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一章 ホノワ村のラビィ(7)
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ラビは、セドリックから問い掛けられた言葉を、もう一度頭の中で反芻した。
――僕がいない間に、何かひどい事をされたか、だと?
彼がどう考えてその推測に辿り着いたのか、全く見当つかない。
ラビは自分の発言を振り返ってみたが、勘違いされるような物言いをした覚えもなかった。
そもそも、ひどい事、に当てはまるような出来事も思い浮かばない。『忌み子』扱いの中傷は普段からの事であるし、かといって、直接暴言を吐かれたり暴力を受けた訳ではないので、『ひどい事』にはあてはまらないだろう。
旅については、本当に前々から考えていた事だ。
何かあったから早急に村を出たい、という軽い気持ちではなく、これはラビの夢である。
以前から考えていたというだけでは、理由が弱いのだろうか?
どうすれば説得出来るのかと言葉を探している間にも、セドリックが、テーブル越しに身を乗り出してきた。
「ラビ、言い辛い内容かもしれませんが、正直に話して下さい。あなたはそういった知識も薄いですから、理解出来なくてショックな事だったとは思いますが、……ひどい事をしたのが『男』だったから、こっちを見てくれないんですか……?」
ラビは懸命に説得方法を考えていたので、セドリックから投げかけられる言葉の内容や、肩に伸ばされる手にも気付いていなかった。
唐突に肩に触れられて、ラビは途端に集中力が途切れてしまい、驚いて飛び上がった。
思わず反射的に手を振り払うと、何故かセドリックが蒼白した。彼は、ラビに手を弾かれたままの姿で硬直し、目が合うなり傷ついた顔をした。
なんだか、こっちが悪い事をしたような気分になって、ラビは申し訳なく思って眉尻を下げた。
「……ごめん、その、考え事をしてたんだ…………痛かったんなら、その、ごめんなさい」
傷つけてしまったようだから、ラビは、最後は言葉を整えて「ごめんなさい」と謝った。セドリックは愛されて育った優しい人間だから、冷たくされる事には慣れていないのだろうなと、彼女なりに配慮したつもりだった。
セドリックは、素直な口調で謝られて、今度こそ言葉を失った。
脳裏を掠める最悪の状況を思って、全身から血の気を引かせる。
そんな二人のやりとりを見守っていたユリシスが、よく分からないな、と考え込みながら口を開いた。
「つまり、出て行くから氷狼の件には関わりたくない、という事ですか? 村を出る理由は、その目と髪の色に関わる事なのでしょうか」
「別に、オレの勝手だろ」
セドリックが固まってしまった事を疑問に思ったものの、逃げるのか、と直球で言うような口振りが勘に障り、ラビはユリシスを睨みつけた。
「村を出たいのでしたら、今回の件に付き合って頂いて損はないと思いますよ。往復を含めて、一時的にでも十日以上はここから離れられます。現地の警備棟には食堂も寝室もありますから、食事の面倒も寝泊まりの問題もありません」
「興味ない」
「騎士団が所有する建物には、地図の他に、地理に関わる蔵書も多くありますよ。見てみたくはないですか。旅をするのなら、きちんとデータを取っておくべきでしょう」
「ぐぅ……、なるほど」
確かに、それが本当だとするならば、悪い話しではないのかもしれない。騎士団は遠征も多いから、詳しい資料や記録の他に、新しい地図も多く持っている可能性はある。
それとなくノエルに目配せすると、彼がこちらへと真面目な顔を向けた。
『俺は、お前が行く所ならどこへでも』
「?」
『――まっ、本って高価だし、見るだけでも価値はあると思うけどな?』
唐突に彼は茶化すと、牙を覗かせてニヤリとした。
一緒だから怖くないだろ、とノエルの目が続けて語る。話ぐらい聞いてみればいいさ、とノエルの不敵な笑みに後押しされ、ラビは「そうだなぁ」と悩ましげに首を傾けた。
「……内容にもよる。先に話しを聞いてからだ」
「待って下さいラビッ。警備棟といっても簡単な造りで、騎士団はみんな男――」
「それぐらい知ってるよ。オレ、自分の面倒は自分で見れるから問題ないぞ?」
途端に息を吹き返し慌てたセドリックに、ラビは、怪訝な表情で言い返した。
彼は続けて何事か言いかけたが、説得は無駄であると悟ると、吐息混じりに「もしかして、僕の勘違いなんですかね」「というより、そういう事じゃないんですよ……」と片手で顔を覆ってしまった。
ユリシスが、珍しいものを見るような顔で、項垂れるセドリックを眺めた。彼は顎を触り、セドリックとラビを見比べて、副隊長の悩みを勘繰った。
