限り、夜空に叫んだ。


「お前は……どうして僕に、こんな力を与えたんだっ!!」


ユリウスの声に、神蟲は何も答えない。



「今さら……どうして僕の前に現れたんだっ!!」


再び叫んでも、結果は変わらない。
神蟲は何も答えない代わりに、ユリウスの脳内に気が遠くなるほど果てしない意思を植え付けていた。

世界が生み出した存在たちを管理する神として創られた神蟲は、その役目を放棄し、ユリウスに全てを託した。

それは、歴史だった。
それは、意思だった。

世界から失敗作の烙印を押されたとしても
それは、神の力だった。

ユリウスは神の存在を否定した。
だが、その直後、皮肉にも神の力を得てしまったのだ。


「ああああああああぁぁぁっ!!!」


絶叫したユリウスは膝をつき、そのまま崩れ落ちた。

頭を抱え、震える唇を噛みしめる。

たしかに神の、力は偉大だった。

ユリウスの脳内に刻まれた数式は、ありとあらゆる願いを可能とした。
だが、失った命だけは取り戻せなかった。

今のユリウスにとって、それはあまりにも無力な力だった。
もう二度と、あの日々に戻れないのだから。


「神の力だ…」


誰かが、そう呟いた。
気づけば、ユリウスの周りには大勢の進化したもの達が集まっていた。
そこには海に逃げていたはずの魚類までもが、捨てた足を生やして、その輪に入っていた。


「俺たちの力とは違う。お前は神様に選ばれたんだ。」
「神様は俺たちを見捨ててはいなかった!」
「私たちを助けてよ!早く!」
「お腹がすいた!喉が渇いた!」
「暖かい寝床が欲しい!」
「甘いものが食べたい!」
「娯楽をくれ!」
「酒だ!酒だ!!」
「お前だけその力を一人占めするつもりか!?」
「ずるいぞ!性悪め!」
「傲慢なヤツめ!」
「強欲だ!」
「その力は俺たちのものだ!!」


彼らはユリウスと一定の距離を保ちながら、鋭利な罵詈雑言を投げ続けた。
誰もユリウスの言葉に耳を傾けようとはしない。
それは一方的な暴力と変わらなかった。

最初は抗おうと声を上げていた。
だがその声は何度も搔き消され、埋もれた。
その度にユリウスの心が少しずつ冷えていった。

彼らがユリウスから一定の距離を保っているのは、ユリウスが持つその力が恐ろしいからだ。
安全な場所にいる人間は、どこまでも残酷になれる。
そんな人間が愚かで、同時に可哀想だとも思った。

彼らの罵倒を聞き流しながら、ユリウスは静かに力を使った。
彼は溶岩に飲み込まれた大地を蘇られたのだ。
荒れ果てた岩地には草木が芽吹き、川が生まれ、命が再び循環を始めた。

人々は歓喜した。
そして、奇跡を目の当たりにした彼らは、さらなる要求を突きつけてきた。
だか、ユリウスはそれ以上を与えようとはしなかった。


「僕たちは…一緒には暮らせない。」


そう言ってユリウスは彼らに住む場所を分けさせた。
獣は西のヴェステン。
魚類は南のデューデン。
化け物は東のオステン。

そして、ユリウスは北のノルデンへ。

人々はユリウスの提案に納得できず抗議の声を上げた。
だがユリウスの意思は揺るがなかった。

獣と化け物はユリウスの大切なものを喰らった。
魚類はそれを見て見ぬふりをして海へ逃げた。
あの状況では仕方がなかった。だからといって許せるものではない。

ユリウスの言葉を聞いて、人々はバツが悪そうに口をとざした。
姿かたちが変わっても彼らの中に人間らしさが残っていた事に、ユリウスは少しだけ安心を覚えた。


「さよなら。」


呼び止める声に背を向けて、ユリウスは再び北に向かって歩き出した。











❖❖❖❖❖





「―うっ、」


ユリウスの頭に、ズキンと鋭い痛みが走る。
脳内に刻まれた神蟲の意志によって、今の自分の状態をかろうじて理解することはできていた。
力を使いすぎた彼は、魔力の枯渇――いわゆる魔力欠乏症に陥っていたのだ。


……早く休まなければ


朦朧とする意識の中、ユリウスはふらつく足取りであてもなく歩いていると、視界の先に洞窟の入り口が見えた。

朝が来るまで、しばらくここで休んでいよう。

そう思い、身をかがめて洞窟へ入ろうとした、そのとき――


「――ッ!?」


風を裂く音と共に、矢が飛んできた。
ギリギリで身を翻し回避したものの、頬にはつぅーと一筋の血が流れた。


「……チッ」


暗闇の奥から聞こえた、苛立った舌打ち。
誰かが、この洞窟の中に潜んでいる。
しかし、暗くて姿までは見えない。
ただ、矢を再び番える気配――殺気だけは、痛いほどに伝わってくる。


「待ってくれ!僕は敵じゃない!」


懸命にそう訴えるも、返ってきたのは言葉ではなく、またしても放たれた矢だった。


「ひっ……!」


咄嗟に魔力を振り絞り、ユリウスは青い炎を矢に向けて放つ。
炎が一閃し、暗闇の中で、相手が一瞬息を呑んだのを感じた。

だが、それが限界だった。


「―くっ、」


頭が割れるように痛い…!
ユリウスの身体がふらりと傾き、そのまま地面に崩れ落ちた。

……まずい。このままじゃ、やられる……

焦燥だけが募る中、痛みにって意識はじわじわと遠のいていく。

静寂の中、地面を踏む音が微かに響く。
――ジャリ……ジャリ……
その足音は、恐る恐るといった様子で、ユリウスへと近づいてくる。

意識を手放す直前。
彼の視界に映ったのは―――白くて長い、月の光を帯びた真っ直ぐな髪だった。

―――まるで真珠のようだ。

そう思ったのを最後に、ユリウス意識は闇の中に沈んでいった。



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