「なるほど。珍しい毛色ではありますが、顔立ちはまぁまぁですからね。君は最近、髪や目を理由に、誰かに襲われましたか?」
「は? 物理的攻撃を受けたかって話しなら、最近はないけど?」
「なんですか、その物理的攻撃というのは」
「石を投げられるとか、外側から扉を封鎖されたり、柵に落書きされたりポスト破壊されたり?」
「なかなか物騒な話しですね」
私に訊かれても困りますよ、とユリシスは眉を顰め、隊長の幼馴染を観察した。
ユリシスから見ても、ラビは男にしては整った顔立ちをしており、身体も華奢である。しかし女に困らない土地で、こんな色気もないがさつなガキを襲う物好きな男がいるとは想像もつかないので、一体どうして副隊長が心配しているのか、不思議でならない。
部下が思案するそばで、セドリックは彼らの会話から、ひとまず間違いは起こらなかったらしいと気付いて、大きく息をついて椅子に座り直した。
ひどい疲労感を覚えて、テーブルの上で手を組んで深く項垂れる。
「……ラビ、とにかく旅の件に関しては、保留にしておいて下さい。後日、話し合う時間を作りましょう。僕も休みを取りますから、一度母上も交えたうえできちんと――」
「なんでそこで伯爵夫人が出てくんのさ。この国の法律じゃ、十七歳からは成人扱いだろ」
ラビの言葉を聞いたユリシスは、普段の済ました表情を崩し「十七歳ッ?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。なんて品のない子どもっぽい男なんだと、冷や汗を覚える。彼はラビの事を、てっきり十五歳そこそこだと思っていたのだ。
彼らの事情はよく知らないが、ユリシスは、悲壮感を漂わせる副隊長が可哀相に思えてきて、「今回の氷狼の件ですが」とこちらで話しを始める事にした。
「ヴィルドン地方に、ラオルテという町があります。年の半分以上が雪で覆われるため、氷狼の対策として、大木の防壁で町一帯が囲われています。そこには警備棟という見張り用の高い建物があり、騎士団が定期的に派遣さているのですが、先月頃、町は氷狼の襲撃に遭いました。それからというもの、日中問わず、週に二、三回のペースで、数頭の氷狼が山から下りて来ている状況です」
「でもさ、氷狼に常温は毒だよ」
ラビが改めて再度指摘すると、ユリシスは「彼らが熱に弱い事は知ってます」と眼鏡を押し上げた。
「しかし、彼らは苦しみながらも町へ侵入しようとする。ほとんど死に掛けながらも、異常な執着心のように喰らい付く事を諦めないのです。銃弾は皮膚に貫通する前に凍りついてしまいますので、剣と放火銃で応戦していますが、彼らは言葉の通り、死ぬまで止まらないのですよ」
その時、床の上で寝そべっていた、ノエルが鼻を鳴らした。
『氷獣は、気位の高い賢い生き物だぜ。仲間意識が強いからこそ、自分達の定めたテリトリーの外には出ねぇし、リスクの高い危険は冒さない。戦闘で理性を失うほど馬鹿でもねぇから、死ぬまで止まらないってのも、普通なら有り得ない』
とすると、常温地への侵入行動と凶暴化は、明らかな異常なのだろう。
ラビが考え込むと、ユリシスも難しい顔をした。
「氷狼の異常行動については、今のところ原因が分かっていません。害獣の治療と調査を専門的に扱っている獣師も少ないですし、氷狼を追い払えるほどの動物もいないので、対策の立てようもないという訳です」
「だから、オレに現場の状況を見てほしいってわけ?」
「はい」
ラビは「ふうん」と答えながら、ノエルに目配せした。このまま狂ったように氷狼が死んでいくのも気が引けるし、怪我人が出てしまう事態も解決してあげたいという気持ちはある。
実際に人が死んでしまったら、もう取り返しはつかない。
長い事考えたラビは、深く息をついて仕方なく答えた。
「……わかった、オレに出来る範囲内で協力する。それから」
そこで、ラビは一度言葉を切って、セドリックに右手を差し出した。
「伯爵夫人のスコーン持ってるんだろ、寄越せ」
ラビは別荘を出る際に、伯爵夫人がセドリックに持たせていた事に気付いていた。だからこそ、力づくで追い返す行動には出なかったのだ。
セドリックがきょとんとし、それから、柔かな苦笑を浮かべた。
「やっぱり食べたかったんじゃないですか。でも、寄越せという言い方は品がないですよ」
「うるさい」
怒って反論したラビだったが、甘いスコーンを頬張ると、美味さですぐに苛立ちも忘れた。知らず子どものように笑う彼女を見て、セドリックが微笑んでいる事にも気付かないでいた。
自分でビスケットを焼く事はあったけれど、やっぱり、伯爵夫人の作るスコーンが一番美味いと思った。
――僕がいない間に、何かひどい事をされたか、だと?
彼がどう考えてその推測に辿り着いたのか、全く見当つかない。
ラビは自分の発言を振り返ってみたが、勘違いされるような物言いをした覚えもなかった。
そもそも、ひどい事、に当てはまるような出来事も思い浮かばない。『忌み子』扱いの中傷は普段からの事であるし、かといって、直接暴言を吐かれたり暴力を受けた訳ではないので、『ひどい事』にはあてはまらないだろう。
旅については、本当に前々から考えていた事だ。
何かあったから早急に村を出たい、という軽い気持ちではなく、これはラビの夢である。
以前から考えていたというだけでは、理由が弱いのだろうか?
どうすれば説得出来るのかと言葉を探している間にも、セドリックが、テーブル越しに身を乗り出してきた。
「ラビ、言い辛い内容かもしれませんが、正直に話して下さい。あなたはそういった知識も薄いですから、理解出来なくてショックな事だったとは思いますが、……ひどい事をしたのが『男』だったから、こっちを見てくれないんですか……?」
ラビは懸命に説得方法を考えていたので、セドリックから投げかけられる言葉の内容や、肩に伸ばされる手にも気付いていなかった。
唐突に肩に触れられて、ラビは途端に集中力が途切れてしまい、驚いて飛び上がった。
思わず反射的に手を振り払うと、何故かセドリックが蒼白した。彼は、ラビに手を弾かれたままの姿で硬直し、目が合うなり傷ついた顔をした。
なんだか、こっちが悪い事をしたような気分になって、ラビは申し訳なく思って眉尻を下げた。
「……ごめん、その、考え事をしてたんだ…………痛かったんなら、その、ごめんなさい」
傷つけてしまったようだから、ラビは、最後は言葉を整えて「ごめんなさい」と謝った。セドリックは愛されて育った優しい人間だから、冷たくされる事には慣れていないのだろうなと、彼女なりに配慮したつもりだった。
セドリックは、素直な口調で謝られて、今度こそ言葉を失った。
脳裏を掠める最悪の状況を思って、全身から血の気を引かせる。
そんな二人のやりとりを見守っていたユリシスが、よく分からないな、と考え込みながら口を開いた。
「つまり、出て行くから氷狼の件には関わりたくない、という事ですか? 村を出る理由は、その目と髪の色に関わる事なのでしょうか」
「別に、オレの勝手だろ」
セドリックが固まってしまった事を疑問に思ったものの、逃げるのか、と直球で言うような口振りが勘に障り、ラビはユリシスを睨みつけた。
「村を出たいのでしたら、今回の件に付き合って頂いて損はないと思いますよ。往復を含めて、一時的にでも十日以上はここから離れられます。現地の警備棟には食堂も寝室もありますから、食事の面倒も寝泊まりの問題もありません」
「興味ない」
「騎士団が所有する建物には、地図の他に、地理に関わる蔵書も多くありますよ。見てみたくはないですか。旅をするのなら、きちんとデータを取っておくべきでしょう」
「ぐぅ……、なるほど」
確かに、それが本当だとするならば、悪い話しではないのかもしれない。騎士団は遠征も多いから、詳しい資料や記録の他に、新しい地図も多く持っている可能性はある。
それとなくノエルに目配せすると、彼がこちらへと真面目な顔を向けた。
『俺は、お前が行く所ならどこへでも』
「?」
『――まっ、本って高価だし、見るだけでも価値はあると思うけどな?』
唐突に彼は茶化すと、牙を覗かせてニヤリとした。
一緒だから怖くないだろ、とノエルの目が続けて語る。話ぐらい聞いてみればいいさ、とノエルの不敵な笑みに後押しされ、ラビは「そうだなぁ」と悩ましげに首を傾けた。
「……内容にもよる。先に話しを聞いてからだ」
「待って下さいラビッ。警備棟といっても簡単な造りで、騎士団はみんな男――」
「それぐらい知ってるよ。オレ、自分の面倒は自分で見れるから問題ないぞ?」
途端に息を吹き返し慌てたセドリックに、ラビは、怪訝な表情で言い返した。
彼は続けて何事か言いかけたが、説得は無駄であると悟ると、吐息混じりに「もしかして、僕の勘違いなんですかね」「というより、そういう事じゃないんですよ……」と片手で顔を覆ってしまった。
ユリシスが、珍しいものを見るような顔で、項垂れるセドリックを眺めた。彼は顎を触り、セドリックとラビを見比べて、副隊長の悩みを勘繰った。
「なるほど。珍しい毛色ではありますが、顔立ちはまぁまぁですからね。君は最近、髪や目を理由に、誰かに襲われましたか?」
「は? 物理的攻撃を受けたかって話しなら、最近はないけど?」
「なんですか、その物理的攻撃というのは」
「石を投げられるとか、外側から扉を封鎖されたり、柵に落書きされたりポスト破壊されたり?」
「なかなか物騒な話しですね」
私に訊かれても困りますよ、とユリシスは眉を顰め、隊長の幼馴染を観察した。
ユリシスから見ても、ラビは男にしては整った顔立ちをしており、身体も華奢である。しかし女に困らない土地で、こんな色気もないがさつなガキを襲う物好きな男がいるとは想像もつかないので、一体どうして副隊長が心配しているのか、不思議でならない。
部下が思案するそばで、セドリックは彼らの会話から、ひとまず間違いは起こらなかったらしいと気付いて、大きく息をついて椅子に座り直した。
ひどい疲労感を覚えて、テーブルの上で手を組んで深く項垂れる。
「……ラビ、とにかく旅の件に関しては、保留にしておいて下さい。後日、話し合う時間を作りましょう。僕も休みを取りますから、一度母上も交えたうえできちんと――」
「なんでそこで伯爵夫人が出てくんのさ。この国の法律じゃ、十七歳からは成人扱いだろ」
ラビの言葉を聞いたユリシスは、普段の済ました表情を崩し「十七歳ッ?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。なんて品のない子どもっぽい男なんだと、冷や汗を覚える。彼はラビの事を、てっきり十五歳そこそこだと思っていたのだ。
彼らの事情はよく知らないが、ユリシスは、悲壮感を漂わせる副隊長が可哀相に思えてきて、「今回の氷狼の件ですが」とこちらで話しを始める事にした。
「ヴィルドン地方に、ラオルテという町があります。年の半分以上が雪で覆われるため、氷狼の対策として、大木の防壁で町一帯が囲われています。そこには警備棟という見張り用の高い建物があり、騎士団が定期的に派遣さているのですが、先月頃、町は氷狼の襲撃に遭いました。それからというもの、日中問わず、週に二、三回のペースで、数頭の氷狼が山から下りて来ている状況です」
「でもさ、氷狼に常温は毒だよ」
ラビが改めて再度指摘すると、ユリシスは「彼らが熱に弱い事は知ってます」と眼鏡を押し上げた。
「しかし、彼らは苦しみながらも町へ侵入しようとする。ほとんど死に掛けながらも、異常な執着心のように喰らい付く事を諦めないのです。銃弾は皮膚に貫通する前に凍りついてしまいますので、剣と放火銃で応戦していますが、彼らは言葉の通り、死ぬまで止まらないのですよ」
その時、床の上で寝そべっていた、ノエルが鼻を鳴らした。
『氷獣は、気位の高い賢い生き物だぜ。仲間意識が強いからこそ、自分達の定めたテリトリーの外には出ねぇし、リスクの高い危険は冒さない。戦闘で理性を失うほど馬鹿でもねぇから、死ぬまで止まらないってのも、普通なら有り得ない』
とすると、常温地への侵入行動と凶暴化は、明らかな異常なのだろう。
ラビが考え込むと、ユリシスも難しい顔をした。
「氷狼の異常行動については、今のところ原因が分かっていません。害獣の治療と調査を専門的に扱っている獣師も少ないですし、氷狼を追い払えるほどの動物もいないので、対策の立てようもないという訳です」
「だから、オレに現場の状況を見てほしいってわけ?」
「はい」
ラビは「ふうん」と答えながら、ノエルに目配せした。このまま狂ったように氷狼が死んでいくのも気が引けるし、怪我人が出てしまう事態も解決してあげたいという気持ちはある。
実際に人が死んでしまったら、もう取り返しはつかない。
長い事考えたラビは、深く息をついて仕方なく答えた。
「……わかった、オレに出来る範囲内で協力する。それから」
そこで、ラビは一度言葉を切って、セドリックに右手を差し出した。
「伯爵夫人のスコーン持ってるんだろ、寄越せ」
ラビは別荘を出る際に、伯爵夫人がセドリックに持たせていた事に気付いていた。だからこそ、力づくで追い返す行動には出なかったのだ。
セドリックがきょとんとし、それから、柔かな苦笑を浮かべた。
「やっぱり食べたかったんじゃないですか。でも、寄越せという言い方は品がないですよ」
「うるさい」
怒って反論したラビだったが、甘いスコーンを頬張ると、美味さですぐに苛立ちも忘れた。知らず子どものように笑う彼女を見て、セドリックが微笑んでいる事にも気付かないでいた。
自分でビスケットを焼く事はあったけれど、やっぱり、伯爵夫人の作るスコーンが一番美味いと思った。
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